写真・文/植田正恵

26.女の仕事、男の仕事
月刊アクアネット2005年7月号

 基本的に南方に行くほど女性のほうが働き者だとよく言われる。お金を稼ぐと言う意味ではなく、とにかくいつでも何かしている、という意味であろう。男性は一家の大黒柱とはいえ、暇な時間はぐうたら亭主、かあちゃんがいないと何も出来ない、というイメージだ。実際、沖縄出身の友人が「亭主一人食わせていくのは当たり前」というようなことを言っていたこともある。

 水納島もその例に漏れず女性が働き者だ。共同作業をやるときでも、よーいどんで始めると、たいてい男性陣が1人2人とタバコを吸い始めたり、お茶を飲みに休憩し始める。それでも女性陣はひたすら黙々と仕事をし、ゆんたくしている男性陣をなじるわけでもなく、間違いなく倍以上の時間を働く。

 その作業は気が遠くなるほど地道なものだ。たとえば道の掃除など、鎌と竹箒と一輪車だけで膨大な距離を掃除していく。私からすれば、誰かが草刈機と車を使えば5倍の速さで終わるのに…と思ってしまう。
 ところがおばあ世代の人は機械工具を使う作業は苦手なようで、そういうものは男の人の扱うものという認識も手伝って絶対に手を出そうとしない。車は免許を持ってないから仕方がないにしても、草刈機の扱いなんてそんなに難しくないのだからやってみればいいのに…としばらくは思っていた。
 でも、その後さまざまな共同作業の場面を経験したところ、どうやら男性の仕事、女性の仕事というのが家庭の中でわりときっちり決まっていることがわかってきた。たとえば週3回のゴミ出し、草刈機を使った草刈、網を使った魚取りは男性、行事での炊き出し、道の掃除は女性、というように。能力的には男性が担当している仕事ができる女性もいるし、その逆もあるのだけれど、ある世代以上の人たちを見るとその区別はより一層はっきりしている。そして、お互いに口出ししない代わりに手伝いもしない。

 そして家事が女性の仕事であるために、「ぐうたら亭主」に「働き者の奥さん」の図が必然的に出来上がるのだ。大きな行事のときも、炊き出しが女性の仕事である以上、飲んで騒いでいる男性陣の横で、女性陣はひたすら働いている。そのことに対して一言も文句を言うわけでもなく、ようやく腰を落ち着けて食事をしたと思うまもなく片付けに走り回ることもある。
 越してきた当初は、この光景を見るたびに水納島の女性はかわいそうだなあ、お嫁さんのなり手が少ないのはしょうがないよな、と思っていた。
 ところが繰り返し女性担当の共同作業に参加するにしたがって、噂話に花を咲かせながら料理をしたり、茶々を入れながら草刈するのは、仕事でありつつ世代を超えた女性同士のコミュニケーションの場なのだなと思えるようになってきた。
 それとともに、憂鬱だった作業も、よほど忙しいときでない限り楽しみのひとつになった。作業中のおしゃべりでさんざん亭主をこき下ろしておいて、作業が終わるとその亭主に感謝されるなんてことも醍醐味なのかもしれない。

 もっとも、最近は高齢化・過疎化のために明確に男性の仕事と女性の仕事を区別するのが難しくなってきた。全員総当りで作業に当たらないととても間に合わないのだ。効率的でいいといえばいいものの、なんとなく物足りなく感じてしまうのだった。