●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2011年9月号
今年の春先にイタリアを旅した。
人生初イタリア、いや、それどころか初ヨーロッパだったので、見るもの聞くもの口にするものすべてオドロキの連続だった。
とりわけアパートに必ずといっていいほどきれいに花が飾られている出窓があることに感心した。そこから人々は町を眺めたり、隣の住人や、階下の人とのおしゃべりに興じているのだ。
イタリア在住の邦人に聞いたところ、イタリア人にとってアパートの出窓は、コミュニケーションを取るためにも重要なものらしい。
沖縄の昔ながらの家も独特のつくりで、初めてそういった家々が残っているところに行ったときは、まるで異国へ、もしくは昔へタイムスリップしてしまったような不思議な感覚を抱いてしまったくらいだ。
そんな気持ちを抱かせるようなとても古いお家は水納島では数えるほどになってしまったけれど、暑い夏を快適に過ごすために風通しに配慮された木造住宅は、正面に縁側つきの広い座敷があり、窓はよほどの悪天候でない限り常に開け放たれている…というか、そもそも窓がない。
その上をかわら屋根の庇が、強い日差しをさえぎるように広く張り出しているので、亜熱帯の夏であっても涼しく、別段用がなくても、訪れた人がなんとなくふらっと立ち寄りたくなるオープンなつくりなのだ。
私も時々そういった家を訪れると、勧められたわけでもないのに縁側に腰掛けるのが当たり前になってしまった。
お茶菓子でも持っていけば、間違いなく1時間はゆんたくになってしまうだろう。
比較的最近建てられた家でも、さすがにサッシの窓はあるけれど基本的なつくりは一緒で、気候がよければ開け放たれていることが多い。
島のおばあたちはそんな家を互いに渡り歩いているから、昨日はこっち、今日はそっちといった様子で、ゆんたくしている笑い声がそこかしこから聞こえてくる。
島の子供たちも小さい頃は、暇なときにたまに訪れて、ちゃっかりおやつをゲットしているようだ。
シーズンオフに埼玉に帰省すると、実家周辺に新しく引っ越してきた人のこじゃれた家が増えていることに驚かされる。
昔から住んでいる人たちの家も世代が代わると、これまた今風の洒落た雰囲気に建て替えられている。
たいてい敷地一杯一杯に建てられた2階建てで、そこにはフラリと訪れたくなるような縁側スペースなどまったくない。
実は我が実家も例に漏れず、そんな家の代表選手のようなたたずまいに建て替えられた。
たしかに中は広々としていて、密閉性が高いために屋外が暑かろうが寒かろうが室内は快適だし、騒音も気にならないとても贅沢なつくりだ。
でも逆に考えてみると、外界をシャットアウトしやすい状況になっているともいえる。ご近所とのコミュニケーションを取るのは容易ではなさそうだ。
他人とのコミュニケーションを取るのが苦手、他人との距離感がうまくつかめない人間が増えている、といった話を最近よく聞く。
それにはこういった住環境も大きく影響している気がする。
家族だけの、さらには1人だけの居心地の良い城にこもってばかりで他人との接触がなければ、そうなるのも当然といえるだろう。
ほんの3日間ほど外出せずにいただけで、「内地に帰ってたの?」と訊ねられる水納島では、まったくありえない話であるのはいうまでもない。