写真・文/植田正恵

4.初心忘れるべからず
月刊アクアネット2003年9月号

 夏の水納島は観光客で賑わっている。
 人口50人の島に、多いときは500人以上の日帰り観光客がやってくる。ピーク時には、人の重さで島が1mくらい沈んでいるほどだ(ウソです)。

 でもこれはここ5、6年の話であって、私が遊びに来ていたころは、トップシーズンでもビーチにパラソルがチラホラ立っている程度だった。
 
 都会の人ごみに疲れ、椎名誠の本(といっても主に南の島でのビールと昼寝のくだり)を読んではため息をついていた私は、年に1度、まさに夢のような「食う、飲む、潜る」の三拍子を水納島で満喫していた。

 そんな夢の島に住むようになって9年。
 日々の生活にも慣れ、ふと振り返ってみると、都内で勤めていた頃遠い目をして夢に描いた生活を実際にしていることに気づく。

 ところが、考える葦ならぬ忘れるススキである私は、移住した当初あれほど新鮮な驚きと感動に満ちていた身の回りのことが、いつの間にか当たり前のことと認識し始めている。

 自分の話す単語が沖縄方言なのか共通語だったのか、いまひとつしっかり判別できなくなりつつあるほどだ。

 そうなると、移住した当初の私と同じような新鮮な驚きと感動を求めて島にお越しになる観光客の心を、つい忘れがちになってしまう。

 それではいけない。
 水納島に繰り返し来てくれるゲストの多くは、たまには人ごみを離れて海や自然のそばで暮らしたいという人たちだ。
 彼らにとって居心地がいい島とは?
 その気持ちを理解するべく、たまには自らが観光客となることにしている……というと聞こえはいいが、南の島に居続けた結果、温泉や桜吹雪、紅葉、銀世界を遠い目をして欲するようになってしまっただけという話もある。

 そんな旅先でさまざまな人や景色と出会って感動し、それらについて現地の人たちとユンタクすると、話は自然に自分が住んでいる水納島のことに及ぶ。
 そして、私が旅先で驚いたり感動しているように、現地の人たちも水納島での私の生活に、驚いたりうらやましがったり。
 いわば、驚異と羨望の交換トレードをしているのである。
 そして忘れるススキは、水納島での生活がいかに恵まれているのかということを思い出すことになる。

 ただし、いくら新鮮な驚きといってもモノには限度があるようだ。

 庭で飼っているアヒルを飲み会の際の料理用につぶしているときだった。
 水鳥であるアヒルは羽をむしるのが一苦労なので、数羽ともなると船員さんたちに手伝ってもらって道の傍らでその作業をしている。
 その時たまたま通りかかった日帰りの観光客たちがそれを目にして一言

 「野蛮だねぇ…」

 オイッ!そう思うのは仕方がないにしても、聞こえよがしにいうことはないだろう!!

 と、彼らの配慮の無さに憤ったものの、亜熱帯の海に遊びに来たカップルにとっては、昼日中からこんなところで、美味しいアヒル料理を夢想しつつニヒニヒ笑みを浮かべて羽をむしっている人々なんて、ブードゥー教の儀式なみにつくづく不気味であったに違いない。

 配慮が足りないのはお互い様だったのだ。