●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2006年11月号
その昔、3年程水族館の飼育係という職に就いていたことがある。
水族館、動物園の飼育係とえいえば、動物好きの方なら一度は夢見る職業であろう。かつての私もそうだった。
が、社員100名あまりの会社のなかで、飼育係は十数名。水族館の現場は予想したよりもはるかに忙しく、煩雑な業務が待っていた。
ただ餌を作って、やって、水槽の掃除をして、動植物の健康管理をするだけではないのである。
「ある時は電気屋(ちょっとした機械の修理)、またある時は水道屋(水槽の配管)、時にはイベント屋(特別展の企画や業者とのやり取りなど)、そしてその実体は…飼育係!」などと自虐的に言っていたものだ。
それが、水納島へ引っ越してきて生活をするようになると、あの当時の私は、給料をもらいながらとてもいい経験をさせてもらっていたんだ、とつくづく感じるようになった。
なにせ水族館での仕事の拡大版みたいなのが、水納島での生活そのものだからだ。
水納島では、何かが壊れたとしても島内に業者さんがいるわけでもなく、直してもらうには船で出張してきてもらわなければならないから、時間もお金も余計にかかる。
できれば自分たちでできた方が、限りなく便利なのである。実際、台風その他で壊れた水道の配管を何度修理したことか。
都会で生活していたら、一生に一度やるかどうかであろうこれらの作業も、島のみんなから見たら、何でこんな簡単なことが出来ないの?、と思うことが多かったに違いない。いったい大学で何を習ってきたんだ?と笑われたこともよくあった。
言われて初めて、専門知識は学べても、生活するための知識を学ぶ機会なんてものはそうそうないのかもしれない、ということに気がついた。
もともと島で生活している人たちときたら、「ある時は漁師、ある時は農夫、ある時は大工、そしてその実体は……民宿のオーナー!!」という感じだ。
そのうえみんなそれぞれの道で、充分生活していけそうな技術と知識を持っている。
それは、人口の少ない小さな島で生活していくうえで磨かれ続けたワザなのだ。
自分はダイビングインストラクターだからダイビングしか出来ません、と言うことは簡単だけれども、生活しようとしたらそれではやっていけないのである。
一つのことを突き詰めていって、その道のスペシャリストとなることももちろん重要だし、すごいことだと思う。
そういう人から見ると、水納島の人たちは全部中途半端、ということになってしまうのかもしれない。
けれども、「小さな離島生活のスペシャリスト」と考えれば、これはこれで特筆すべきことなのではなかろうか。
また、そうやっていろいろな分野をかじっていれば、ひとつの物事を様々な方面から考えたり、他のことがらに結び付けて対処できる応用力が生まれてくると思うのだ。
私がそう考えられるようになったのも、水納島での生活のおかげである。
ただ、考えることは出来るようになったのだけれど、根本的に能力が少々(?)欠如しているらしく、いつもだんなに笑われているのだった。