●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2009年10月号
とんぼ玉制作のBGMにと、久しぶりに松田聖子の「青い珊瑚礁」を聴いてふと昔を思い出した。
沖縄に来る前の私にとって、南の島といえばまさに「珊瑚礁」というイメージだったっけ…。
水納島を訪れる観光客の方々も、やはり昔の私と同じく、島の周りには当然サンゴ礁が広がっていると思っているに違いない。
けれど私が初めて水納島に遊びに来た89年当時は、サンゴの瓦礫の山という感じで、海中は寂しいイメージですらあった。
それ以前に県内全域の海に大発生したオニヒトデが、折り重なるようにしてサンゴを食い荒らした跡である。
その後水納島に引っ越してきた95年には、初来島から10年経っていないというのに、島を取り巻くリーフには復活し始めたサンゴが広がっていた。
その後数年でサンゴたちは順調に成長し、ただもう水面にプカプカ浮かんでいるだけでシアワセになるほどの、絵に描いたような海中景観が現出していた。
ところが、忘れもしない98年の夏。サンゴたちに再び災厄が襲いかかった。
いわゆる白化である。
異常な高水温が夏の間ずっと続いてしまい、ストレスを感じたサンゴたちが、本来体の中で共生させているはずの藻=共生藻を体内に入れておくのが耐えられなくなり、体外に出してしまうため白くなる現象だ。
共生藻の光合成で作られる栄養分に頼って生きているサンゴたちにとっては、もちろん生命に関わる重大事だ。
藻が抜け始めたサンゴの色はそれはそれは美しく、一望メルヘンワールドとでもいうべきパステルカラーの世界になったものの、その後しばらくしてサンゴたちは真っ白になり、やがてその表面をコケが覆い始めた。
ついにサンゴたちは死んでしまったのだ。
リーフを彩っていた種類はほぼ全滅である。その翌年に島を訪れたダイバーの多くは、それ以前との景観のあまりの変わりように言葉を失っていた。
このサンゴの白化は局所的なものではなく、全地球規模で広がったカタストロフィーだった。
ところがサンゴたちはたくましく、世界中の多くの場所で元の姿に戻りつつあるうようだ。
水納島でも一昨年くらいからようやく「復活してきた」という感じになって、今では相当な回復ぶりを見せている場所もある。
このように、災厄に見舞われても見舞われても、サンゴたちは地道に復活してくる。
エコブームの昨今では、このサンゴを復活させようと、人工的にサンゴを植えつける移植事業も活発なのだけれど、サンゴたちは我々人間が何をしなくともキチンと復活してくるのである。
重要なのは「種付け」ではなく、サンゴたちが育つ環境のほうだ。
むしろ人間が余計なことをしすぎるために彼らの生息を脅かしているともいえる。
オニヒトデの異常発生にしろ地球規模の異常高水温にしろ、けっして人間活動と無縁ではない。振興という名の環境破壊のせいで、私が初めて島に来た当時とくらべれば格段に悪くなっている海の透明度も、サンゴにとって悪影響以外のナニモノでもない。
エコだエコだとバカ売れするプリウスのために造られる海沿いの立派な道路が、またひとつサンゴの生命を奪っていくのだ。
童謡「春の小川」と同じように、やがて「青い珊瑚礁」も記憶の中だけの情景になるのだろうか?
サンゴたちの前途は多難である。