ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

12月6日(月)

オハイオ島??

 さあ、いよいよ出発の日である。ハワイ紀行といいながらなかなか出発できなかったが、ようやくここまでたどり着いた。さあ、あこがれのハワイ航路だ!!

 とはいえ、飛行機は午後7時55分発である。いくら成田まで遠いと言ったって朝から出かける必要はない。

 いくぶんそわそわしながらも、準備は万端整っているのだから何もあわてることはなく、昼食まで静かに過ごした。コタツで暖まりながら、持って行くには重いガイドブックなどをパラパラめくっていろいろ見ていたら、

 「オハイオってのはどの島だい?」

 と父ちゃんが訊いてきた。いやいや、お父さん、オハイオじゃなくてオアフだよ。

 あらかじめルックJTBから、ちょっとしたガイドブックや旅行のしおりなどが届いているのだが、初海外旅行ということで全面的に我々におまかせの父ちゃんは、どうやらいっさい目を通した様子はなく、ひょっとするとこれまでずっとオハイオ島という架空の島へ行くつもりだったのかもしれない。

 ハワイに行ったことがある若夫婦に、事前にちょっとしたレクチャーをしておいてね、と頼んでおいたものの、はたして大丈夫だろうか。国内のホテルと違って浴衣が室内にあることはないから、浴衣でホテル内をウロウロする、ということはないだろうけど、至るところ禁煙であったり、公共の場では酒は飲んではだめ、とか、いろいろ日本と慣習が異なるので今さらながら心配ではある。

 が、時すでにここに至れり。今さらそんなことを気にしても仕方ないし、まだまだ到着するまで時間はあるから大丈夫だろう。

旅は始まった

 程良い時間のスカイライナーに乗るため、昼過ぎに家を出た。なんの問題もなく日暮里でスカイライナーに乗り、成田を目指す。父ちゃんはスモーカーだが、この先待っている6時間以上もの禁煙タイムのことを思えば、50分少々なら禁煙席でも平気らしい。

 見渡す限り田圃のなかを電車はひた走る。成田を利用するときに毎回思うのだが、首都の玄関口がこれほど遠くてどうするのだ。首都を移転するんだったら、いっそのこと佐倉あたりに持ってきたらいいじゃないか。あれで首都機能が中部あたりに移転してしまったら、空港建設の際、血で血を洗う抗争をした成田の存在価値はどうなってしまうのだろう。

 うちの奥さんは乗り物に乗るといつも窓側に座りたがる。そのくせいつもあっという間に眠るのだ。ところが今日は父親を引率しているためか、ややピリッとした緊張感が持続しているようで、眠ることなく車窓の風景を楽しんでいたようだ。

初の第1ターミナル

 そうこうするうちに成田空港が近づいてきた。我々の降りる駅は終点の成田空港駅である。そういえば、我々二人はこれまでに何度か成田から出発しているが、どれも第2ターミナルからだった。あそこで本を買おう、とか、軽食をとろうとか段取りしていたのは第2ターミナルじゃないか。そもそも第1ターミナルに本屋はあるのか、飯食うとこはあるのか、と急速に不安になってきた。でもまさか国際空港のターミナルにショップがないわけないか。

 空港に入る際、いよいよ父ちゃん初のパスポート提示である。サイズが小さくなってかさばらないから便利ではあるのものの、これだけ小さいとつい無意識にどこかに入れてしまうのでやっかいだ。父ちゃんはまず間違いなく、あれ、パスポートどこへやったっけ?という事態になるだろう。だから一式すべてうちの奥さんが預かり、要所要所で手渡す、という作戦を練ってあった。

 チェックインをすませ、荷物を預けて身軽になったので、まあ軽くビールでも飲みますか、ということになってレストランに入った。時間は十分にある。

 生ビールと、しばらくは食えないであろう枝豆、ゲソ揚げをたのんで出発前の前祝いをした。お酒を愛する人は、とにかくなんでも理由を付けては乾杯をするのだ。この先何回乾杯することだろう。

 しばらく後、二人には店でそのまま待っていてもらって買い物をすることにした。スナップ用の写るんですと、それにカメラのストラップ(持ってくるのを忘れた)を買わねばならない。それに忘れてはならないのが、機内及び滞在中用の本。本屋もカメラ店もあったので、これらの買い物はすぐ済んだ。なかでも本屋でトム・クランシーの新作レインボー・シックスがあったのがうれしい。しかし全4巻を小刻みに2冊ずつ刊行する、というのはやめてもらえないかなあ。1週間後に出るならともかく、1ヶ月後、というのは困ってしまうじゃないか。ここで言っても仕方ないのでその1、2巻を買った。

早めに着いたのに……

 レストランに戻ると二人はまだくつろいでいた。そんなに混んでそうもないし、並ぶこともないだろうから、ま、大丈夫だろう。

 そろそろ腰を上げないと、という時間になったので、いよいよ出国ゲートに向かった。ゲート付近のボードを見ると、我々が乗る飛行機ノースウェスト10便の出発時刻が10分早くなっていた。きっと空港に着いた時点で見ていたらびっくりすることはなかったのだろうが、今になって初めて知ってしまったのだ。無駄なく過ごしていたつもりだったから、10分早まったら……もしかしてピンチ?

 ゲートをくぐり、出国審査のところまで来ると、甘い予想に反して行列ができている。審査官も二人ずつ座りゃあいいのに各ブースに一人ずつしかいない。用紙に記入するためのカウンターもなかなか開かず、時間は迫る、気は焦る、こんなはずではなかったのに……とタカラのアスレチックゲームのCMソングが頭をかすめる(古すぎる?)。

 ようやく出国審査が終わった。急いで47番の搭乗ゲートを目指さなければならない。これがまた、見取り図で見る以上に遠いのなんの。搭乗案内のモニターを見ると、「最終案内」の文字が点灯しているではないか。う〜む、これは本格的にやばいのかな?とややあせりつつ、歩きに歩いてもうすぐかな、と思ったら、突き当たりの壁には、

 「47番ゲートはここから徒歩7分かかります」

 というご丁寧な案内板が!!最終案内うんぬんというアナウンスも流れ始めていた。これはピンチに違いない。

 なんで3時間以上も前に空港に着いていながらこんなことになっているのだ、と我ながらおかしくなりつつも、とにかく急がねばならないので長い通路をひたすら早歩きした。

 まだ距離はあったが、47番ゲートの前でまだ並んでいる人々が見えたとき、ビールのゲップと同じくらい濃厚な安堵のため息が出た。間に合った。

ハワイは人気もの

 冬休み前の平日のこんな時期はきっと空いているのだろう、という甘い期待は無惨にうち砕かれ、ボーイング747の機内は満席である。ハワイはやっぱりハワイなのだ。しかもどこだかの専門学校の修学旅行と重なっていた。おまけに、日本からホノルル、だったら巨大なアングロサクソンなんてそんなに乗っていないだろう、という期待もあえなく敗れ、私の隣には巨大な白い肉塊がすでにデンと座っていた。しかも肘掛けから私側に腕がはみ出している。この先6時間半も肩をすぼめて過ごせば、以後2,3日はジャミラ化してしまうかもしれない。それは耐え難かったので、私は席に着くなりすかさず指さし、

 「ハーフ!!」

 と言った。

 するとその白人は笑顔を見せつつ肘掛けから腕を降ろし、体の重心を向こう側にずらしてくれた。気のいいアメリカンだったのだ。彼はその後も、奥側に座っている私の空き缶やゴミなどをスチュワーデスに渡してくれたり、デザートのヨーグルトをくれたり(子供か、私は)した。
 白人だからといって誰も彼もが横柄で傲岸だと思ってはいけない。

 乗り込んだ客の中では我々はかなりあとの方だったので、待ちくたびれる間もなく飛行機は動き始めた。これから6時間余の苦闘が始まる。

 実は私は飛行機に乗るというのが心の底から大嫌いなのだ。新幹線でもタクシーでもなんでも、ひとたび事が起これば無事ではすまないのは一緒なのだけれど、こんなでかいものに乗って空高く舞い上がる、というのが生理的に耐えられないらしい。今この時この瞬間のこの揺れはいったいなんだ、なんなんだ、といちいちびっくりするのがイヤなのである。

 うちの奥さんと父ちゃんはそんなことはまったく意に介さないらしく、はやくも機内サービスのお酒は何を頼もうか、と考えている。私はとりあえずおとなしく耳栓をし、飛行機が安定高度に入るのを静かに待つのであった。

大事件発生前

 3万3千フィートほどの安定高度に入ると、すぐに機内食のサービスが始まった。まずはドリンクからだ。当然のように我々三人はビールを頼んだ。さっきは成田空港初入場記念であったが、今度は飛行機発進記念の乾杯を済ませ、グビグビグビ、と流し込んだ。すると、父ちゃんが「なんだかおいしくないぞ」としきりに言うのだ。我々夫婦のビールは何も問題がなかったので、きっと緊張しているからだよ、と我々は取り合わなかった。ところが父ちゃんが最後まで飲み続けると、最後の最後でビールのシャーベットが出てきた。凍っていたのだ。

 ついで機内食が配られ始めた。肉かウナギか二者択一である。こういうとき、

 「どっちも!!」

 と言ってはいけないのだろうか。まあ待て、今の私の胃は旅行前にすでに万全じゃなくなっているのだから、ここは落ち着いて肉だけにしよう。

 二人はウナギを頼んだようだ。その際父ちゃんがビールが凍っていた旨告げると、スチュワーデスはすかさず新しいのを持ってきた。父ちゃんとしてはもう一本、と言ったつもりではなかったのだが……。また一本来たので我々にも注ごうとしてくれたけれど、我々はこのあとは安ワインを飲もうと思っていたから断った。しかし今思えば、この時少しでもそのビールを飲んでおけば良かったのだ……。

 今頃ビジネスクラスでは、豪華メニューが並んでいるに違いない。それにひきかえ私の前では、ショボイショボイ牛肉がご飯の上で、「フニャッ」と横たわっていた。

 ノースウェストのエコノミーとくればさぞかしまずかろう、と覚悟していたが、その牛丼もどきは見た目のショボさにくらべればそれなりに食えるものであった。バクバクバクと平らげて、とどめの太田胃散を流し込んでおいた。

 乗客のほとんどが食事を済ませ、スチュワーデスたちのあらかたの作業が終わった頃、機内上映と眠る乗客のために消灯され、あたりは機外同様暗がりとなった。本でも読もうかなと思ったがよく考えると6時間余で到着してしまうのだ。到着するのは現地時間で朝の8時前だから、つまりはこの機内にいる間が「夜」の時間に相当するのである。それに気づいてすかさず寝なければ、と思って隣を見やると、二人ともすでにスヤスヤと眠りについていた。少なくとも私にはそう見えた。

大事件発生!!

 寝よう寝ようと努力すればするほどなかなか寝付けないものである。結局ややウトウトしながらも上映されているワイルド・ワイルド・ウェストを音声なしでボンヤリながめていたら、知らず知らずのうちに眠れそうな気配がやってきた。そして、あと一押しで睡眠、という完全なるまどろみ状態になったときだった。突然奥さんに呼び覚まされたのだ。

 「父ちゃんが気分悪いって」

 と告げられた。まどろみ状態から抜けきらない頭でその言葉を繰り返してみたが、子供じゃないんだから気分が悪いならトイレに行くとか網の中にある袋に出すとかしたらいいのになあ……という思考がまとまり始めたとき、さらに追い打ちをかけるように今度は

 「ひきつけ起こしてるよ!!」

 というささやき声ながらもせっぱ詰まった様子。

 さすがに「ひきつけ」なんていう言葉を聞けば眠気も吹っ飛び、なんだなんだいったいどうしたんだ?と原因を探りながらもスチュワーデスを呼ぶボタンを押した。すぐさまあたりを見回したがスチュワーデスたちの姿は見えない。すると今度は突然「私も気分が悪い……」と告げるやいなや、うちの奥さんが袋に顔を埋めるではないか!

 父ちゃんはといえばひきつけの症状が進化して、片手をうちの奥さんに握られた状態でまるでマリオネットのように踊り出してしまった。片やゲロゲロピー、片やマリオネットという、前代未聞の非常事態を前に、この旅行の前途が、音を立てて崩壊していくのが目に浮かんだ。

 呼んでからかなり時間がかかったように感じたが、ともかくもスチュワーデスが駆けつけてきたので事情を話した。しかし、どこか横になるところはないか、と訪ねてもあいにくの満席で、ということだった。役人のような事務口調で説明してくれた彼女はきっと新人だろう。

 さらに困ったことに、気流の不安定なところにさしかかっているために、スチュワーデスとしてはマニュアル上、客に席を離れてもらうわけにもいかず、床に寝る、という最後の手段も封じられてしまった。仕方ないので席を目一杯後ろに倒し、ブランケットを掛けて安静状態にした。その間スチュワーデスが、持病があるのか、とか酒を飲み過ぎたのか、いろいろ聞いてくるのだが、思い当たる原因が分からない。機内食が二人と私では違うけれど、他の乗客が皆肉を選んだはずもないし。酒だってそんなに飲んでないし……いや、待てよ、空港で生ビール一杯、飛行機に乗ってから缶ビール2本……これは気圧の下がる飛行機に乗るには飲み過ぎの範疇にはいるのかな?なんといっても還暦だしなあ。2本目のビールを半分ずつにしておけばよかったなぁ。

ああ、眠れない……

 結局、このまま安静にして様子を見る、ということに落ち着いた。幸いひきつけはすぐ治まり、いくぶん楽になっているようである。ひとまず父ちゃんはこれで大丈夫か……。

 と安堵したら、まだ横で呻いている人がいるではないか。おいおいおい、食い過ぎて胃腸がおかしい私をさんざん罵っていたくせに何をやっとるのだ君は。

 うちの奥さんは、以前はよく発作的に胃腸にくる風邪をひいていたのだが、このところなりを潜めていた。どうもその症状かもしれない、なんて言うのだ。しかし私は確信している。二人とも単に飲み過ぎだ!!気圧の低い環境下で露呈してしまったに違いないのだ。

 時折気分が悪いのがぶり返しつつも、結局そのまま二人ともおとなしく寝ていた。それに引きかえ私はといえば当然ながら眠れるはずもなく、5分おきに二人ともちゃんと息しているかな?と確認しながらその後の4時間を過ごしたであった。

 いやはや、前途多難である。

再び12月6日(月)へ