写真・文/植田正恵

22.Doctor Please!
月刊アクアネット2005年3月号

 去年の秋、私は首がまったく動かせなくなってしまった。

 けっして借金がかさんで、首が回らなくなったのではない。少しでも首を動かそうものなら、首の根元のあたりが悲鳴を上げるほどに痛んだのである。

 痛み始めた朝のうちは大した事はなかったのに、夕刻には横になることさえできないほどに悪化していた。どうやら夢中で草むしりをしすぎたことが原因らしい。
 そのときにはもう本島に出る連絡船の最終便はすでに出ていた。この体のままでは明日からのお客さんに対応できない。

 ああ、島に病院があれば……。

 この時ばかりは痛切にそう思った。水納島には、病院はおろか最近ドラマになった診療所さえないのだ。強いていえば、小中学校の保健室が唯一の医療機関である。

 

 連絡船さえ動いていれば、たとえ半日がかりになろうとも、病院に行くことができる。
 ただしおじいやおばあになると、往復の船賃、そして本島でタクシーと出費がかさむので、なるべくなら病院に行く回数を減らしたい。恒常的に飲む薬は1か月分、2か月分まとめて処方してもらいたい…そうみんなが口を揃えていうのはそのためである。
 しかし医療現場には医療現場の諸規定があるのだろう、薬は2週間分しか出してもらえない。

 こんなのは小さな問題である。大変なのは緊急の治療を要する病気や怪我のときだ。

 ある夜のこと、11時頃まで連絡船の機関長とゆんたくしていたら、船長が必死の形相で機関長を呼びにきた。
 これから船を出すという。
 体の半分がしびれているとおばあが訴えるので、連絡船を出して本島まで連れて行くということだった(幸い、大事には至らなかった)。

 夜中の1時頃にヘリコプターが飛んできたこともある。
 普段は本島で暮らしている方が、島に滞在しているときに急に具合が悪くなり、いざとなれば連絡船が緊急発進してくれるということを知らずに慌てて119番通報をしたらしい。

 そのほか、台風で風にあおられたドアの取っ手に顔をぶつけ、何針も縫うほどの怪我をしたおばあが、連絡船の運航が再開されるまで、学校の保健室にある薬で痛みを我慢したこともある。
 その話を聞いたとき、台風のときは、何がなんでも病気や怪我をしないようにしようと誓ったものだ。

 だんなの歯が痛み出したのは、これから歯医者に行ったらそのまま本島に泊まらねばならない時間だった。
 一夜明ければ治まっているかも…と甘い希望を抱いただんなは我慢することにした。

 ところが夜の間に痛みはさらに激しくなり、翌日ついに大嫌いな歯医者に行こうと決心したものの、なんと連絡船は海況悪化のため欠航。
 その日一日、陸に上ったアザラシのようにのたうちまわるだんなであった。

 我慢の限界を超える前に、行けるときに行っておく。離島での鉄則である。

 でも無医村無医島で最も大事なことは、対処療法ではなく予防だ。
 ここに暮らすようになって数年経った頃にようやくそのことに気づき、以後疲労しすぎないようになった。
 それまでは毎年きまって疲れの溜まる夏の終わりに風邪をひいていたのに、無理をしなくなって以来、バカは風邪をひかないを実証し続けている。先日の首痛は、数年振りの体の故障だったのだ。

 幸い今ではなんともないが、すぐに医者にかかれない事態を味わい、久しぶりに水納島の医療事情を考えることができたのだった。