水納島の魚たち

ミツボシモチノウオ

全長 20cm

 今でこそミツボシモチノウオなんていう立派な和名が付いているけれど、90年代になってようやく沖縄あたりから日本における生息確認情報が出てきた程度で、前世紀末の97年に刊行されたヤマケイの「日本の海水魚」では、「稀種」とまで書かれているほどだった。

 写真などによる現地報告があるだけで、当時はまだ標本が得られていなかったため、誰も研究に着手できない=和名はつけられないまま、業界では長らく英名でスヌーティー・マオリー・ラスと呼ばれていた。

 ラス(wrass)というのはベラのことで、マオリーラスというとモチノウオの仲間たちのことになる。

 南洋のマオリ族が施すイレズミと、一般的なモチノウオ類の模様が似ているということだろうか。

 モチノウオといえば誰しも真っ先に思い浮かべるのはナポレオンことメガネモチノウオであろううけれど、「真っ先」のあとがなかなか続かないヒトが多い地味なグループでもある。

 そんななかにあって、このまだ和名が無い「稀種」扱いのモチノウオは、一部の変態社会ダイバー限定の脚光を浴びる存在となっていたものだ。

 けれどそれはあくまでも「スヌーティー」だったからこそ。

 晴れて和名がつけられ、その後刊行された図鑑にフツーに載るようになると、タダのベラ、いや、地味なモチノウオ類でもひときわ地味だから、タダをさらに下回る位置にポジションチェンジ。

 なので今の世に「是非彼を見てみたい!」なんてヒトなどそれこそ「稀種」で、「知る人ぞ知るベラ」だったミツボシモチノウオは、晴れて名前がついた途端、「知るヒトがいないベラ」になってしまったのだった。

 和名がつけられていなかった頃もつけられたあとも、水納島のミツボシモチノウオは、リーフ上や砂地が始まる前の転石ゾーンあたりといった浅いところをウロウロしている。

 基本的に神経質な魚ながら、以前は傍で観ている目の前でウミシダの間に潜む何かを求めて激しく顔を突っ込んだりしていたこともあった(下の写真は、顔を突っ込む前。突っ込んでいる最中は撮れなかった…)。

 ところが近年のミツボシモチノウオは警戒心に磨きがかかっているかのようで、ちょっとやそっとじゃ近寄らせてくれないものが多くなっている。

 思い起こせば、その「以前」というのは98年のサンゴの白化以後のリーフ際壊滅時代のことで、ミツボシモチノウオ的には慢性的なエサ不足によるなりふり構わぬ狂暴化時代だったのかもしれない。

 リーフのサンゴがドンと復活している近年は、エサが豊富だからかミツボシモチノウオたちはなりふりを構うようになっていて、前述のとおりなかなか近寄らせてはくれない。

 それでもときどきお利口さんがいてくれて、多少はお付き合いしてくれる。

 フィルムで撮っていた頃(冒頭の写真)には、どのミツボシモチノウオを撮っても茶色味が強く、このように赤っぽくは写らなかったことを考えると、この色味はデジタル画像ならではなのかもしれない。

 海中で観る彼らはこんなに派手ではなく、やはり茶色っぽく見える。

 スイスイ泳いでいるときはこういう色をしていても、海底に降りてエサを物色するときなどは……

 あっという間に随分淡い色になり(同じ個体です)、フクザツな模様が浮き出てくる(体後半にうっすらと見える3つの黒点が「ミツボシ」の由来らしい)。

 そうかと思えば、老成魚だからか、随分ダークな個体もいる。

 濃いか淡いかの違いはあれど、これといって特徴的な模様があるわけでもないミツボシモチノウオは、雌雄でもさほどの違いはない。

 5cmほどの小さな頃↓も、体色にはほとんど違いがない(さらに小さいと尾ビレあたりの色が異なるらしい)。

 基本的に地味、それでいて警戒心最強クラス、成幼の色味の差に劇的な見せ場もないミツボシモチノウオ、これらすべてをひっくるめた地味っぷりは、ある意味「劇的」ですらある。

 そんな地味地味ジミーな魚を見かけるたびに今もなお「お…」となってしまうのは、日本の海から写真で報告され始めたスヌーティー・マオリーラス時代のときめきの名残りなのかもしれない。

 妙なときめきは、いわば前世紀の遺物ということか……。

 追記(2021年7月)

 リーフ際でフツーに観られるわりには、それまで産卵行動を一度も観たことが無かったのだけど、今年(2021年)5月にようやくその機会を得た。

 水温が上昇し始める5月はいろんな魚たちが盛り上がってくる季節だから、リーフ際のベラ類たちもなにかと張り切っている。

 そんなハリキリモードの魚たちのなかに、ミツボシモチノウオもいた。

 普段は警戒心最強のくせに、逃げるよりもメスの気を引くことを優先していたオス。

 顔に散りばめられている白点は興奮モードの印なんだろうか、卵でポッコリとお腹が膨らんでいるメスの周りでアヤシゲな動きをしていた。

 やがて…

 オスがメスをリードする形で、ゆっくりリーフ上から上昇し始めた。

 この動きは間違いなく、産卵へと至る動きだ。

 しかしこの時はメスの気分がまだ盛り上がり切らなかったのか、途中でトーンダウン。

 気をそがれたオスは、その場で……

 …天に向かって無情を嘆く。

 けれどやなぎ腰でもおよび腰でもなく、ねばり腰の彼らは、一度や二度フラれたくらいでは諦めない。

 再びメスの気を引き始めると、ようやくメスの気分が盛り上がってきたらしい。

 もう離さない、とばかりに、両の腹ビレでそっとメスを抱え込み、ゆっくり上昇し始める。

 このあたりはやはりモチノウオ類らしく、同じベラでもヤマブキベラやクギベラなどのように、せわしげにチャカチャカ動きまくるベラたちとはひと味違う。

 そしてそっとメスを抱きかかえたまま(?)…

 仰角30度ほどでゆるやかに上昇。

 そして上の写真の0.5秒後に、プシュッと産卵・放精を終えたのだった(撮るタイミングをはずした…)。

 このテの魚たちは、あまりに近づきすぎると産卵を止めちゃうものだから、なるべく邪魔にならないよう遠目から遠慮がちに観ていたところ、「産卵する!」と決めた後産卵までの2秒くらいなら、たとえ近づいてもそのまま産卵するに違いない。

 次回また機会に恵まれたら、その2秒に挑戦してみよう。

 追記(2022年6月)

 画像ではないものの、その「2秒間」のチャンスを記録に残せた。

 同じメスと2度行っているのか、それとも1度目はフェイントだったのかは定かならないものの、ここに至るまでオスはずっと中層でメスを誘うための「ミツボシの舞」を続けていただけに、確実に産卵に至ってよかったよかった。