●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

236回.モモタマナの木陰

月刊アクアネット2023年1月号

 今年も大雪のニュースが世間をにぎわす季節になってきたけれど、沖縄では草木は引き続き緑をたたえ、むしろ花々が咲き乱れる季節を迎えようとしている。

 冬に花の季節を迎える沖縄。そのためかつての私は、沖縄の植物はみな「常緑」である…と思い込んでいた。

 旧我が家の芝生の庭には、越してきた当初からすでにシンボルツリー的に大きく育っている木があって、夏にはなんとも心地よい日陰を作り出してくれていた。

 沖縄でクファディーサ―とかコバテイシなどと呼ばれているその木は、日本では琉球列島と小笠原にのみ分布するモモタマナという。

 方言名が民謡のタイトルにもなっているほど県民に馴染み深い木だから、沖縄では公園などでよく利用されている。であれば学生の頃から沖縄で暮らしていた私は知っていてもおかしくないはずなのに、その庭のモモタマナが冬の訪れとともに紅葉し、やがてバサバサと落葉し始めたときには驚いた。

 沖縄で紅葉&落葉するなんて!

 無知なるがゆえの衝撃は大きかった。しかもなまじ葉が大きくて量も半端ないので、風の強い日など、落ちた葉を集めるのも、その葉を処理するのも大変だ。これを毎年やらなければならないと悟ったときは愕然とした。

 落ち葉の処理は大変ながらも(その後堆肥に活かし始めた)、なんといっても海から南風が吹く夏の木陰は天国で、木を利用して木陰に吊るしたハンモックは心地いいし、オオコウモリが実目当てに夜な夜なやってきたり、その実を飼っている鳥さんたちのオモチャにもできたりと、細かなところでもいいことのほうが多かったモモタマナ。

 当時は元気だったおじぃやおばぁたちが散歩に来ては、木陰に佇んで涼をとることもしばしばで、そういうときによく、「この木の実は食べられるよ、昔はよく食べたさぁ」と教えてくれたものだった。

 熟した実は勝手に落ち、果皮はけっこういい匂いがしてなんだかフルーツのようでもあるのだけれど、人が食べるのは果皮ではなく、果皮の中にある硬い殻を割ると出てくるアーモンドのようなナッツの部分だ。

 安上がりな美味しいもの探求に余念がない(俗にいやしんぼともいう)私は、どれどれとばかりに頑張って硬い殻を割って食べてみた。すると、果皮に比してナッツ自体はあまりに小さいし、それほど美味しいわけでもなく、労力に見合わないことが直ちに判明したため、食べたのは大昔の一度きり。

落ちた実から育った苗木を放置していたら、やがて庭がモモタマナ林になってしまうから、本来であれば引っこ抜いてしまうところ、これが育つと利用できるかも…と思い立った私は、一本の小さな苗木をそのまま育つに任せることにした。その利用法とは…ハンモック!意外に早い成長速度のおかげで、5年と待たずにハンモックを吊るせるほどになった。夏の木陰のハンモックでうたた寝する心地よさときたら!その心地よさゆえだろう、海から戻ってきたときに、見知らぬ外国人観光客が勝手に寝そべっていることもあった…。

 ところがその後ソロモン諸島はガダルカナル島を訪ねた時に、そこにもやはりモモタマナの仲間が生えていて、現地のマーケットでは「マリーナッツ」という名でナッツ部分が売られていた。

 さして高価というわけでもないのに、この量を得るためにいったいどれほどの労力を…とちょっぴり感動した(全然時間どおりに来ないバスを、バス停で半日待ち続ける気長な国民性ならでは、かも)。

 残念ながら2011年の爆裂台風で旧我が家は被災してしまい、モモタマナがある庭は放棄せざるを得なかったために、庭はもう見る影もない。

 ただし木自体は今も元気で、毎年季節になると実をつけ、紅葉し、落葉する。散歩するたびにそんなかつての庭の名残りを見ては、島の宴会場と化していたり(家主の我々があずかり知らないところで、宴会開催が決定していたことも多々あった)、おじぃおばぁが木陰で涼んでいた往時の様子を懐かしく思い出す。

 私にとってモモタマナは、旧我が家で暮らしていた16年間の思い出の、まさに「シンボルツリー」なのである。