写真・文/植田正恵

68.においと連想
月刊アクアネット2009年1月号

 

 シーズンオフに入って時間に余裕ができると、昼食後に散歩をするのが日課になる。
 健康のためもあるし、ビーチコーミングをするためもあるし、畑その他の縄張り(?)チェックのためでもある。
 そんな散歩のとき、部落のどこからか魚の揚げ物や豚の角煮のにおいがしてくると「あれ?明日何かあるのかな?」と思ってしまう。

 水納島では法事の際、出席者に折り詰めを渡すのだけれど、その中身は伝統的にほぼ統一されており、三枚肉の煮物(豚の角煮)、秋刀魚の揚げ物、島産の魚の揚げ物、たこの刺身、かまぼこ、ドーナツのような揚げ菓子、まる餅(米の粉で作った平たくて丸い餅)、揚げ豆腐、結び昆布、といったあたりが定番で、それにプラスアルファがつくこともある。

 これらのほとんどを家庭で手作りするので、揚げ物、煮物は当然前日に作ることになるから、冒頭の「あれ?」につながるわけだ。
 お彼岸やお盆のお供え物も似た感じの品揃えなのだけれど、こちらは暦で分かるので、むしろどこからともなく漂ってくるにおいのおかげで「ああそうか、そろそろお彼岸だった」と気づくことになる。

 また、以前シンメーナービーの稿で触れたように、モクマオウの薪の香りと茹でられている獲物の魚介類の混然となったにおいも、大潮でみんな潮干狩りに行ったんだなあ、とその様子を思い浮かべてしみじみできる。
 ことほどさようににおいというのは、何かを連想する重要な要素だと思う。

 思い起こせば、庭に咲く沈丁花や水仙の花のにおいがすると、春が近くなったからそろそろオタマジャクシを捕まえにいこうとか、乾燥した地面に雨水がたたきつけられて立ち上る夕立後の湿気を帯びた埃っぽいにおいで、夏だなあと感じることもあった。些細なことではあるけれど、においから連想されることはたくさんあるはずだ。

 そういえば水納島に引越して来る前、ダイビングをしに通っていた伊豆半島では、季節になると車で近くを通るだけでも、天日で干されている鯵のえもいわれぬにおいがしたものだ。きっとこの辺に住んでいる人にとっては、毎年季節を感じるにおいだろう。そしてそれ以上に、故郷を離れた人間には、懐かしいふるさとのにおいとして強烈にインプットされているはずだ。

 ところが田舎住まいがブームとなっている昨今では、田舎の海辺に憧れて暮らし始めたはいいものの、そういった干物のにおいがクサイといって苦情を言う人たちがけっこういるとも聞く。その土地、その季節の香りやにおいというものも含めて田舎の生活なのだということが、抗菌&デオドランド都市生活者たちにはわからないのだろう。

 冒頭の魚の揚げ物や豚の角煮の匂いは、間違いなく人が集まる予告のにおいだ。女性陣が気合を入れている合図でもある。
 聞くところによると、こういった料理を手作りで準備するところは、沖縄の田舎であってさえ少なくなっているという。なんだか素敵なにおいが減っていってしまっているようで寂しい限りだ。大変だろうけれど、水納島ではぜひ続けて欲しいと思うのだった。