●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2012年11月号
今年超大型台風の暴風域に3回も入った水納島は、当然のように毎回停電した。
毎度のことだから、ある程度の覚悟と対処はできているとはいえ、非常に不便なことこのうえない。
特に停電の原因が島内にある場合、連絡船が復旧しなければ電気工事業者が来てくれないので、停電は非常に長引くことになる。
そのためひとたび停電ともなれば、1日2日は当たり前で、今夏は最長60時間を記録してしまった。
あと1日復旧が遅れたら、我々は非常に悲しい思いをしたはずだ。冷凍庫内の中には、以後の日々を生き抜くための大量の食料が……。
商店が一切ない水納島に住んでいると、毎日連絡船で買い物に行くわけにもいかないので、島民はある程度の食料の備蓄をする。
沖縄県民御用達のツナ缶やポーク缶の常時キープはもちろん、肉や魚といった生鮮食料品も冷凍保存しておく。
味は落ちるけれど牛乳やパン、一部の野菜も冷凍保存が可能なので、島から出られなくなっても2週間くらいは普通の食生活を維持できるだけの食料を我が家では保存している。
そのうえ海から得られる魚介類も、すぐに消費する分以外はとりあえず冷凍保存をする。
そうなると当然ながら、家庭用冷蔵庫にある冷凍室では間に合わないから、民宿を経営している家はもちろんのこと、水納島の各家庭には業務用の冷凍庫(200~260リットルくらい)が当たり前に備えられている。
越してきた当時は、まだメイドインチャイナ(?)が市場に出回る前だったからだろう、冷凍庫はとても高価で、水納島でも各家庭に一台というわけにはいかなかった。
ところがどういうわけか我が家には、前オーナーが手に入れていた古びた冷凍庫が1台あった。
ただ、越してきた当初のことなので、島内に商店その他がないことは分かっていたけれど、不意の来客や欠航に備えてまで食料を備蓄しておかねばならない、という感覚は持ち合わせていなかった。
そのため当時は、冷凍庫のスペースにけっこう余裕があり、その空いたスペースを船員さんたちが利用していたものだった。
やがてその古びた冷凍庫が壊れると、ホームセンターでは手頃な価格で冷凍庫を購入できる世の中になっていた。
そう、沖縄の田舎では、業務用サイズの冷凍庫が普通にホームセンターで売られているのだ。
今では船員さんもマイ冷凍庫を備えている。
その頃にはさすがに我々も計画的に食糧を備蓄するようになっていた。
おかげで買い物のために出かけなければならない回数を極力減らせるようにもなった。
だからこそ、台風時の長時間に及ぶ停電は、大量の備蓄食料がダメだめになる危機でもあるわけだ。
そんな長時間停電など、2、3年に一度程度なのが普通だったのに、今年はなんと約1ヶ月の間に3回もその恐怖を味わう羽目になってしまった。
特に今年は豊漁だったタコの備蓄が潤っていただけに、もしタコが傷んでしまったら、捕獲者であるだんなの心も腐ってしまったことだろう。
大きな台風の後にはよく、フェリーの欠航が続いたために島の商店から食料が消えた!なんて見出しが新聞に出る。
それが水納島では、停電で各家庭から食料が消える!という恐怖に見舞われているのであった。