甲幅 30cm
水納島に越してきたばかりの頃、オフシーズンになってから、水納島婦人部企画の八重山旅行に参加した。
当初は西表島に2泊する予定だったものが、おばあ方面から「何もないさぁ…」というクレームが続出し、2泊目は石垣島になったりもした(何もない度では1歩も引けをとらない水納島からわざわざ何もない島に行くこともないのになぁ…と最初から私も思ってはいたけれど)。
その1泊目の西表の民宿で、夕食の膳にノコギリガザミが上った。
おっ、すごい!
と喜んだのは私くらいのもので、泥臭いからとおばあたちはほとんど手付かずで残していた。
冷凍物だったせいか、食べてみるとたしかに大喜びするほど美味しくはなかったし、おばあたちが言うように少しばかり泥臭かった。
それでもノコギリガザミなんていったら、陸水が流れ込む汽水域の健全なマングローブ環境にしか住めないものだろうから、こりゃあご当地ならでは、貴重なものを食べたなあ、それもみんなの分までいただいちゃったし…と1人でほくそえんでいたものだった。
陸水環境がまったくない水納島には、いわゆる汽水域というものがなく、当然ながらマングローブ域がないし、そういう環境を好む食用巨大ガザミは、残念ながらいるはずがない…
…と思っていたのだけれど。
なにげに水納島では、ガザミが安定的に捕獲されているのである。
しばらくは誰もが忘れていたようなのだけど、今世紀になってからふと思いついたのか、島のタコ獲り名人が干潟に繰り出し、あれよあれよという間に見事なサイズのアミメノコギリガザミを6匹もゲットしてきたのだ。
にわかにガザミバブルとなったタコ獲り名人からそのうちの1匹をおすそ分けしてもらい、ちゃんと泥抜きをしてから鍋にしたら、たっぷりの身はホコホコしてとっても美味しかった。
でっかいだけに食いでがあって、殻を剥く労力のわりには身が淋しいタイワンガザミに比べれば、月とスッポンの充実度だ。
あまりの美味さに、その後我も続けとばかり干潟へ繰り出したものの、目につくのは手のひらサイズの小さなものばかりで、2匹目のドジョウならぬガザミは影も形も見当たらなかった。
その後も件のタコ獲り名人は気が向くとガザミサーチに出掛け、それなりにコンスタントにゲットしているようだ。
ということは、陸水環境が無い水納島にアミメノコギリガザミが生息している、ということでもある。
今でこそ瀬底経由で本島から水道水が海底を伝って島まで届いているけれど、そんなものが無かった昔の島の人々は、天水と井戸水を利用していた。
潮の干満によっては海水混じりになるとはいえ、井戸があるということは地下水脈があるということでもある。
そのあたりに詳しい知人によると、水納島は隆起石灰岩の島だから、表層を通った天水は地下で貯水され、余剰分が恒常的に海に流れ出ていることにより、いわゆる「汽水域」ができているのではなかろうか、ということだった。
タコ獲り名人にガザミの巣穴発見のコツを教わりつつ、その後もオフシーズンなどにおりをみてガザミチェックをするのだけれど、今に至るも1匹もゲットしたことはない。
自分ではゲットできないかわりに、たまにお裾分けはいただいている。
せっかくいただくからには最も美味しいとされる方法で食べてみよう、ということで調べたところ、何にも増してカニが美味しくなるのは蒸し料理なのだそうだ。
さっそくやってみたところ……
ボォ~ノ!
なんの味付けもせず、ただ蒸しただけだというのに、なんともはや、これは美味しいや。
マングローブ域はなにかにつけ埋め立てしやすい地形のため、現在の沖縄本島ではわずかなエリアにしか残されていない。
失ってしまってから、マングローブをはじめとする汽水域の大切さを謳い、保護・保全の必要性が語られることも多くなっている。
でもただ「環境保護」という言葉だけでは、人の心は容易に動かない。
そんな環境が見の周りに当たり前にあれば、このように美味しいカニがいくらでも食べられるのですよ…と伝えたほうが、よほど効果がある気がする。
即物的とおっしゃることなかれ、こういったことはたいていの場合、No right No delight なのである。
※ちなみに冒頭の写真は、タコ獲り名人がゲットしたあとのもので、すでに虫の息、つまりはヤラセです、ハイ。
しかし死ぬまで全力で生きる野生の気高さ、その大きなハサミ脚を振り上げ、あくまでも戦う姿勢を見せるアミメノコギリガザミ。
私たちはこのような「生命」をいただいて生きている…ということを忘れてはならない。