写真・文/植田正恵

80.日常と「人前」
月刊アクアネット2010年1月号

 

 つつがなく年が明け、この1月号が出る頃には年賀状のやりとりも終わっていることだろう。
 ちなみに水納島のような小さな島では、年が明けて3日もすれば、全島民と新年の挨拶を交わし終えている。
 なにせ人口が学校の1クラスくらいだから…。

 私が小・中学生だった頃、1クラスには40人もいて、そこで何かを発表するというのはけっこう緊張するものだった。ましてや500人を越す全校生徒の前でともなると、かなり重要な一仕事、という感じだった。
 ただし、そういったことを皆の前でやらなければならない機会というのは、逆に人数が多い分滅多にないことでもあった。

 ところが水納島の小中学生はそんなことは言っていられない。
 全児童生徒合計5名だから、何かあれば誰もが即座に学校代表だ。そしてことあるごとに人前で意見を発表し、歌を歌い、感想を述べなければならない。
 家族同然の島民の前だったらさほど緊張はしないのかと思いきやそうでもないらしく、普段の様子と「人前」での様子がまったく違って面白い。どれほどそういう機会があっても、けっして慣れることはないらしい。

 ではその親世代以上の人はどうかというと、水納島の人たちはそのほとんどが人前ではなるべくしゃべりたくない派だ。
 集まってゆんたくしているときに話すのは得意なのに、それがただそこで起立して話すだけでも「人前」になり、途端に別キャラになってしまう。

 とにかくシャイなのである。
 だから島の行事などで挨拶をしなければならなくなると、彼らにとってはそれがとてもストレスになるらしい。PTA会長の仕事を交代で引き受けるのはやぶさかではないけれど、卒業式や運動会などの行事ごとに挨拶をするのは嫌だ、というように(それくらいしか会長の仕事はないんだけど……)。

 そういうこともあって、人前でしゃべるのがさほど苦ではない人間はとても重宝がられる。我が家のだんななどは、時々島の行事の司会者を頼まれることがあるし、数年前は島出身者の結婚式で、乾杯の音頭をとったりもした。
 みんなは、そういうのを肴にしつつ、やいのやいの言いながら傍らで酒を飲んでいるのが楽しめる場であるわけだ。

 普段の生活だけならそれはそれでいいとしても、観光業で生活しているのにこれでいいのかなあ、とふと思うときもあった。
 まったく知らない人に対するときも、「人前」と同じ状態になるのである。我々はそれがみなさんのシャイな性格ゆえの照れ隠しだということはわかっても、来島する数々のお客さんにとってはどうなのだろう。
 シャイゆえの愛想のなさが、一昔前の中国人のウエイトレスに初めて接したときなみの衝撃を、お客さんに与えてはいないだろうか。

 もっとも、何度も島に通うようになると、気心が知れてお客さんも事情をよく理解してくれているし、島民にとっても「まったく知らない人」ではないから普通に会話も成立して、そんな心配はしなくてよくなる。
 ようするに、その人にとって相手が自分の心の内側にいるか外側にいるかで、対応がまったく変わるのだ。

 だからといって無愛想なサービス業でいいって話ではないけれど、ペラペラと弁は立つけどそのくせ中身なしといった都会に数多い人間よりはよほどいいかも、と最近では思うようになっている。
 それが「島の味」というモノなのかもしれない。