12・暁の出雲大社
出雲で一晩を過ごして迎えた2月13日。 時刻は朝食前、まだ夜も明けきらぬ朝6時過ぎに遡る。 沖縄ほどではないにしろ、出雲ほど西になると朝6時過ぎといっても東の空がようやく白み始めている程度で、ほぼほぼ夜だ。 そんな時間に我々は、アヤシく町に繰り出した。
目指すはもちろん、早朝の出雲大社。 ひっそり静まり返る神迎の道をゆき、再び勢溜の鳥居をくぐる。 ふりかえると、街はまだ夜景だ。
こんな時間から出雲大社を訪れるヒトなんて、他に誰もいないだろう…… …と思いきや。 朝の出雲大社は、地元のみなさんのウォーキングコースになっているらしく、どうみても参拝客とは思えない装いの年配のご夫婦が鳥居をくぐり、仲良くテクテクと心地よさそうに参道の先へと去っていった。
早起き仲間同士という連帯感なのか、知り合いでもあるかのように挨拶をしてくれたのが面白かった。 緑色に見える街灯は蛍光灯の波長のためで、肉眼では弱めの昼光色になっている。 この下り坂の参道の途中にある祓社は、暖色でライトアップされ、昼間とは違った風情を見せていた。
朝暗いうちに来ても真っ暗なだけだったらどうしよう…と心配していたところ、祓社にこうして灯がともっているということは、この先にも期待できるかも。 ほのかに灯がともる静かな静かな松林を抜けると、手水舎もまた、昼間とは雰囲気が違っていた。
手水舎で手と口を浄め、いよいよ最後の鳥居をくぐる。
この時点でふと覚えた違和感の正体に気がついたのは、鳥居をくぐったあとのことだった。 拝殿の中に、灯がともっている!!
日中の拝殿内は照明をつけていないから、明るい外から中を見ても、暗くてほとんど何も見えない。 ところが外が暗い今、照明がともる拝殿の中を覗いてみると…
なるほど、中はこうなっているのか。 これだけでも相当神秘的だというのに、実は先ほどから地鳴りのように低いリズムで太鼓を打つ音が境内に響き始めていた。
音の出どころはもちろんこの拝殿だ。
出雲大社・拝殿〜朝のおつとめ〜 CDで済ませているかもしれないチープな神社とは違って、出雲大社はもちろんのこと生演奏(?)だ。
大太鼓と小太鼓(?)双方をたたいている神職さんの演奏(?)をお聴きください。
出雲大社・拝殿〜奏者のアップ〜 いやあ、これだけでもう、朝早くにここに来た甲斐があるというもの。 太鼓ってやっぱり本能に訴える何かがあるのか、こういう場所で聴かせていただくと、なんだか魂が揺さぶられるような気さえする。
でも神職さんにとっては日常のこと。 暖冬と言われている今でさえこの寒さだもの、厳寒の日には相当厳しそうだ。 太鼓の音で魂が洗われたあと、八足門前に進むと……
提灯が灯っていた。 閑散期でさえツアー客がゾロゾロくる昼間とは、まったく違う姿がここにある。 夕方も静かでよかったけれど、なんというか、冬の朝ならではのピン…と張りつめた空気感が、出雲大社という空間に身を置くに際しては最もふさわしい気がする。 この早朝の八足門、提灯のほかにも昼間と違うところがある。 この数分後の神職さんの作業で気がついたその違いとは。 夜間の八足門の空間部分には、白い布切れが下がっていないのだ。
このあと神職さんが来てここに白い布をかけ……
丁寧にクルクルと巻いて、双方の布を両サイドに斜めにかかるようにしたあと、末端ちょい手前を紐で縛る。 なので昼間は↓こうなっている。
ちなみに奥に見えるのが楼門で、そのさらに奥に見えているのが、本殿の階段(本殿の階段もなぜだか右にずれている)。 八足門から東十九社のほうに行くと、昨夕警備員さんが教えてくれたとおり、そこから先はもう立ち入り禁止区域ではなくなっていた。
十九社も昼間とは異なる雰囲気を見せつつも、決定的に感動的に、厳かかつ静かに朝の姿を見せてくれているのがこちら。
ご本殿&周囲の摂社たち。 生でこの場で見上げる本殿の姿は、高さが24メートルだとか昔は48メートルだったとか、そういった物理的なサイズとは関係ない部分で、まったくもって巨大だ。 そんな建造物が、東雲へとうつろい変わりつつある空に照らされ、暁色に染まっていく……。 オタマサ、静かに涙を流し感動するの図。 裏側からも、なるべく高くカメラを持ち上げ、阿部寛目線で撮ってみた。
何かの遺跡群のようにすら見える……。 という目で観ているワタシにとって、この空間にウサギさんのオブジェなんて、まったく必要ないんだけど……世の中の需要は全然違うんですかね。 本殿真裏に行くと、素鵞社もまた朱に染まっていた。
出雲大社の背後は山になっていて、この素鵞社の背後にあった例の岩盤は、その山の一部なのだそうだ。 八雲山と呼ばれるその山は、なんぴとたりとも入山できない禁足地になっているという。 神道が今のような形に整う以前は、神々とは人工物である社(屋代)にお見えになるものではなく、天然自然のあらゆるものが依り代とされていて、八雲山は山そのものが神々の依るところと認定されていたのである。 いわば、出雲地方における聖地中の聖地。 素鵞社のすぐ背後に迫っているあの岩は、この聖地中の聖地である八雲山の岩、すなわち神々が依る磐座なのである。
中世の数百年間は、出雲大社に祀られているのは素戔嗚尊だとずっと信じられていたそうな。 なるほど、ただの岩肌ではなかったのですね……。 心改めて再度磐座にも詣でることにした。
ご神体をナデナデして、オタマサ、お利口さんになれるかな? ……手遅れかも。 ところがいきなり効果が出たのか、いつにない冴えを見せたオタマサは、昨日の昼間に観た磐座との違いに気がついた。 お賽銭が片づけられている!! 毎日キチンと処理しているのだろうか。 この磐座も、ちゃんと出雲大社の重要な賽銭箱の役目を果たしているらしい…。 再び回廊に戻り、ご本殿を仰ぎ見る。
仰ぎ見る。
仰ぎ見る。
…そして首が痛くなる。 この頃にはもう空はすっかり明るくなり、灯りの消えた拝殿や八足門前には、参拝客の姿もちらほら見え始めていた。 どうせだったらもう少し早く来たほうがよりいっそうステキですよ…と教えてあげたくなる。 その昔、清少納言が「冬はつとめて」と言っていたけれど、冬の出雲大社も早朝が素晴らしい。 でも。 パワースポットブームの今、朝の出雲大社がいいなんて話が広まってしまったら、朝マックならぬ「朝タイシャ!」なんて言葉が生まれてしまうかもしれない……。
いやあ出雲大社、いいもの見させていただきました。 パワースポットであれ、祟り封印装置であれ、神々の屋代であれ、なんであれ、出雲大社は、訪れる人、観る人それぞれが信じるものであればいいのだ。 それにしても、こんなにたくさんの木造建築物、いざというときの消防はどうなっているんだろう? …と思ったら。 社務所の玄関脇に、とある小さな赤い車が。
ブラタモリ風に頭の上に「!」を付けつつ近づいてみると、はたしてこの車は……
ミニミニ消防車なのだった。 ホースの先も、出雲大社仕様(?)で保護されている。
目に見えない災厄は神々の力で退散させることができても、現実的な被害はこういった装備で食い止めなければならない。 プチプチトマト号なみのサイズながら、これ1台あればもう出雲大社に火災の心配はない…… ……って、戦後間もない頃には拝殿が焼けちゃったりした大火災があったというのに、ホントにこの子1台で大丈夫なんでしょうか?? 「大丈夫なのである。」 と、まるでウサギさんを諭すような優しげな声で、大国主神がオタマサに応えてくれた。
途端にウサギ化するオタマサ。 ヒトッコヒトリーヌな参道の坂を登って、再び鳥居に戻ってきた。
すると、東の空が赤く色づいている? 鳥居のあたりから観てみると……
八雲立つ 出雲の旭日 ルルラララ。 出雲大社の見納めにふさわしい、素晴らしき大団円である。
またすぐこのあとここを通りかかるけど……。 |