●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2011年5月号
連日テレビニュースで報道される、見渡す限りの瓦礫の山。
私は言葉を失い、ただただ途方に暮れてしまっていた。
しかし救難、救援、物資輸送などに必要なルートの確保は早かった。
また現地の復旧作業も、多くの問題を抱えつつも少しずつ前に進んでいる。
被災地において欠かせないもの、それは重機だ。
現在の水納島には、その重機がない。
地続きの本島であれば、何かことがあれば電話ひとつで行政が対応してくれるのに対し、台風のあと海岸の砂が桟橋に続く道路を埋めてしまっても、大木が倒れて島内の道路を塞いでしまっているという事態が出来しても、車両を運ぶフェリーが運航していない水納島のような離島では、島民自らの手で対処しなければならない。
そういうときのユンボほど、頼もしく見えるものはない。
私が水納島に越してきたときには、わりと大きなユンボが島に1台あった。
公共工事で島にやってきたのを、安く譲ってもらったということだった。
毎日稼動するわけではないけれど、上記のような緊急時をはじめ、島内の様々な重要な場面で欠かせない存在だった。
ところが、どこに停めていても海風に常にさらされ続ける小さな島のこと、いつしか故障が多くなり、最近動いているところを見ていないなあと思っていたら、いつのまにか藪の中で鉄屑と化していた(10年後に業者が解体処理した)。
その後は、基本的にすべて人力に頼らざるを得なくなった。
とはいえビーチにアルバイトの若者がいる夏場を除くと、男性の最若年若手が四十代のだんなという現状では、どれだけ頑張っても、シーズン中に道端の草を刈ることすらおぼつかない。
昨年の台風では、ものすごい量の倒木や木の葉や砂で島内幹線道路が通行不能になった。
連絡船が復旧すれば、すぐさま観光客が島に来てしまう。その前に島じゅう総出でなんとか開通させることができたものの、老若男女十数名では、人海戦術になりようもなかった。
以前の私は、「重機なんていらない!」と考えていた。
山々が削られたり、海が埋め立てられていく本島の姿を目にするにつけ、あんな機械があるから自然破壊が加速するのだ、と苦々しく思っていたのだ。
ところが島の過疎高齢化が進むにつれて、何か作業をやるにしても人の力があまりにも不足している現状では、何をさておいてもユンボは必要である、といわざるをえない。
そのため近年は、何か欲しいものはありますか、とお土産のリクエストを訊ねられるたびに、「ユンボ」と応えていたくらいだ。
そういう思いを島のみんなが抱き続けて早十年、なんともうれしいことに、うまくすれば近いうちに、島にユンボが導入される見込みが出てきた。
お金さえあればユンボは購入できる。
それをどのようにして末永く働いてもらえるようにするかが問題だ。
ただいたずらに潮風にさらされるままになることがないよう、島や島民にとって有効に使われるよう、今からみんなで知恵を出し合わなければならない。
それはそれでムツカシイことがいろいろあるものの、今春4年ぶりに催された小学校の入学式と同じくらい、島にとって久しぶりに明るい話題のひとつなのだった。