写真・文/植田正恵

58.昼間のパパはちょっと違う
月刊アクアネット2008年3月号

  随分前になるけれど、「昼間のパパはちょっと違う〜昼間のパパはいかしてるぅ……♪」という忌野清志郎の歌が流れるCMがあった。普段家では冴えない父ちゃんも、仕事をしているときは一味違うぞ、と子供の目を通した内容の微笑ましい歌だった。

 たしかに都会でサラリーマン生活をしていると、働いている父や母の姿を子供に見せる機会など、ほとんどないといっていい。
 それどころか、通勤に1時間も2時間もかかるところに住んでいて、なおかつ朝は早く夜は遅いとくれば、家で我が子と接するのは、一週間に何時間あるか、という程度なのだろう。子供が長じれば、顔すら合わせない日のほうが多くなるのではあるまいか。

 先日、職人オリンピックに出場した若者を集めた番組を見た。
 物作りの分野で技術を極めている世界の若者たちが、それぞれの分野で技を競いあうものだが、日本の若者はいろんな分野で上位を占めていた。さすがに物作り大国日本と溜飲を下げるとともに、出場者がその道に進んだ理由が実に興味深かった。
 中でも印象に残ったのが「父がその仕事をしている姿を見て、かっこいいと思ったから」というものだ。たしか数人いたはずだ。彼らはみな、親の背中を見て育っているのである。

 通勤に1時間以上もかけて、帰ってくるのは夜遅く、休日は家でゴロゴロという生活では、それはけっして子供には伝えられない世界である。
 子供にしてみたら、いったい親がなんでこんなに疲れているのか分からないわけで、勉強して世の中に出て、一生懸命働いている結果がそれでは、子供たちが将来に夢をもてなくなってしまうのも仕方がない。

 その点水納島では、海の家、民宿、船員さん、農家などなど職業は違うけれど、子供たちは絶えず働く親の姿を見ている。背中どころか、頭のてっぺんから足の先まで、体じゅうを見て育つ。職場と家庭の距離があまりにも近いからだ。

 そしてある程度の齢になると、見るだけではなく「お手伝い」することになる。
 毎日親のする仕事を見て、実際に経験して、その仕事がいったいどういうものなのかということを身をもって知ることになるのだ。
 またその中で、親がその仕事に対してどのように考えているのかも見えてくる。誇りを持っている、やりがいを持っている、あるいはしょうがなく(?)やっている、そういったことを、たとえ言葉で語られなくとも、肌で感じとっているのである。

 そうやって大人になっていくからこそ、自分もあんな仕事がしたいと思う子もいれば、苦労をしている親の姿を見て、あの仕事だけはしたくない、と思うこともあるかもしれないけれど、その苦労に対する感謝の気持ちは、間違いなく子供たちの心で育まれている。

 現在水納小学校2年生の少年が昨年作った俳句のひとつに、こういうのがあった。

 「日焼けした ぼくの父さん かっこいい」

 けっして、この少年の父ちゃんが無理やり書かせたものではない。この少年の父ちゃんはビーチで監視員もしているので、シーズン中は備長炭よりも真っ黒なのだ。その姿が、子供心にとても頼もしくかっこよく見えたのだろう。実に素直で素晴らしい句ではないか。

 島の子供たちは、「かっこいい昼間のパパ」もちゃ〜んと見ているのであった。