ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

再び12月6日(月)

希望の夜明け

 ハワイが近づくに連れて飛行機は随分揺れるようになってきた。気分が悪い、といっている二人にとってはやっかいな揺れに違いない。飛行機大嫌いの私にとってもけっこうつらい。でもようやく外は黎明の雰囲気が漂いだしてきた。きっと旧石器時代くらい昔からの遺伝だろうが、夜明けを迎えると、なんとなく希望の光を目にしたような気分になるものだ。太陽に向かって跳んでいるのだから、夜が明ける速さは音速級に違いない。

 ハワイに接近するに連れて、完全に夜が明けきり、機内の照明も点灯されて、他の乗客たちも活発になってきた。それにともない父ちゃんの具合は随分良くなってきたようで、朝食の頃には、スチュワーデスが配り始めたサンドイッチを元気にモグモグ食っていた。陽が昇って復活するなんてキャシャーンみたいだ。

 本当は高度が少しずつ下がり続けているからだろう。うちの奥さんはさすがにものを食べる元気はないようだが、気分の悪さは治まったようで、サンドイッチを食べようとする父ちゃんに「やめときなよ〜」と言えるようになっていた。

濡れた入国カード

 高度はさらに下がり、いよいよ着陸までもう少し、となったので、あらかじめ書いておいた入国カードや税関用のカードをそろそろ整理してまとめておかないと……と思ったときに不意に気が付いた。書いた入国カードを入れてあった網には、もしかして吐瀉物を収納した備え付けの袋も入れてあったのだ。恐るべきイヤな予感を抱きつつ入国カードを取り出すと………

 あ”ぁぁぁぁぁぁ……。

 予想通り二人分の入国カードと税関用のカードは見事にお湿りあそばし、ピッタリ密着していたのであった。そうなのだ、備え付けのあの袋は短時間ならウォータープルーフなのだけれど、長時間置いておくとジワリジワリと沁みだしてくるんだよなぁ……。

 これまでの経験を生かして、せっかく余裕かまして事前に書いておいたのに、また着陸寸前に慌てて書かねばならない。シートベルトのチェックに回ってくるスチュワーデスに再度カードをもらい、記入済みのゲロまみれのカードを見ながらせっせと模写したのであった。

ハワイ到着

 飛行機が無事ホノルル空港に着いた頃には、父ちゃんは完全復活していた。「全然寝られなかったなぁ」とのたまうと、うちの奥さんも元気を取り戻し「私も全然寝られなかったよぉ」と言っている。おいおい、それはおいらのセリフだぜ。

 飛行機から降りると、通路上に係員が随所にいて、客を一定方向に案内していた。けっこうな距離をその流れのままに進むと、バス乗り場に着いた。ウキウキバスに乗ってメインターミナルへ向かうのだ。

 「みんなウキウキしているからウキウキバスというのかな」とバカなことを話していたら、ウキウキバスではなくてウィキ・ウィキバスという名であることが判明した。意味は知らない。

 そのバスを降り、ターミナルビルに入ってから階段を降り、2階の入国審査を無事通過してさらに階下へ。荷物が出てくるターンテーブルの周りにはすでに黒山の人だかり。これだけの人数がすべて一機の飛行機に乗っていたとは。考えただけで恐ろしい……。

 我々が乗ってきた飛行機を示す表示の上には関空から到着した便も表示されていた。ほぼ30分前の到着のようである。この便で私の両親が大阪からやってきている段取りなのだ。本当は一緒に成田から行ってもらおうとしていたのだけれど(そのほうが安いから)、大阪から成田まで出向いて飛行機を乗り換えるのが面倒だ、とわがままを言うので仕方なくこうなっている。うちの両親は一度二人でハワイに来ているし、前にも書いたようにこの7,8年はやけくそのようにあちこち旅行に行っているから放っておいてもまず大丈夫なのだ。

 すぐに荷物が出てくれば、両親とそれほどのタイムラグなかったが、なかなか我々の荷物は出てこない。そりゃこれだけの人がいるのだもの仕方がない。とはいえ機内でのドタバタを考えると、ここで荷物が無い!!という事件が一発あっても不思議じゃないよな、と思っていたら、あっけなく我々の荷物が続けざまに出てきた。

 税関を難なく過ぎ、ルックJTBのカウンターに向かった。他の旅行社のカウンターにはまばらにしか人がいないのに、JTBのカウンターだけ列ができている。さすが天下のJTBだ。このカウンターで荷物を預け、シャトルバスの乗り場を教えてもらってその場所に行った。

 バスが来るまでしばらく待っていてくれ、ということだったので、父ちゃんはすかさずたばこを取り出し、火をつけた。7時間ぶりに吸う一服をゆっくり味わう……間もなく、あっという間にバスが来てしまい、父ちゃんの7時間ぶりのたばこは2回スパスパと吸っただけで灰皿行きとなってしまった。

晴れてくれるのかな……?

 ところで我々は、ハワイの地に初めて降り立っている。アメリカ初入国である。しかしなんだかいまいち中途半端で、はるばるハワイまで来たぜぇ!という感慨に浸るにはまだまだ雰囲気が出ない。空をどんより覆う分厚い雲と、そこらじゅうの椰子の木をクネクネさせている強い風のせいに違いない。雰囲気が冬の沖縄とそっくりなのだ。沖縄より寒かったらシャレにならんじゃないか。常夏のハワイよ、頼むぜ。

 シャトルバスが動き出すと、運転手が挨拶を始めた。あとで知ることになるのだがハワイには日本の観光バスのように「バスガイド」という独立したポジションの人はおらず、運転手がガイドも兼任するのである。日系のアメリカ人だが、当然のように日本語は堪能で、その簡単な説明によるとあと15分ほどでアロハタワーに着くだろう、とのことだった。

アロハタワーでカメハメハ

 しかしこの時間帯、ハワイでも朝のラッシュアワーで、沖縄同様電車がないから道路は混んでいた。15分弱のはずが30分弱かかってようやくバスはアロハタワー前に着いた。

 アロハタワーというのは、今ほどハワイがにぎやかじゃなかったその昔、船乗りたちにとってはホノルルを象徴する建物だったそうで、そびえ立つ時計塔を沖合から見て、無事の帰還を祝ったそうである。今ではショッピング街のようになっているから、昔日の面影はないのだろう。

 すぐにオリオリパークというJTBのカウンターに行くのかと思いきや、そのバスの一団は、アロハタワーをバックにする立ち位置で、カメハメハ大王と一緒に写真を撮るというサービスに案内された。いや、サービスではなかった。撮った写真をあとで売る、という商売である。カメハメハ大王と一緒に、と言ったってもちろん偽物なのだから、それは仮面ライダーショーでライダーと一緒に記念撮影、というのと基本的には変わりはない。そんなものを一枚1000円も出して買ってられないぜ。

合流

 係りの人が連れていた犬公と遊んでいたら、ようやくグループごとの撮影が終わり、アロハタワー内のカウンターまで案内してもらえた。ゾロゾロゾロと入っていくと、向こうの方から「アロ〜ハ〜」と言ってこっちに手を振っているおとっつぁんがいる。私の父だ。

 すでにうちの両親はここで我々がこれから聞く説明を受けていて、テーブルに陣取って当面の作戦を練っていたようだ。合流後の食事をどうするか、とか隣島日帰りツアーの空き情報とかなんとかとにかくいろいろチェックしていたらしい。この旅行はあまり動き回らずのんびりゆっくりしてもらおう、という主旨なのに、最初っからとってもアクティブである。

 我々の手続きが終了すると、父がいきなり「そこで飲茶食おうか」と言ってきた。いやそれは待ってくれ、ハワイまで来ていきなり飲茶はなかろう。その旨を告げると、この時間そこしか店が開いていないのだ、ということだった。すでに一度下見をしてあるらしい。

 JTBのツアーは他の格安ツアーに比べたら料金は高い方かもしれないが、いろいろおまけが付いていて、旅行期間中アロハタワーでいつでも使えるランチクーポン券一食分もそのひとつだ。到着日にここでそれを使うというのが通常のようなのだが、最も安いケースのノースウェストで来ると早すぎてどこも店が開いていない。

 私はここのゴードン・ビアーシュというところで食いたい、と思っていたので(暴飲暴食大将は、飯を食いに行きたい場所だけは事前にチェックしてある)、せっかくのタダ飯券を飲茶ごときで使いたくない。だからその券は後日ここに来て使うことにし、いったんホテルに行くことにした。一睡もしていない我々としてはベッドでゴロリとなりたい、という思いもあったし。

 しかしその希望は、ノリノリの父の前にもろくも崩れ去ることになる。

オリオリ・トロリー

 このアロハタワーから各ホテルへ行くにはいろいろな手段があるが、そのどれもがすべてタダである。タダというのはおかしいか。すでに支払った旅行代金に組み込まれているのである。なかでも便利なのが「オリオリ・トロリー」だ(写真は旅行パンフレットから)

 トロリーというのはそもそも路面電車の街サンフランシスコ発祥だそうだ。道路工事か何かの都合で路面電車が一時期使えなくなり、市民の足として欠かせない路面電車の代わりに、車体を電車そっくりに造ったバスもどきを走らせたらしい。それを見たハワイの人が、「いいねえ、それ。アロハ」といったかどうかは知らないけれど真似して造ったのが、ワイキキ・トロリーだそうである。

 それをさらにパクッて自社の客だけしか使えないオリオリ・トロリーというのをJTBが造ったわけである。オリオリというのはハワイの言葉で「楽しい」とかそんなような意味らしい。母音がたくさん入った繰り返し言葉はポリネシアや他の南洋諸島ではよく聞く言葉だ。日本人の耳には心地いい。そういえば水納丸の待合室近くにバス停を持つJTBのバスは、たしかノリノリ・バスというんじゃなかったっけか。真似してるんだ、きっと。

 このオリオリ・トロリーは一本の路線しかないものの、ワイキキ周辺の主要箇所を余すことなく回っていて、それも8分間隔で運行している。JTBの客は滞在中乗り放題だが、他の旅行者は絶対乗れない。そんな乗り物が街にあふれているのだ。私はJTBの客だからまさに「オリオリ」だが、そうじゃなかったらさぞかし憤慨したことだろう。そもそも、吹けば飛ぶようなクロワッサンの我々は、シーズン中一度だって団体旅行主催者に好意を持ったことがないくせに、いざ自分が客になるとその恩恵にあずかっているのだからゲンキンなものだ。

 我々一行が乗ったオリオリ・トロリーは貸し切り状態だった。このトロリーの運転手たちもガイドを兼ねていて、発車と同時にヘッドフォンマイクを使って自己紹介を始め、すぐさま案内を始めた。日本語と英語合体型の不思議な言葉だったが、陽気な姉ちゃんであった。前の方に座ったこともあって、アナウンスを受けるというよりは会話をしながら進んでいく。トロリーの両サイドに見える建物はもちろん、道々の植物とかもいろいろ教えてくれた。

ハワイは木々も車もでかいのだ!

 ワイキキの街はとにかく緑が多いところだった。ブーゲンビリアやハイビスカスなど沖縄でもおなじみの草花が咲き乱れているし、木々は皆でっかい。沖縄みたいに無計画に並木を植えて、成長して電線にさしかかったから、といって無惨に伐採したりしないに違いない。どれもみな手入れが行き届いているし、なんといっても道々にゴミがほとんど捨てられていない。そもそも捨てる人がいないのか、税金を使った清掃が行き届いているのかわからないけれど、これこそが観光地だ。こんな街のためなら、税金の払い甲斐があるというものだ。どこを歩いてもゴミだらけの沖縄は、県民も行政も大いに見習わなければならない。

 そうやって進むうち、運ちゃんがそこらじゅうにある大木を指さして「あれはバニヤン・ツリー」といった。バニヤンといえば、ハワイのレストランなどがよく店名に使っている木である。指された方を見たら、なんとそれはガジュマルだった。バニヤン・ツリーとはガジュマルだったのだ。

 名護のひんぷんガジュマル(天然記念物)並みに見事なヤツがそこらじゅうに生えていた。すかさず運ちゃんに、あれは沖縄ではガジュマルというんだ、と教えてあげた。運ちゃんは「ガジュマル?」と復唱したあと、メモを取った。彼女たちはプロだから、ネタに使えるようなことはどんな些細なことでも一生懸命に覚えるのだ。沖縄ではあの木にキジムナーが住んでいるんだよ、とさらなるネタを教えてあげたかったが、私の英語力ではキジムナーを説明できないのであえなく断念した。一種の妖精、とでも言えば良かったんだなあ。

 また、傍らを通り過ぎる長い長い車にも驚いた。これがウワサに聞くリムジンだ。真ん中でポキッと折れるんじゃないかと思えるくらいに見た目不安定な車は、やたらと走っていたからすぐに見慣れてしまった。それにしてもあんなでかくて長い車、きっと日本の道路では走れないだろう。

トロリーは風を浴びながらワイキキの街を進んでいた。いつの間にか日差しが出ている。やっぱり緯度が低い分水納島より日差しが強い。これは本気出されたらやばいなあ、なんて思っていると降りるべきバス停に着いた。

パシフィック・ビーチ・ホテル

 我々が泊まるのはパシフィック・ビーチ・ホテルである。最寄りのバス停はハイアット・リージェンシーの裏手だったので、下車後てくてく歩いてカラカウア・アベニューに出、ホテルを目指した。何度も何度もガイドブックでワイキキ周辺の地図を見ていたから、初めて来たような気がしない。

 カラカウアアベニューはこのあたりではビーチのそばを通る大きな一方通行道路だ。覚悟はしていたが、やはりこの時期、沖縄同様あちこちで道路工事をしている。道路工事というのはガイドブックやパンフレットには絶対載らない現地の現実だが、こればっかりはしょうがない。でも、沖縄と決定的に違うのは、道路工事でも、建築工事でも、とにかく工事現場が整頓されていてきれいだということだ。沖縄のドカちゃんたちは、みな人はいいのだが、彼らの辞書に整理、整頓、清掃、清潔、といった文字は載っていない。道路工事はまだしも、建築現場は悲惨である。観光地なんだから、これは改めたほうがいいと常々思っているのだけれど……。

 バス停からホテルまでほんの3、4分だった。シェラトン・モアナ・サーフライダーや、ロイヤルハワイアンが万座ビーチホテルやブセナリゾートに相当するなら(あくまでも相対的にですよ)、パシフィックビーチはせいぜいみゆきビーチ、というところか。せめてリザンクラスのシェラトン・ワイキキくらいにしたかったが、5名分となると我々の力ではこのあたりが限界だったのだ。

 ロビーに入るとやっぱりみゆきビーチだった。でも今回のホテル選択の基準は、とにかく部屋から海がバッチシ見える、というのが第一条件だったから、たとえロビーはショボくてもその希望は大いにかなった。5階という、高層ホテルが立ち並ぶこのあたりではえらく下層の部屋ではあったが、海が目の前なのでなんの問題もない。かえって潮風が心地いいくらいだ(通りの車の音もするけど)。部屋は思っていたよりも広いし(ベッドも部屋も、サンシャインプリンスホテルの倍くらい)。そして部屋に入ってなによりも驚いたのは、コーヒーメーカーが置いてあるテーブルに、メッセージ付き豪華フルーツてんこ盛りが置いてあったことだ。

 今回の旅行は、実はうちのお客さんであるKさんに手配してもらったもので、今回は我々がお客さんになったわけだ。その彼女が、そのてんこ盛りフルーツをホテルに手配しておいてくれたのである。Kさん、ありがとう!

 明日は部屋で、豪華フルーツ付き朝食、といこう。

再び12月6日(火)パート2へ