写真・文/植田正恵

53.耳をすませば
月刊アクアネット2007年10月号

 水納島では8月が終わる頃、ジーワジーワと聞こえるクロイワツクツク(蝉の一種)が鳴き始める。この声を聞くと夏もそろそろ終わりだねと誰もが思う、季節を感じさせる音だ。
 我々ナイチャーにとっては、小学生の頃の夏休み、ツクツクボウシが鳴き始めると「夏休みの友」をやらなきゃ、という気持ちになったのを思い出す音でもある。
 また11月頃には、ピックイー、ピックイーというサシバ(冬になると渡ってくる猛禽類)の声が聞こえてくる。いよいよ寒くなるなあ、衣替えかな、なんて、サシバ自体の姿が見えなくても思ってしまう。

 十年近く前、夏真っ盛りの水納ビーチで朝から流れていたのは、ラジオ放送の民謡だった。それが5、6年前にはラップ調のJ‐ポップになった。いずれにせよ、朝っぱらからビーチ全体に響く音量で毎日毎日流していた。
 水納小中学校も負けてはいなかった。
 朝7時になると、民宿に泊まっているお客様が「すわ、何事!」と起きてしまうくらいの音量で音楽を流していた。幸い我が家は部落から少し離れているので、飛び起きるほどではなかったけれど。

 こういった音に対する感覚というのは人それぞれで、ビーチにはそういう音楽が、島の学校にはそういう放送がつきものだと思っている人にとっては、何も気にならないのかもしれない。
 逆に、小さな島に静けさを求めてやってくるお客さんの憤りは静かだが大きい。
 たしかに都会の生活で人工的な音の洪水に慣れた耳に、最も心地よいのは自然そのものが奏でる音なのだろう。それは波の音、風の音、鳥たちのさえずり、鳥の声とよく間違えられるヤモリの鳴き声、虫の声などなど、すべてが新鮮で、なおかつはるか昔の記憶の中にあるだけの音に違いない。せっかくその音に浸りに来ているのに、わざわざそれをかき消すような放送…。

 寂しいからせめて音楽でも…と思う気持ちもなんとなくわかる。わかるけれど、人工音のない静けさというものが、こういう小さな島の観光地としてのグレードをアップする要素であることは間違いない。静かさもまたひとつの財産なのだ。

 かくいう私も、客として島に遊びに来ていた頃はそっと耳を澄まし、様々な自然の営みが感じられる音が聞こえることにヨロコビを感じていた。浜辺で波の音を聞いているだけで、「ああ、幸せ」などと遠い目をしてつぶやいたものだった。
 ところが人間は不思議なもので、いざ引っ越してきてみると、あまりの静かさにやや落ち着きを無くしてしまった。波の音や、木々のざわめきがそのままダイレクトに耳に入ってくるうえに、人の活動の音がまったくしないとなると、その音量は耳の中でさらに膨れ上がり、実はものすごい暴風になっていて海が荒れているのでは、と心配になったりする夜もあったほどだ。

 もちろん今ではすっかり慣れて、聞き慣れない人工的な音のほうに過敏に反応してしまう。シーズン中などは、せっかく海辺という自然の中に来ているのにわざわざCDラジカセを持ち歩いて大音量で聴いている若者に辟易することもある。そんなに聴きたきゃヘッドフォンで聴きなさいと、それこそ声を大にして言ってやりたくなるのだった。