6・スリープインでスリープレス

 居心地のいい部屋、寝心地のいいベッド、そして適度なアルコール。
 ほろ酔い心地の静かな夜である。
 さすがスリープインホテルというだけあって、安眠にとってこれ以上ない状況が整っていた。

 この一週間というもの、プレッシャーのせいでずっと寝苦しい夜を過ごしていた僕でも、おかげでやっとスヤスヤと眠りにつくことができた。
 もうすっかり開き直り、心はマラソン後の飲み会に飛んで行ってしまっていたのである。

 が。

 人がスヤスヤと寝ている横で、一人ソワソワと落ち着かない動きをしている者がいた。
 うちの奥さんだ。

 ご存知のとおり普段の彼女は、枕元で本を読み始めたと思ったら、1ページもめくらずに寝てしまう人である。ごくごくたまに「眠れない…!」と騒ぐ日もあるのだが、それは3分たっても寝られない、というだけの話でしかない。4分後には確実に寝ている。

 ところが、この日は違った。
 あまりにも寝られないので、ついに彼女は本を読み始め、そのまま一冊読破してしまったらしい。

 いったい彼女に何が起こってしまったのか!?

 ……って、ようするに遠足前の小学生のようなものだったのだ。
 翌日にマラソン大会を控えていることによる期待と不安、いろんな人と久しぶりの再会を果たしたこの日の興奮。
 それらがないまぜになり、あまり容積のない彼女の脳味噌のなかでグルグル回っていたのだろう。

 ロッキーを観ながら寝てしまうくせに、どーしてこういうときには寝られないんだろうか。
 その答は簡単だ。
 ロッキーは他人ががんばっていること。
 明日のマラソンは自分ががんばること。
 他人のことなどどーでもいいという、超B型的性格のなせるワザなのである。

 そしてついに夜が明けた。
 同じ県内でも、本島と石垣島では夜明けの時間が全然違い、水納島ならもう明るくなっている時刻でもなお暗い。
 そんな暗い朝を迎えつつ、うちの奥さんは3時間眠っただけという寝不足女になってしまっていたのだった。
 大学受験を控えた冬休み時でさえ、キッチリと8時間睡眠をキープしたほどに、彼女の生活の中で重要な位置を占めている「睡眠」。それがたった3時間で、はたして今日はどうなる??

 ともかく、腹が減っては戦はできぬ。
 朝食をとりにレストランに向かった。

 最近のこういったホテルの朝食は、どこでもビュッフェスタイルが一般的だ。でも、朝6時過ぎにこれほど混んでいる朝食ビュッフェなんて……。

 そう、宿泊客のほとんどがマラソン大会出場者なのである。
 スタートは9時(フルマラソンは9時5分)、集合は8時半。
 消化の時間を考慮すると、食事はスタートの3時間前ってのが基本らしいから、みんななるべく早く朝食をとろうというわけだ。

 そんな活気溢れるレストランで、一人ドヨヨ〜ンとしているうちの奥さん。
 一方、久しぶりの安眠確保ですっかり気分よく食事に臨む僕。
 まぁ、シティホテルの朝食ビュッフェなんて、メニューに特筆すべきものがあるわけではないとはいえ、ここに来てなんだか胃腸も好調で、朝からモリモリ食べられた。

 さあて、食事も終わったことだし、いよいよ運命のマラソン大会へ!!

 ホテルからマラソン大会会場までは約2キロほどあった。
 大切な「体力」をキープしておくためにもタクシーで行こうかとも考えたけれど、歩けば30分くらいだ。僕はそれを準備運動に充てることにした。
 というのも、走り始めが最も痛くなるカカト痛が完治しているとは思えない今の状況では、事前にある程度歩いておいて、痛くなる時間帯をその準備運動中にもってくればいい、と考えたのだ。

 ホテルを出てトコトコと会場を目指した。
 すでにロビーにも道路にも、それらしき人々が歩いている。街中に出ると、会場を目指すランナーたちだらけになってきた。
 なんだかみんな楽しそうだ。
 そうなのである。マラソンってのは本来楽しいもののはずなのだ。

 なのに我々のこの緊張感っていったい……。
 でも、それら楽しそうなランナーたちの姿を見ると、我々との違いが歴然としていた。
 老若男女を問わず、ふくらはぎがこれでもかというくらいに立派に発達しているのである。そのせいだろうか、我々がチンタラチンタラ歩いていると、誰も彼もがスタスタスタ…と軽く追い越していく。
 歩くのも速い。

 うーむ………やはり市民マラソンといえど、そこに出るためにはある程度の「資格」が必要なのだろうか?
 そんな「資格」があるとすれば、間違いなく「前夜に酒は飲まない」という項目も含まれるに違いない………。

 そうこうするうちについに会場に到着。
 こういうときの時間の流れというのは、実に淡々と、しかし着実に進んでいく。
 マサカッちゃんたちはどこにいるのかなぁ…と探すものの会えないままやがて集合時間となり、スタート地点に多くのランナーが集まり始めた。

 心配された天気はうす曇りの程よい気候で、暑すぎず寒すぎず、絶好のマラソン日和である。

 さあ、いよいよスタートだ。
 これから、放射能除去装置を受け取るための、往復29万6千光年の旅が始まる!!

 地球人類滅亡の日まで、あと6時間!!