写真・文/植田正恵

66.昔も今も地産地消
月刊アクアネット2008年11月号

 

 巷では食品の偽装事件が相次いでいる。
 なかでも工業用の米を食用と偽って流通させていた業者がいたのは、大規模かつショッキングな事件だった。
 好奇心を抑えられず、以前勤めていた水族館では飼育していた動物の餌を食べてみたり、我が家ではオウムの餌を試食してみたりしたことがある私が言うのもなんだけど、工業用ですよ、工業用。仮に味がそこそこであったとしても、食品を与るものとして、そういうものを平気で流通させてしまえる神経が理解できない。

 その昔の水納島では、ほぼ自給自足の生活だった。
 ひところは各家庭にいたというブタは、生まれ育ってから人々の胃袋に納まるまで、すべて島内で完結していた。小さな島で、なおかつ冬場は基本的に暇でのんびり観察する時間がたっぷりあるものだから、いつ生まれ、誰がどうやって育て、どのようにさばかれたのか、消費する側もちゃんと承知していたようだ。

 ブタも牛もすでに廃れてしまいはしたものの、ヤギなどを食べる場合も、やっぱり若いメスの肉はうまいとか、硬すぎるのは年取っているからだとか、思ったとおり脂肪が少ない、なんて感想が異口同音に出てくるのも昔ながらのことなのだろう。

 めいめいが獲ってきて肴にする魚介類は、種類によって獲りやすい季節や脂が乗っておいしい季節がある。
 それは島民なら誰もが知っているため、季節や料理法をはずすと、酒の席でもてなされている側の人間からしっかりブーイングが出るのがおもしろい。

 野菜や果物も然り。何かの機会に島民が作った作物を持ち寄れば、見た目から味まで、微にいり細をうがつホットな話題になる。いつ頃植えた、肥料の種類は、なんという品種だ、と野菜一つで話題には事欠かない。
 ことほどさように、生産者(漁獲者)と消費者が顔見知りで、直接感想や希望をやり取りできているわけである。

 海幸山幸いずれも、地元で取れたものを地元で消費する。流通の手間や時間もかからず、おいしい時期に新鮮なものをその場でいただける。地産地消という言葉が今流行っているけれど、そんな言葉が流行る前から、水納島では望むと望まざるとにかかわらず、当たり前に実践されていたのである。おそらくこの姿はその究極なのだと思う。

 ところが、保存方法や交通手段が格段に進歩した今、ついには水納島にいてさえも、北海道の厚岸産の生牡蠣が食べたくなったら、場合によっては2日後に食べることが可能になってしまった。
 これは大変便利で魅力的なシステムなのだけれど、当然水納島に届くまでに、多くの業者や人の手を介することになる。平気で工業用の米を食品として流通させる業者がいる今の世の中、その流通経路のどこかで理解不能の不正が行われる可能性がないとは限らない。もしかしたら広島産の冷凍牡蠣を解凍したものかもしれない。下手をしたら、殻だけ牡蠣で中身は違う貝かもしれない。
 それでも普段食べなれていないから、「こんなものかな?」と思って我々は普通に食べてしまうかもしれないのだ。

 それに比べて、自分たちで獲ったり作ったりしたものを食べる安心感ときたら…。
 ひまな季節には、畑や海を眺め回し、今日は何を食べようかなあ、そろそろあれが美味しい季節だよなあ、なんて思いながら過ごす日も多い。私にとって水納島は、新鮮で美味しいものがいつも揃っている、偽装の心配のない大きなスーパーマーケットなのである。