B柴又慕情〜矢切の渡し〜(3月5日)

 ワタクシ、生まれも育ちも大阪高槻……の人間には、所詮東京の下町のことなどわかりようもないのはもっともながら、それでもやっぱり、寅さんを観れば、その地に行ってみたくなる。

 柴又は、かつて東京の下町育ちの叔母に連れて行ってもらったことがあったものの、当時と今とじゃ寅さんに寄せる思い入れがまったく違う。あの頃はまだ渥美清も生きていたし……。

 というわけで、京成高砂駅〜京成金町の少なすぎる本数をものともせず、やってきました葛飾柴又。
 もう、駅に着いた時点で寅さんの世界だった。

 だって、柴又駅といえば、「男はつらいよ」で寅さんや満男が旅立つシーンで必ず出てくる駅。そのわりに、不思議とこの駅に降り立つ寅さん、というシーンは見たことがない……。ありましたっけ??

 駅を出ると、そこに寅さんがいた。


旅立つおりに、後からさくらに「お兄ちゃ〜ん」と呼ばれ振り返っているところ……?

 この銅像、ロケのときにあったら邪魔だったろうなぁ…と一瞬思ったけど、よく考えたら渥美清が亡くなったからこの銅像が立ったんだった……。

 そのすぐ先に、帝釈天参道があった。

 なんだか、すぐにでも向こうから蛾次郎を追っかけながら寅さんが走ってきそうな雰囲気………。
 この先に、「とらや」がある。
 ずっとお店でロケをしていたのかと思いきや、実際にここのお店でロケをしていたのは4作目までだそうで、その後はずっとお店内部のシーンは松竹大船撮影所のセットだったらしい。
 おまけに、映画に「とらや」という名で出て有名になったために、実際の店名も「柴又屋」から「とらや」に変えたそうなのだが、ご存知のとおり映画の中では40作目くらいから、店名が「くるまや」に変わってしまったのだった。

 で、その当初のロケ地でもあるとらやを覗いてみると……

 ……パイプ椅子がずらりと並ぶ、なんだか殺風景な店内になっていた。
 有名すぎて人がたくさん来るため、多くの人に座ってもらえる作りに変えたのだろう。
 多くの人が一度に草団子を食べられるようになったのはよかったのだろうけど、寅さんの雰囲気を店内で味わうのは難しい……。

 この参道の先にあるのが、ご存知帝釈天!!

 残念ながら門前には竹箒を持った源公はいないけれど、まるでさくらが午前様を訪ねているかのように停めてあった自転車が素敵だ。

 この帝釈天、意外に大きなお寺だった。

 有料ながら、この裏には庭園まであるのだ。
 とても「御前様」が縁側でお茶など飲んでいていいようなお寺の規模ではなかったのでビックリした。

 この柴又には、有名な寅さん記念館がある。
 前述の、大船撮影所で使われていたとらやのセットがそっくりそのまま展示されているというので、是非見てみたかったのだが………
 時間の都合で断念。
 ま、セットはセットだからまぁいいか。

 このあと、すぐ近くにある江戸川べりに出てみた。
 江戸川べりといえば、ここもまた寅さんには欠かせない場所である。

 こうして寅さんもよく寝そべっていたっけ。
 でも………。
 寅さんがここで寝そべっているのは、映画の冒頭、久しぶりにとらやに帰ってくるときであることが多かったと思うのだけれど、京成柴又駅に降りたとしたら、この江戸川べりに来るよりもとらやのほうが近い。
 わざわざ回り道していたのか??
 いや!
 金町駅で降りて、わざわざ江戸川べりを歩いていたのではあるまいか。京成金町駅だったら柴又を乗り過ごすことになるから、おそらく寅さんはJR常磐線金町駅に降り、ふるさとの江戸川を眺めながらテクテク歩いて南下したに違いない。

 おお、現地に来て初めてわかる寅さんの行動!!<あくまでも当サイト推測。

 さて、この江戸川べりに。
 有名な矢切の渡しがある。
 矢切の渡しって、おぼろげにもっと内陸の遠い遠いところにあるような気がしていたのだけれど、よくよく考えたら、そんな内陸だと渡しが必要なほどに川幅が広くはないものなぁ……。
 まさか、こんな近くにあったとは。
 そういや、寅さんにも出てきたことがあったっけ。

 そんな我々はなんで矢切の渡しの存在を知っていたのかというと、実はウロコムシツアコン、略してウロコンさんに柴又に行くつもりである旨を伝えると、

 「是非矢切の渡しに乗ってください!」

 目をキラキラさせながらそう仰ったのだ。
 飛行機とともに船旅もそのご趣味の範疇であるウロコムシ氏にとっては、渡し舟も当然守備範囲で、矢切の渡しにもかつて乗ったことがおありなのだとか。
 話を伺うかぎりではとても面白そうだ。
 我々にはあまり時間がなかった。しかし、ここまで来て素通りして、後になってあのとき乗っとけば良かった、なんて後悔はしたくない。

 江戸川べりにやってきたのはそのためだったのである。
 さぁ、連れて逃げてよついておいでよ、夕暮れの風が吹く矢切の渡し!!
 河川敷を、急速に細川たかし化して川原まで歩いた。

 が。
 川原に掲げられていた案内板に、我々の望みは打ち砕かれた!!

 1月2月ならびに3月の第1週までは、
 週末のみの営業とさせていただきます。

 ガチョーーーーーーーーンッ!!
 よりにもよって、翌週だったら乗れただなんて…………。
 さすがウロコン、彼の力は、年に一度のケーブル検査だけではなかったのだった。 

 ま、素通りして後悔し続けているよりは良かったかな??

 このあと我々は、寅さんの道をたどるべく(←あくまでも推測上の)、この江戸川の土手をJR金町駅まで、およそ1,6キロの道のりを歩くことにした。

 実際、この江戸川べりは心地いい場所だ。
 水量豊富な川には、各種水鳥もいる。
 東京というと抱くイメージは都心部の映像ばかりだった僕たちも、ひょっとしたらこのあたりなら暮らしていけるかもしれない、と思った。

 さて、次なる我々の目的地は……

 〜♪とめどなく恋心 こぼれる涙を 風が運ぶの あの日の柏へ………

 爆風スランプの、しかもサンプラザ中野じゃない人がボーカルをしているこの歌を知ってる人なんて、何人いるんだろうか?? 
 …と思ったら、このKASHIWAマイラブという曲、歌詞を変えてレイソルの応援歌として生まれ変わっているらしい……。

 ともかく、柏へ!!