34・パレルモ散歩

 朝に昼にとほどよく飲んでほどよく……以上に歩いて疲れた父ちゃんには、このあと昼寝が必要だった。
 というわけで、モツバーガー屋さんを出た後、ホテルの近くにあるお店でワインを買って(また昼寝酒に飲むらしい)一度ホテルへ。

 「みんなも休んでいけばいいのに」

 そう言う父ちゃんを残し、我々は再び街に出た。

 LIBERTA!!

 せっかくなので、再びマッシモ劇場に立ち寄った。
 朝はまだ開館前だったから閉まっていた門が、この時間は開いていた。

 …ってことは?

 階段まで行ける!!

 さて皆さん。
 今朝は詳しく触れずにスルーしたこのマッシモ劇場、いったいいかなる場所か、もうお気づきですね?

 そう、このシーン!!


ゴッドファーザーPartVより

 ゴッドファーザーPartVのクライマックス。
 長男の舞台を鑑賞に来たマイケル一家。
 そして、マイケル暗殺を企てる一味。

 しかしその銃弾は………


ゴッドファーザーPartVより

 マイケルを突き抜けて娘のメアリーに。

 「Dad…………………?」

 その一言を最期に、倒れるメアリー。


ゴッドファーザーPartVより

 事態を飲み込み、己の運命に絶望するマイケル。


ゴッドファーザーPartVより

 そう、すべてはこのマッシモ劇場の階段での出来事だったのだ。
 フフフ……、とうにゴッドファーザーは終了したと思っていたあなた、まだまだ甘い。

 で、真似する我々。


        
Dad………?

 
「ア―――――――――……………………」

 レッドカーペットがないのが残念……
 …って、そんなことよりも。
 雨降りで人通りの少ないときでよかった………。

 このマッシモ劇場の、マクエダ通りを挟んだ向かいに、魅惑の小道がある。
 まぁどの小道も魅力的なのだが、より一層魅惑溢れる小道。
 テケテケ歩いてみた。
 このあたりにあるという、とあるものを探して。

 けっして車は通れなさそうな狭い石畳の道を歩くと、そこらじゅうにトラットリアがあった。
 雨を避けた軒先には前菜らしきものがズラリと並んでいて、それぞれの店舗のたたずまいは、まるで一枚の絵葉書のような風情。
 しかも見るからに美味そうだ。

 このあたりは観光客がよく通りかかるところなのか、そんなトラットリアには呼び込み係のニィニィがいて、通りかかるたびににぎやかに声を掛けてきた。

 ごめん、ご飯はもう食っちゃったよぉ。

 そう言いつつ、道を尋ねてみる。
 すると彼は、英語で、英語で!!というではないか。
 あ、そういえば、最初から英語で呼び込みしてたっけ??

 このあたりの人たちにとっては、やはり英語を話せるというのはひとつのステイタスなのだろうか。
 呼び込みをやっている彼にとっては英語を話してこそ自分の仕事、というモノなのかもしれない。
 そういえばホテルのフロントでも、チェックインするときに「英語ですか?イタリア語ですか?」と訊ねられたので、

 Both un poco.

 という、まことに意味不明の返答をしたのだった。
 だって僕は、イタリア語よりもかえって英語のほうができないのだからしょうがない。<つまりどっちもできない。
 その際フロントのニィニィは、持ち前の英語力を発揮できなかったせいか、やや残念がっていたような気がする。

 このスージィグヮーでも、当然ながら英語を咄嗟に駆使できないから、英語で!という声に負げずに拙いイタリア語で道を尋ねると、

 「ああ、それだったらこの道をまっすぐ行って、あそこで左に曲がればいいよ!!」

 なんとも優しいパレルモの人たち。
 あ、そうそう、道を尋ねてその答えを聞く際に備え、まっすぐ、突き当たり、曲がる、左に、右に、という単語を覚えておくと、実際面で大変都合がいい。

 その彼のおおせに従ってテクテク歩くと……
 たどり着いた!!

 クティッキオのプーピ劇場。
 そう、ゴッドファーザー
PartVに出演していた、あのヒゲの人形劇師、ミンモ・クティッキオ氏の劇場がここだ。

 観光名所などそっちのけで、こういうスージィーグヮーで、人形劇をのんびり鑑賞……ってのも面白そうだなぁ。
 もし「次回」があれば、迷わずここに来ようっと。
 オペラは観られないけど、人形劇ならこの格好でも大丈夫だよね??

 大通りに戻ると、そこは再びマッシモ劇場だった。
 そこからクアットロ・カンティを経由してヴィットリオ・エマヌエーレ通りを、海とは反対方向に進む。
 左右どちらでも、一歩入ると細いスージィグヮーだらけで、そこに踏み込んだらあっという間に方向がわからなくなるだろう。
 幸いこの大通りは、海から一直線に続く道。
 おまけに目的地はその通り沿いにある。

 その前に、休憩がてら立ち寄ったのがここ。

 カテドラーレ。
 ノルマン王朝の王族の霊廟があるところだ。
 後代になって、丸い屋根も含めていろいろと改築増築されているとはいえ、創建は1184から翌85年というから、ちょうど源義経が、一の谷や屋島、壇ノ浦で平家を相手に連戦連勝を続けていた頃のこと。

 もっとも、その当時は今とは違う姿だったわけで、内部もまた、18世紀後半になって改装されたもの。


有料の宝物庫が見どころらしい。

 中身は単に、豪華ででっかい古風な教会って感じだった。
 でも、他に誰がいるわけでもない静かでだだっ広い空間に、おあつらえ向きにズラリ揃ったベンチがあるなんて、まるで海洋博記念公園の海洋文化館なみに、

 「ちょっと休憩」

 にはうってつけの場所なのだった。<それってバチあたりなのでは??

 さらにテクテク進むと、やがてヌォーヴァ門にたどり着く。
 海側のフェリーチェ門から一直線に伸びるヴィットリオ・エマヌエーレ通りの終点だ(道はその先も続いている)。
 この門を抜けたところにある広場が、インディペンデンツァ広場。
 この広場に、モンレアーレ行きバスの始発駅がある。

 名所ばっかり行ってても慌しいだけ…と思いつつも、

 「パレルモへ行ってモンレアーレを見ないのは、驢馬の旅の如し」

 という箴言があるそうな。
 「日光を見ずに結構というなかれ」というヤツの親戚みたいなものだろう。

 日光はいまだ見に行ったことがない僕ながら、ここまで来ている以上驢馬になりたくないので、明日観に行く予定にしていた。
 なので、バス停チェックをしておかなければならない。

 ところが、広場にあるというからすぐに見つかるかと思いきや、これが思いのほか広い広場で(なにしろ広場だから)、隈なく歩いて見つけ出すのは絶望的に見えた。

 なのでメインストリートに面している花屋さんに尋ねてみることにした。
 すみません、モンレアーレに行くバス停はどこでしょう??

 すると、花屋のご主人と店員さんは店の外まで出てきてくれて、

 「ほら、あそこにある看板が見える??右側の。あそこでモンレアーレ行きのバスに乗れるよ!」

 二人がかりで教えてくれた。
 市場でもそうだったけど、とにかくその場にいる人がみんな教えようとしてくれるので、教わる側もある種の勢いを受け継ぐ。

 ところで切符はどこで買ったらいいんですか??

 「そこのバールで買えるよ!!」

 またしても二人がかり………

 ありがとうございます!!

 「Prego!」

 なんかホントに…………いい国だなぁ。

 彼らが言う「そこのバール」が、僕が思ったそこのバールかどうかわからなかったので(実はどこでも買えるらしい)、一応確かめてみるため、バールに入店しようとすると……

 バールから出てこようとした人に、冗談込みながら思いっきり「ビビったぁ」というポーズをとられてしまった。
 たしかに、垢抜けない赤い上着に無精髭、そしてたたんだ傘を手にするアジア人………
 ひょっとして俺って……

 かなり危なく見えるの??

 周り中がスリかも!!と心配して貴重品関係保護の装備をしているというのに、まさか現地の人に引かれてしまうとは!!
 フル装備、あんまり意味なかったのかな………??

 気を取り直し、あくまでも紳士としてレジのおねーさんにバスのチケットのことをうかがってみた。
 するとすぐさまレジ下からチケットを取り出そうとするので、ありがとう、明日買いに来ます!と言ってお別れした(今日のうちに買っていても問題なかったみたい)。
 チケットもこれでOKだ。

 さあ、これで明日の準備は完了だ。
 再び散歩の続き。
 せっかくここまで来たから、ノルマン王宮に行ってみることにした。
 アラブ人が築いた城壁を、ノルマン王朝が拡張、改築して作られたノルマンの王宮。
 やけにセキュリティチェックが他に比べて厳しいなぁと思っていたら、現在はシチリア州議会の建物なのだそうな。
 沖縄で言うなら、首里城が県議会の建物になっているようなものだ。

 入場料を払い、セキュリティチェック兼の入り口を通って2階に行くと………

 パラティーナ礼拝堂!!
 規模といい荘厳さといい、同じキンピカモザイクとはいえマルトラーナ教会の非ではない。
 ビザンチン風のモザイク、イスラム風の木彫りの天井。
 まさにシチリアならでは。

 そんな圧倒的な荘厳さのもと、ただただ立ち尽くすオタマサ。


上にばかり気をとられがちだけど、足元のモザイクも素晴らしい。

 たしかにこれは、立ちすくむ…ってくらいの見事さだ。
 自分の家の部屋をこうしたいとは思わないけどね……。

 このキンキンキラキラパラティーナは、日本で平清盛が台頭し始めた頃に造られた。
 それ以前の日本にも、平泉に金色堂というキラキラがある。
 はたしてこのパラティーナ礼拝堂の、気の遠くなるようなモザイクや木彫りというのは、神に対する純粋な気持ちからなのか、それとも平泉の清衡のような、仏心プラス中央政府に対する奥州ここにあり的な気概によるものなのか、それとも、後の秀吉のようなあからさまな成金趣味なのか………。

 なんであれ、その元となっている当時のシチリア王国が、この地中海世界で強大な力を有していたのは間違いない。 

 これは父ちゃんにも見せてあげたかったなぁ……とは思いつつ、今日ここまで来ていたらきっとシボーしていたことだろう。
 その判断が正しかったことは、翌日判明する………。

 その後、すでに触れたとおりバッラロ市場で買い物を済ませ(ノルマン王宮からバッラロ市場に向かう道が、ややデンジャラスチックに人通りが少なくてスリルがあった)、再び休憩をするため、ジェラテリアに寄ってみた。
 パレルモで是非一度はジェラートを食べようと思っていたのだ。

 場所は、ヴッチリア市場の入り口、サン・ドメニコ広場。
 店に入ると、たむろしていたニィニィたちの一人が、

 「ナガートモ、ナガートモ!!」

 …お、ついに出たか、カルチョ・イタリアーノ。
 ナガトモがさらに頑張ってくれれば、日本人も旅行しやすくなることだろう。

 ジェラートには何種類もあるけれど、是非これを!と思っていたのはピスタキオ。

 さっそく、ブリオッシュに挟むこっちふうのスタイルで注文すると……

 彼もまた、自らがイケていると信じ続けて早25年くらい……に違いない。
 どうです、このキメポーズ。
 これ、作業中に撮ったんじゃなくて、写真を撮っていい?って言ったらポーズをとってくれたもの。

 やっぱどんな職業でも、「キメポーズ」があったほうが絵になるなぁ。
 ガイドダイバーとしてはどういうポーズにしようかな??

 ところで、ジェラートという言葉はすでに日本語になりつつある。ただ、僕たちはずっと、ジェラートとアイスクリームは似て非なるものだとばかり思っていた。
 ところが、イタリア語のジェラートを翻訳すると、「アイスクリーム」(ためしにお手元の翻訳ソフトでどうぞ)。

 その発祥の地はシチリアだそうで、しかもシチリアのジェラートはとんでもなく美味しい!!というのがもっぱらの評判だ。

 たしかに美味しい。
 美味しいけど……………

 すみません、パレットくもじのハーゲンダッツのほうが美味しいような気がするんですけど…………。<ただちに沖縄に帰りなさい。

 それはともかく。

 多すぎッ!!

 ブリオッシュで挟んだお味は「なるほど…」的新しい味覚で面白い。が、ひとつを二人で食べてもまだ多い。
 世の中にはこれを、「おやつ」として何箇所も食べ比べしている旅行者もいるらしい……。

 こんなに大量で、しかもテーブルについて食べていたというのに、お会計は3ユーロもしなかった。
 安すぎでしょう………。

 これでもリラの頃に比べればウンと高くなったというのだから、昔はどんだけ安かったんだ??

 安いといえば、今宵の夕食。

 「生シラスを生で食べたいッ!!」

 といううちの奥さんの本能的欲求に屈し、ついに部屋食と決めた今夜の夕食。
 ハム、チーズ、タコサラダ、シーフードサラダ、そして生シラスにオリーブといった市場でゲットしたもののほか、ホテルの近所にある惣菜店兼エノテカ兼レストラン兼いろいろのチーブスというところで買い求めた、カポナータにパレルモ風一口ピザ、そしてメッシーナビールとプラネタのワイン………。
 それからもちろん、オリーブオイルにバルサミコ酢に塩に胡椒に…………(ワインオープナーはフロントで借りた)。

 こんだけ買っても、リストランテやトラットリアで食べる一人分くらい………。
 なんてチープな夕食!!

 おまけに、本来あるはずのソファは3つめのベッドの仕切りになっていて、テーブルはテレビ台になっているため、3人横に並んでボードで………。


パジャマ姿ですっかりくつろいでいる父ちゃん

 什器も何もかも含め、なんだかパレルモまで来て貧疎なことこのうえないように見えるものの、食材のほとんどは、日本で買ったらそれどころじゃなくなるのは間違いない。
 なんといっても……

 ネオナータ!!
 いやあもう、今回の旅行では、オリーブオイルの威力をまざまざと見せ付けられてしまった。
 なかでもこういうナマモノ系での威力は凄まじい。
 なんか、ヘタすると醤油で食べるよりも圧倒的に美味しい気がするんですけど。

 美味い美味いと言いながら3人でたっぷり食べたものの、それでも200グラムってけっこう多い。
 本来大量に食べるものではけっしてないであろう生シラス、さすがに後半は食い飽きてしまった。

 シチリアのタコは、味のほうもなかなかやる。
 たまに沖縄から埼玉にタコを送ると、美味い美味いと父ちゃんには絶賛されるのだが、シチリアのタコも負けてはいなかった。

 でまた、こういう料理でオリーブオイルと共に欠かせないのがレモン。
 リモーネ。
 これがまた、ただ酸っぱいだけの日本のスーパーのレモンと違って、機関長が水納島で作るレモンと同じような、太陽の恵みたっぷりの味があるレモンなのだ。
 レモンを絞って入れるのが欠かせなくなってしまった。

 シチリアにレモンをもたらしてくれたアラブの人たちよ、ありがとう!!

 そして、チーブスで買ってきた惣菜、カポナータ。
 タオルミーナのダ・ニーノでも食べたけど(松の実たっぷりだった)、これはシチリアの家庭料理の代表格で、ナスをはじめとする野菜たちをやや酸味のある味付けで煮込んだもの。
 そもそもが家庭料理なので、店によって味が違うというのも面白いところ。さてさて、チーブスのカポナータは???

 豚肉が入っていない酢豚だった。
 これってひょっとして、日本人が作ってない??ってくらいに、まったく違和感がない。

 そんなこんなで、買ってきた食材はほぼすべて堪能できたものの、唯一期待はずれのものが。

 カルチョーフィ。
 店のご主人は、「このまま食べれば大丈夫よぉ!」と、むしっては食べ、むしっては食べして教えてくれたものの………
 なんか違うんじゃない??

 というか、さすがに茹でたものをただ食べるってものじゃないよなぁ、見るからに。
 きっと彼の実力は、違う形で発揮されるに違いない。また機会をあらためて、リベンジさせてもらうことにしよう。

 というわけで、チープで豪華な、リラックスしたディナーなのだった。

 旅行準備中、ホテルを物色していたとき、パレルモのホテルには、3つ星クラスであってもキッチン付きのコンドミニアムタイプがあることを知った僕は、「旅行に行ってまで料理しなくったっていいのに…」と思っていたんだけど、たしかに市場であの数々の魅力溢れる食材を見たら、

 「キッチンが欲しい!!」

 って思うわなぁ。
 あのシャコだって、キッチンさえあれば………!!

 再びジジ・マンジャを訪れてあれもこれも食べたかったし、食後にマルサーラを飲んでみたかったし、あの店この店でどれもこれも食べたい…と願っていた僕ではあったものの。
 パレルモにはもう一泊するんだし、まぁたまにはこういう食事もいいか。
 父ちゃんも、気疲れせずにリラックスできて心地良さそうだったし…。

 が。
 まさか翌日、ああいうことになるなんて、この時誰が思ったろうか……。

 翌日に起こることなど何も知らずに、メッシーナのビールを飲んでは「ウメェ♪」と言ってた僕なのだった。


できることなら、1ケース持って帰りたかった……。