ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

再び12月6日(月)パート2

この木何の木に行こう!

 さて、前にも書いたとおり、一睡もしていない我々3人としてはここでひとまずゆっくり休憩、といきたいところであったのだが、ノリノリの父は、さっそく昼飯を食いに行こう!と張り切っている。どう考えても疲れているはずの父ちゃんは、その声を聞き負けじとノリノリになってしまった。タフな還暦たちだ。

 ということで飯屋を求めて通りをプラプラ歩くことにした。7年前に一度来たことがあるうちの両親は、昼飯を食う場所のあてがあったらしく、モアナ・サーフライダーの向かいにあるセルフサービスの店に案内された。

 7年の時経て訪れたホノルルは、当時と比べたら目で見える日本語が圧倒的に増えているそうだ。チェックイン時からずっとそう言っていた父は、街を歩いてみてさらに実感したらしい。7年前のことは知らないが、たしかに街には日本語の看板があふれている。10年後には、新宿や池袋よりも英語の看板が少なくなるかもしれない。

 7年の時の流れは、看板だけじゃなくてその店のメニューも変えてしまっていたようだ。値段のわりには豪華であるはずのその店は、なんてことはないただのアメリカンセルフサービス店であった。

 ともかく腹を満たし、ふぅ〜やれやれ、と時計を見たら驚いた。なんとなくもうすっかり夕方近い、という感覚だったのにまだ昼前なのだ!!これがいわゆる時差ボケかあ、と変に感心してしまった。でも、よく考えたら日本時間なら早朝にあたるはずなんだけど……。とにかく不思議な感覚だった。

 飯を食っている間に、このあとこの木何の木に行くことが確定した。それも市バスで。父がこのたび40年間勤めて定年退職したのは日立製作所で、日立といえばこの木何の木である。前回ハワイに来たときには見られなかったので、今回是非とも行きたかったらしい。インターネットで調べてきた父はバスで行っても30分で着く、という情報を得ていて、これなら半日あれば行けるから到着日でも大丈夫だ、という結論に達していた。

 でも沖縄に住んでいる私たちは、南国の路線バスがいかにあてにならないものか、ということを十分知っている。たとえどの系統のバスに乗って行けばいいか、ということがわかっていたとしても、そのバスがいつ来るかわからない。バス停に時刻表があるなんてことはまずないのだ。だから行くんだったらタクシーで行こう、と力説したのだが、

 「現地の人が使う足を使ったほうがおもしろい」

 と言われて「ムムム……」と詰まり、

 「ザ・バスと呼ばれる市バスはどこまで乗ってもたったの1ドルである」

 とだめ押されて「う〜む!」と唸った。にわかに、バスで行く、ということが魅力あふれることのように思えてきた。結局、ではみんなでバスで行こう、ということになってしまった。

〜♪長い間 待たせてごめんねぇ〜

 この木何の木がある公園に行くには、アラモアナショッピングセンターのバス停で12番のバスに乗ればいいらしい。さっそくオリオリ・トロリーでアラモアナに向かい、バス停で12番を待つことにした。日差しは強いが、バス停にはちゃんと屋根がある。さあ、12番よ早く来い……。お、バスが来たぞ、う〜む46番か。あ、また来たぞ、51番。58番、8番、19番、またまた51番、25番、46番、36,58,49,8,21,21,8……。お〜い、全然来ないじゃないかぁ!!

 30分経った頃、このまま永遠に来ないのじゃないか、と不安になったので、違うバスの運ちゃんに、12番は来るのか?しばしば来るのか?本当にくるのか?と訊ねたら、

 「来るさ、だいじょーぶぅ」というようなことを英語で応えてくれた。しかしこの返事がいかにあてにならないか、ということは教えられなくともわかっていた。ノリが沖縄と同じなんだもの。

 壁にもたれてスヤスヤ眠っていた父ちゃんは、ついにトイレがガマンできなくなってしまった。しかたない、ショッピングセンターのトイレに行ってもらうしかない。よりによってそんなときに12番が来たりしたら、ハワイを一生恨むことにしよう。

 しかし幸いなことに(?)それからさらに30分、12番はやってこなかった。タクシー、という言葉が頭の中で遠いふるさとの唄のような響きを持ち始め、みんなそれぞれボーゼンと座っていた……そんな時、遙か彼方に輝く数字が目に入った!来た!来た!12番!!お年玉付き年賀状の、切手シートが当たる下二桁のようにその数字は輝いていたのであった。

 ところでバスを待っている間に気づいたのだが、この市バスにはどの車両にも、足が不自由かもしくは弱っている方が使う電動スクーターを、スイッチ一つで乗せることができる装置が付いている。そのほかフロント部分には、自転車を二台まで積むことができるラックが付いていた。こんなに配慮が行き届いたバスの乗車賃が、どこまで乗ってもたったの一ドル。赤字分は税金で補っているとはいえ、こんなバスなら税金も喜んで払おう、というものだ。

 なんにも考えずに湯水のように税金を使っておいて、いざ数年開業すると思ったよりも客が乗らないので廃止にしようかなぁ、なんていうマーリンを世に送り出した役人や議員は爪の垢でも煎じて飲むべし。

すし詰めのTHE BUS

 ようやくやってきた12番に乗り込む人はほとんどおらず、こんなに待ったのに何事もなかったかのようにバスは発進した。このあとバスはダウンタウンに入っていった。ダウンタウンには魅力的な商店がたくさんあった。もちろんブランドものとかブティックとかじゃない。鮮魚店とか、八百屋さんとか。このような現地の人の生活に関わっている店というのはとにかくおもしろいものだ。残念ながら、今回は短期間の”観光”なので、時間がとれそうもない。

 ダウンタウンでは、我々と同じように待ちくたびれた人がどしどし乗ってきた。あとでわかったことだが時刻表中の一本が古くなった櫛の歯のようにポロリと抜け落ちていたらしいのだ。おじいもおばあも子供を抱えた母親もどんどん乗ってくるから、還暦の3人はともかく我々はおちおち座っていられない。でも、うちの奥さんが席を譲ったおばあさんは、降りしなにうちの奥さんに知らせ、あなた座りなさい、という感じで微笑んでくれたりして、なんだか心が和むのであった。

 しかしその後もバス停に停まるたびに客が増えていくので、乗りたい人が乗れないくらい満員になってきた。立っている人が奥にどんどん詰めないと乗れないのだ。立っている私としては奥の方はかなり詰まっていると思うのだが、乗客が乗らないとバスは発進しない。業を煮やしたある客が、

 「もっと奥の方へ詰めなさい!!」と叫んだ。さすが自己主張の国アメリカである。

 「座ってるおまえが言うてどうするねん」と突っ込みたかったけれど、そんな難しい英語はとっさに出ないのであった。その代わり奥で立っているお客さんが、  「もう奥は一杯だ!!」と反論していた(たぶんそう言っていたはず)。アメリカ人はみんな主張しあうのだ。黙っていたら損をするに違いない。

 ようやく降りる客のほうが増えてきた頃、私はこのバスには次の停留所案内のアナウンスなんてものは存在しないということに気がついた。みんな集中力を欠かさず外の景色で判断して、降りるべき停留所が近づくとベルにつながっている紐を引っ張っているのだ。我々は停留所の名前も場所も知らなかったが、時刻表中の一本が抜けたことを教えてくれた女性がすでにうちの両親に停留所のことも教えてくれていた。現地で働く日本人か、日本語が達者な日系人かわからないけれど、ひそかに迫っていたピンチを彼女が救ってくれたのだ。

道ばたのマンゴー

 バス停は高速道路脇のなんの変哲もない場所だった。バスで爆睡した父ちゃんはすっかり元気が回復している。でもずっと立ちっぱなしだった我々二人はちょっとつらい。おまけにいつの間に曇っていたのか、パラパラと雨が降り始めた。疲れているときの雨というのは陰々滅々になりそうでやな雰囲気だ。

 父が調べたHPにはそこからの道順も簡単に書いてあったものの、いざバスを降りるとさっぱりわからない。仕方なく、きっとこっちだろう、と適当に住宅地を歩いていたら、庭で洗濯物を取り込んでいた奥さんが、

 「木のある公園はこの道じゃなくてあっちよ」

 と英語ながらも笑顔で教えてくれた。きっと年間かなりの数の日本人が同じ過ちを繰り返しているだろうに、それにいちいち笑顔で教えてくれるなんていい人だなぁ。我々も、水納島で庭先に勝手に入ってきて写真を撮っている日帰り客に、もう少し愛想良く接することにしよう。

 教えてくれた道を歩いていると、マンゴーの巨木がドデンドデンとそこここに無造作に生えていた。マンゴーといったら、沖縄では高いものだと1つ1000円もする高級フルーツだ。やや興奮気味に「マンゴーだ!」と言うと、「ほんとにマンゴーかぁ?」「マンゴーだ!」というマンゴー論争が始まった。が、これまたドテッと無造作に落っこちていた実を見るに及んで論争に終止符が打たれた。見事なマンゴーだった。

この木何の木気になる木

 マンゴー論争が終わってすぐ、公園が見えてきた。広い敷地は一面の芝生で、そこにポツンポツンと巨木が生えている。我々が到着したのはどうやら裏口らしく、遠くの方にまばらに人の姿が見えた。公園内の木はどれもみな大きく似た形で、お節介な看板もないからどれが例の木なんだかわからない。が、人が集まっているあの木がそうに違いない。

 おお、あれがこの木何の木か!!私が子供の頃、あのCMは、日曜日に放送されていた「素晴らしい世界旅行」という、久米明がナレーターの人文・科学に関する素晴らしい番組中で流れていた。そして今でも「世界ふしぎ発見!」で見ることができる。

 それにしても、20年以上も前にテレビで見ていた木を、今こうして実際に目の前にしているなんて、考えてみれば感慨深いことじゃないか。あの歌を作曲した小林亜星も、よもやこの歌がこれほどのロングランになるとは思ってもいなかったことだろう。

 一面芝生と木々だけのこの土地、あのCMを知っている日本人以外にはまったく無名のはずである。にもかかわらず、ちゃんと手入れされ存在し続けているところが素晴らしい。例えば今の沖縄でこんな土地があったとしたら、まず木々は大きくなる前に切り倒されていることだろう。例え木が大きかったとしても、躊躇なく切り倒すに違いない。

 柱や机・家具やなんかに使うのに適した立派な木材として利用される木々よりも、幹も枝も曲がりくねってまったく木材としては不向きながら、木こりたちが涼をとりに集まっている老木、君たちはあの老木になりなさい、とかいうことを老子だったか誰かがお弟子さんに言ったという話を聞いたことがある。ハワイは老子のお弟子さんだらけだ。

小鳥天国

 この公園で、もう一つうれしい発見をした。ブラジリアン・カーディナルという鳥がそこかしこにいるのだ。顔から上が鮮やかな赤色の、セキセイインコサイズの鳥である。とあるHPでこの鳥がハワイにいる、ということを知り、ぜひ見てみたいと思っていたのだ。1920年頃にわざとなのか偶然なのかブラジルから移入されたらしい。今ではあちこちに広がっているようだが、不思議なことにオアフ島でしか見られないという。

 その傍らにいた別の鳥を見て目を疑った。文鳥ではないか!桜文鳥という名でペットショップで売られているあの小鳥である。誰かが飼ってたのが逃げたんじゃないの?と言っていたら、実はそこら中にいることがわかった。

 この文鳥はこっちではJAVA SPARROW(ジャワスズメ)という名で、60年代に突如どこからともなく現れて、以後どんどん増え続け、分布も拡大の一途にあるという。

 そのほか、オーストラリアやソロモンで見たことがあるマイナバード(ムクドリと九官鳥を合体させたような鳥)や、北アメリカ原産のハウスフィンチと呼ばれるカラフルなスズメみたいな鳥もいた。街中で普通に見られるゼブラドゥブという小さな鳩もいた。鳥好きには芝生を眺め回すだけで楽しめるとってもいい公園だ。ちなみにこのすべての鳥たちは、このあとも至るところで見ることができた。

 さて、そろそろ帰ろう。さっきまでちらほらいた人たちは、レンタカーや貸し切りのツアーで来ていた人たちで、バスで来た我々はまたバス停まで戻らねばならない。降ったり止んだりの空の下、我々はとぼとぼとバス停に向かった。帰りは同じく12番に乗って、さらに途中で乗り換えなければならない。

 一本のバスでさえなかなか来ないくらいだから、乗り換えが必要となるといったいどれだけ待たないといけなくなるのだろう。それを考えるととてもバスで帰ろう、なんて気にはならなくなったので、タクシーで帰ろう、と提案した。もちろん誰も反対しなかった。

帰りはタクシー

 ところでハワイでは、日本と違って流しのタクシーが走っていない。〜♪タクシーに手を挙げて〜というわけにはいかないのだ。こんな辺鄙なバス停にいて、さてどうやってタクシーを呼べばいいのか……。

 心配ご無用、なのだ。いろいろサービスがついているJTBのツアーには、「オリオリ・フォン」(なんでもオリオリ)という携帯電話も一人に一台ついていて、お互いに電話を使って連絡し合う用途のほかに、JTBの事務所を通して様々なことができるようになっている。タクシーを希望の場所に呼んでもらう、というのもその一つである。このようなサービスはもちろん通話料も不要なので、バッテリーさえ切れていなければ心強い道具になる。

 もっとも、今我々は辺鄙なところにいるから、呼べばすぐタクシーが来る、というわけではなく、しかも待っている場所を説明するにもなんていうバス停なのか、ということさえわからないから、電話をしていた父は苦労していた。そのうえバス停でタクシーを待っている間、行きはあれほど来なかった12番のバスが、続けざまに3台も通り過ぎていったのだから皮肉なもんだ。どうも事が無駄なく運ばない。

 結局少し待っただけでやって来たタクシーに乗り、20分ほどたった頃だろうか、ワイキキ市内に入ったあたりから、だんだん母がソワソワしてきた。どうもしきりに父にタクシー料金を払えるのか?という確認をしているようなのだ。カードしかなくて現金があるかどうかを心配しているのかな。それにしてはなんだか落ち着きがない。よくよく聞いてみると、なんと14.50$とメーターに表示されているのを見て、千四百五十ドルと思いこみ、一人で緊張していたらしいのだ。どこの世界に20分ほど乗っただけで十五万円もとるタクシーがあるというのだ。一言訊ねればすぐ解決するのに、十分間くらい思い悩んでいたらしい。昔から必要のない気苦労をする人なのである。

 ホテルまでタクシーで帰ってもしょうがないので、アラモアナショッピングセンターで降りた。降りた早々に、父ちゃんが「あのタクシー汚かったなぁ。あれで客を取るなんて信じられないなぁ。ねぇ?」と同意を求めてきた。僕にとってはこぎれいな、いたって普通のタクシーだったのだが……。

 実は父ちゃんの本職は西武ハイヤーの運転手なのである。家系的に病的なまでに整理整頓好き、きれい好き、ときているから(うちの奥さんが実家中では一番ずぼら、というから驚異的)、父ちゃんのタクシーは日本国内で最も美しいに違いない。そんなプロフェッショナルの目からすると、今乗ってきたタクシーは目も当てられないほどの不合格なのだった。運ちゃんは気のいい白人兄ちゃんだったんだけど。

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