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ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

30回.おじいとおばあが元気なわけ

月刊アクアネット2005年11月号

 少子高齢化社会と言われている日本だけれど、水納島もその例に漏れない。

 人口50人のうち、60歳以上の人が3割。40を前にした我々夫婦は、まだ若いほうに分類される。

 そんな高齢化の地域となると、さぞかししょぼくれて活気がない社会と思われるかもしれないが、ところがどっこい、このお年寄りたちが誰よりも元気なのである。

 それは、水納島に来て以来、島の共同作業をやるたびに思うことだ。

 数年前、御願場所(島の聖地)を清掃していたときのこと。

 度重なる台風のあとで、道がなぎ倒された木の枝でほとんどふさがれていた。御願場所の整備は女性の仕事なので、そこを婦人部約15名…うち半数がおばあ…がのこぎりや鎌を片手に少しずつきれいにしていく。

 三ヶ所ある聖地を完全に清掃し終わったのは4時間後だったろうか。

 その間みんな冗談を飛ばしながらも手を休めずに、ノンストップの作業である。

 さすがにくたびれて終了とともにへたり込んだ私を、不思議そうに見ていたおばあが一言

 「正恵、どこか調子が悪いの?」

 そのおばあはなんと大正生まれ。遥かに若い私はさすがにバツが悪くて疲れたとは言えず、「おなかが空いた」とごまかした。

 おじいたちも負けてはいない。

 引っ越してきた当初、おじいが飲もうと声をかけてくれたのでいそいそといってみると、夕方5時から始まった宴は、夕飯どころか肴なしで延々12時まで続いた。

 家に帰った我々夫婦はほとんど記憶なし、次の日は完全に仕事にならなかった。

 けれどもおじいたちは朝7時には普通に散歩をしていたというから驚きだ。

 件のおじい、寄る年波でさすがに飲めなくなったものの、タコを捕りに海に行ったら、今でも相変わらず3時間以上は帰ってこない。

 そんなおばあやおじいがウヨウヨしているのである。高齢化社会といっても、島がひっそり静まり返っているはずがない。

 なんで水納島の年配の人たちはこんなに元気なのだろうか。

 引っ越してくる前まで抱いていた70歳の人のイメージは、散歩や小旅行が趣味で、のんびり静かに余生を過ごしているという感じだったのに、島ではみんな思いっきり現役だ。

 きっと、みんながみんなその地域でいろいろとあてにされているからなのだろう。

 実際、島の共同作業やさまざまな行事に、もし60歳以上の人が不参加になったらそれだけで作業はてんてこ舞いになることは想像に難くない。

 中国の文化の影響(儒教)で、沖縄では長幼の序の礼儀が本土以上にきちっとしていて、目上の人を立てる意識が非常に濃いからという考察もよく聞くけれど、実際のところはそんな形式的なものではなく、生活の中で普通にその存在をアテにされているというのが大きいと思う。

 こういう社会を普通に見慣れると、老人会などのような世代による括り方というのが、ある意味いびつに思えて仕方がない。

 亀の甲より年の功、あらゆる世代がともに暮らしてこその高齢者の存在価値ではないかと思うのである。

 本土で少子化問題が騒がれるなか、沖縄の出生率が全国ではダントツの1位なのも、そういった社会構造にヒケツがあるに違いない。