エビカニ倶楽部

キンチャクガニ

甲幅 10mm

 今や帝国化して飛ぶ鳥を…というか泳ぎ回る魚を落とす勢いすらあるエビカニ変態社会ではあるけれど、ナデシコカクレエビの稿でもチラと触れたように、90年代初頭ではまだ、黒船来航前の横浜なみに、鄙びた漁村でしかなかった。

 そんな横浜が異人向けに開かれるやみるみるうちに日本有数の大都会になっていったように、エビカニ村もその後一気に隆盛の時代を迎えることとなった。

 そのきっかけとなったエビカニ類のひとつがこのキンチャクガニである、といっても過言ではない。

 フリソデエビとともに、「石をめくればこんなエビやカニがいるんだ!」ということを教えてくれたと同時に、キンチャクガニときたら両のハサミにイソギンチャクを持っているという、初めて知ったら誰もが瞠目する際立った存在感を放つ。

 このイソギンチャクには、「カニハサミイソギンチャク」という思いっきり受動的な和名がつけられている(キンチャクガニが挟むイソギンチャクには、他に数種あるらしい)。

 このイソギンチャクはハサミにくっついているわけではなく、キンチャクガニが能動的に挟んでいる。

 両のハサミでイソギンチャクを持ち、それを振りかざすものだから、見ようによってはチアリーダーが手にしているボンボンに見えなくもない。

 このイソギンチャクでもってキンチャクガニは身を守るようにしているらしく、右に左にフリフリさせてイソギンチャクを向けてくるし…

 …正面に構えているときでもイソギンチャクを体の前に突き出していることが多い。

 ただ、かつてキンチャクガニが大ブームになった頃、石の下から見つけたこのカニを撮影中のゲストは、横から音もなくフラリと現れたオグロトラギスに、シュッ…とひと飲みでカニがゲットされてしまった瞬間を見る羽目になった、ということもある。

 カニハサミイソギンチャク、少なくともオグロトラギスには防御兵器としてまったく役に立ってはいないのかも…(タコには効き目があるという説アリ)。

 イソギンチャクを挟んでいるという不思議な生態だけではなく、キンチャクガニは石の下にいるわりにはとてもきれいな色彩で、背中から見ても実に美しいカニさんだ。

 現在はエラそうに「石の下の環境保全協会」を立ち上げているなどと嘯いている私ではあるけれど、当然ながらというか恥ずかしながらというか、キンチャクガニブーム出来時には目の色を変えて探したものだった。

 初めて発見したときはもちろん感動もので、実際にソーッと指を近づけてみると、自慢のイソギンチャクをフリフリしながら突き出してきた。

 こりゃたしかに文句なしにカワイイ♪

 このかわいさをぜひ写真に撮らねば、とファインダーを覗くと…

 …え゛ッ!?

 キンチャクガニの顔って…

 …かわいくない!

 色もサイズも仕草も可愛いのに、何が可愛くないって…

 この眼。

 まるで背後に立とうとした者を睨みつけるゴルゴ13のようではないですか。

 もっとも、ゴルゴ13がポンポン持って踊っている…と思うとそれはそれで「プププッ…」級に笑えるけれど。

 その後長い間「キンチャクガニはゴルゴの眼」と認定していたところ、このゴルゴズアイも観ようによってはゴキゲンアイに変わることを知った。

 キンチャクガニを下から仰ぎ見ると…

 ニコニコお目目♪

 名づけてゴルゴスマイル。

 こんな目をしつつも、お腹に卵をたくさん抱えていることもある。

 キンチャクゴルゴは、時に身重にもなるのだ。

 ところで、キンチャクガニも他のカニたち同様卵から孵化した直後は浮遊幼生時代を過ごすのだろうけど、稚ガニとなって着底したあと、いったいどういうタイミングでイソギンチャクを挟むようになるのだろう?

 共生ハゼ類の幼魚たちが、おあつらえ向きに幼く小さな共生エビとセットになっていることがあるように、カニハサミイソギンチャクたちにもちゃんと稚ガニサイズ用チビチビイソギンチャクがいるのだろうか?

 これまで、片方のハサミにだけイソギンチャク、というのは観たことがあるけれど…

 …両方のハサミとも手ぶらというのは観たことがなく、これまでの人生最小記録である甲幅5mmのものでも、ちゃんとイソギンチャクを両のハサミに挟んでいたキンチャクガニ。

 カニハサミイソギンチャクは、キンチャクガニが困らないくらいに、石の下の環境には大小問わずフツーに生息しているものなのだろうか。

 気になったのでざっと調べてみたところ、なんとカニハサミイソギンチャクに関しては、発見されているのはキンチャクガニに挟まれているものだけで、フリー状態のものはいまだに観察例がないのだそうだ。

 そのためこのイソギンチャクがいったいどこでどのように繁殖しているのか、まったくわかっていないという。

 ただキンチャクガニに挟まれているだけかと思いきや、峰不二子なみに謎に包まれたイソギンチャクだったのだ。

 ナショナルジオグラフィックの記事によると、イソギンチャクを2つ挟んでいるキンチャクガニと、イソギンチャクを1つも持たないキンチャクガニを水槽に入れたところ、100パーセントの確率で、持っていない方が持っているほうからイソギンチャクを1つ奪い取る結果になったそうな。

 また、ナショジの同記事によれば、野生個体が両のハサミに持っているイソギンチャクのDNA分析をおこなったところ、どの個体でも左右のハサミで挟んでいるイソギンチャクは同じDNA、すなわちクローンであることが判明したという。

 それはすなわち、1つのイソギンチャクをカニが2つにしている、ということにほかならない。

 そしてさらに、周辺の別個体のイソギンチャクたちはいずれもかなり近似のDNAということがわかったそうだ。

 その周辺でキンチャクガニがイソギンチャク争奪戦を繰り広げると同時に、イソギンチャクはクローンをせっせと生み出していく…という図が成り立っているということになる。

 卵が先か鶏が先か的話になれば、ではそもそもカニハサミイソギンチャクはどこから?ということになるわけだけど、ひょっとすると何かがどうにかしてたまたまキンチャクガニが利用するようになった遥かな太古以来、ずーっと続いている図式だったりして…。

 昔から有名なカニなのに、いまだナゾが多いキンチャクガニ(とイソギンチャク)。

 石の下にも3年、めくりたいのはヤマヤマながら、石の下の環境保全協会としては、グッと堪えるしかないのだった。