●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2013年3月号
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」
という書き出しで小説が始まると、そこから先には文学的に味わい深い世界が広がっている気配に満ち溢れる。
しかしそれが水納島になると、
「海岸林のトンネルを抜けるとそこは極上のビーチ」
であった。
思わずビール!!と言いたくなる癒しの世界に、ブンガクはまったく縁がなさそうだ。
水納島の周囲はアダンやモクマオウやモンパノキ、オオハマボウ、ハスノハギリといった海岸植物などのちょっとした林がグルリと巡っている。
それら海岸林は防風、防潮、防砂の役割を果たしていて、その内側に集落がある。
島では昔、かまどの火をおこすために、その海岸林の枯れ枝や枯れ葉を利用していたという。
そのため林の中には下草や余計な枝葉がなく、常時人が通れる道があり、海に出られる小径も随所にあったそうだ。
ところが電気やガスが使えるようになると、あっという間に林の中は人跡未踏の地のごとき藪に。
棘だらけのアダンの葉をはじめとする多くの植物に進路を阻まれるため、海へと続く小径もあっという間に通り抜けられなくなってしまったらしい。
それでもわずかながら、今もなお素敵な小径が残っている。
島に住む人たちは、ときおり海に出かけて獲物をゲットすることを習慣にしているので、行きたい海岸へすぐに出られる「けもの道」のようなものが何箇所かある。
海に出たい誰かが自主的に草刈や枝払いをして維持しているのだ。
ただし道を維持しているヒトが飽きてしまうと、1年と経たぬ間に元の木阿弥、周りと同じ自然のままの海岸林に戻ってしまう。
やはり亜熱帯、人の手が恒常的に加わり続けなければ、けもの道程度の小径など植物の生長スピードの前にはひとたまりもない。
しばらくの間存在していた小径が草木に埋もれてしまったある年、観光客が困惑顔で問いかけてきた。
「たしかここに浜へ下りる道がありましたよね?」
道があったときにそこから海岸へ下りたことがあった彼は、きっと再び同じ道を通って海へ出るのを楽しみにしていたのだろう。
道が薮になってしまったことを告げると、残念そうに引き返していった。
どこかへ旅をすると、来た甲斐があったなあと思う景色によく出会う。
それは屋根に降り積もった雪だったり、一面の田んぼであったり、鉄橋を通過する電車であったり、オーロラであったりサバンナのゾウさんであったりする。
どれもこれもそこに暮らしている人にとってはまったく当たり前の風景だ。
けれどもそういったものを味わえないところに暮らしている旅人にとっては、それは旅の思い出になる重要な風景なのである。
「水納島に来た甲斐があったなあ」
この小さな島に遊びに来た観光客の方々がそのように感じる風景とはどういうものだろうか。
砂浜に並び立つビーチパラソルというヒトもいるだろう。
水着のおねーちゃんがいればいいという方もいるかもしれない。
なかでも人工物のまったくない世界に広がる青い海と真っ白な砂浜は、誰もが思い焦がれる憧憬といっていいかもしれない。
そんな風景が、亜熱帯植物の林を通り抜けたところに出現する…
きっと忘れられない景色のひとつになることだろう。
それが住んでいる人間にとって当たり前にある、それもまた、何もない小さな島の大きな財産のひとつだと思っている。