20・温泉津散歩

 

 今回温泉津には2泊3日の滞在で、丸1日ある中日は2月14日。

 世の中はバレンタインデーだ。ちょっと街に繰り出してコンビニやスーパーに入ればどこもかしこもバレンタイン商戦になっているはず。
 ところが温泉津温泉街のどこを見渡しても、バレンタインデーのバの字もない(バの字くらいはあったかも…)。

 今の日本では、それだけでも旅情体験かも。

 温泉津にいて丸1日あるのであれば、フツーだったら石見銀山あたりまで足を延ばす…というところなのだろう。
 でも我々は車で来ているわけじゃなし、温泉津にレンタカー事務所があるはずもなし、そもそも端から行きたかったわけでもないので、石見銀山はスルー。

 この日はただただ、あちこち散歩してみた。

 午前中は沖泊からやきものの里というロングレンジウォーキングをしたから、午後はおとなしめにそのあたりを歩いてみよう。

 昔ながらの湯治場の風情を今に残す温泉津温泉街は、端から端まで歩いても1キロもない。

 その海側の端、温泉街の表玄関側に、内藤家庄屋屋敷がある。

 内藤家とは、あの沖泊の防衛管理運営を毛利元就から一任された内藤内蔵丞の家系であり、現在は薬師湯の湯元権利者である。

 それにしても、なんで毛利家配下の奉行の子孫が庄屋に??

 というかよくよく考えると、毛利家は元就を継いだ孫・輝元が関ヶ原で三成に与してしまったがために、領地を大幅に削られて周防・長門2国の大名になったのだから、そもそも家臣は石見の国にいないはず。

 実はなんと、毛利家が縮小された際に、内藤家は主家とともに周防・長門へは行かず、この地に土着する道を選んだのだそうな。

 もともと毛利水軍の三本柱だった内藤家のこと、言い換えればほとんど海賊と変わらない気風だったろうから、銀山の権利の関係で江戸幕府直轄領となったこの地に、また別の勝機……いや、商機を見出していたのかもしれない。

 目論見どおりだったのか、その後の内藤家は、回船問屋(梅田屋)や酒造業など手広く事業を展開して豪商となり、幕府直轄領、いわゆる天領である石見銀山領温泉津において、庄屋や年寄になるなど地元の名士としての道を歩み続けたそうな。

 こちらの内藤家庄屋屋敷は回船問屋梅田屋でもあったところだそうで、路地裏に回ると、なまこ塀の大きな土蔵っぽい建物があった。

 漆喰が剥げ剥げなのが痛々しいけれど、写真に写っていない狭い路地に面した部分は、崩壊寸前くらいに壁が傷んでいるらしく、壁全体がビニールシートで覆われていた。

 手直しする予算が無いからなのか、それとも世界遺産登録以前の、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されたことにともなう様々な足枷のせいなのか。

 この温泉街、通りから空を見上げると眺めの中で電線が大きい顔をしている。
 ビジュアル的に随分邪魔なので、どうせなら電線を地中化すればいいのに…とつくづく思ってしまう。

 そんな電線や各家庭への配電すら「国の重要伝統的建造物群保存」の対象なんだろうか。

 そのわりには、年度末だからか配管工事がメインストリートの広範囲で行わている道路は、むしろ保存とは真逆の処置が施されていた。

 工事現場の警備員さんに伺ったところでは、近年はしょっちゅう配管工事をしているそうな。
 そのために「国の重要伝統的建造物群保存地区」の道路は、あちこちがブラックジャックのように継ぎ接ぎだらけになっていた。

 本部半島にある今帰仁村の、今泊というほとんどの観光客が知らない小さな集落でさえ、拝所と神事にともなう由緒ある道々をかなりの長さに渡って味わい深くきれいに古風に舗装してあるというのに、なんで世界遺産の温泉街の道路がこの状態なんだろう?

 あ……島根には米軍基地が無いからか。

 でもそれはとってもシアワセなことなのだ。

 温泉津には、基地は無いけど寺はある。

 現在の人口からするとなんでこんなにたくさん?と不思議に思えるほどに、大きく立派な古刹がいくつもあるのだ。

 それらはいずれも歴史を感じさせるたたずまいを見せている。

 ほとんどが1500年代、すなわち石見が銀山として復活して以後の戦国時代の創建らしい。

 その数といい規模といい、いかに当時の温泉津が殷賑を極めていたかがうかがえる。  

 そんな数々のお寺もやっぱり……

 石州瓦。

 ここ恵b寺は、門が赤瓦、本堂が漆黒の瓦という組み合わせになっていた。
 もう少し駅に近い小浜というところにある極楽寺では、門が黒瓦で本堂が赤かった。

 恵b寺のすぐ隣にある西楽寺は、本堂、門ともに真っ黒だ。

 こういったお寺をそれぞれ巡っていたらそれだけで一日が終わりそうだから、お寺は通りすがりに外から眺めるだけにした。

 ただ、漁港に近いところにある西念寺には、尼子氏との石見銀山争奪戦の際に毛利元就が本陣を置いたとか、塀の裏に沖泊へ続く旧石見銀山街道跡が残っているとか、ウソかマコトか元就手植えの梅があるとか、個人的にツボな話が。

 それらすべての由緒を知っていれば、迷わず足を運んでいただろう。
 残念ながら歩いている時はまったく知らなかったので、完全スルーしてしまった…。

 そんな由緒正しい古刹や昔ながらの湯治場の街並みが続く小さな温泉街には、衝撃的なものもある。

 こちら。

 ただ前を通り過ぎるだけなら、一見したところレトロな街の昔ながらの床屋さん……といった雰囲気のこのお店、その名を「丹頂」という。

 温泉街へと続くメインストリート沿い、それも内藤家庄屋屋敷のすぐそばであるから、誰もがその前を行き来する場所だ。

 店名だけでもかなりインパクトがあったので、立ち止まってつぶさに見てみると、温泉津温泉街を彩る統一規格のステキな外灯には……

 どこまで本気でどこからジョークなのか、判断不可能。

 チョンマゲは冗談にしても、「ナウな髪形」もジョークなのかな…。

 すくなくとも、往年のせんだみつおですら言わなかったに違いない。

 店名といいコピーといい、レトロなんだか時代を先取りしているんだかわからないこのお店、散歩している我々にとって、最もインパクトが残ったという意味では、アイキャッチとして大成功しているといっていい。

 入る気になるかどうかはその人の勇気次第かもしれないけど…。

 ところでこの温泉街統一規格の外灯は、各店舗、旅館ごとに備えつけられていて、夜になるとちゃんと灯が入る。

 店名や旅館名が入ってるほか、多くの外灯のサイドには、なにやらお坊様が認める賛のような味わいの文字がある。

 帰宅後写真を拡大してみると、詩の脇にちゃんと説明書きされていた。

 これは浅原才市という方の詩集にある一篇のようだ。

 浅原才市といえば、温泉津駅に到着した後、温泉街まで歩いている時に、彼の生家やその近くにある才市の湯という銭湯があるのを見ていた。

 そういえば元湯の正面にはこの才市さんの像まであって、なぜだか頭の上に角が2本生えていたっけ……。

 まったく知らないヒトだったから完全にスルーしてしまっていた浅原才市、江戸末期に生まれ、昭和の初めまで、職人として市井に生きた信心深い方で、浄土真宗の世界における「妙好人」なのだそうだ。

 妙好人と言われたってワタシはなんのことやら知らないけれど、各店舗・旅館ごとに彼が認め続けた仏の教えにまつわる詩の一篇一篇が綴られているほどに、郷土の人々に愛されている方だということはよくわかった。

 床屋丹頂さんや内藤庄屋屋敷からさらに海側、温泉津温泉街の入り口付近にあるのが、「スーパーおがわ」だ。

 その駐車場にもやはり、外灯with才市の詩があった。

 スーパーおがわといえば、レジのご婦人に温泉津の鮮魚事情を伺ったお店で、部屋飲み用の練り製品や板わかめなどご当地製品でお世話になったところでもある。

 海藻好きなオタマサが大いに喜び、帰宅後パリパリポリポリと食べている板わかめとは、こういうものだ。

 わかめを板状にし薄くのばして干したもので、原材料は潔くも「わかめ(島根県産)」のみ。

 ようするに採ったワカメを洗って干しただけともいうけど、水に戻さずそのまま、もしくは軽く炙るだけでいただける磯の香りの海の幸だ。

 実は温泉津には「ゆのつわかめ」という板わかめのオリジナル商品があって、上の写真の製品が天日ではなく工業加工品なのに対し、ゆのつわかめは今もなお天日干しで作っているという。

 温泉津駅の駅舎内に、その様子を写した写真が飾られていた。

 春の風物詩だそうで、ゆのつわかめも春には店頭に並ぶらしい。

 まだその季節には少々早い2月のこと、残念ながらスーパーおがわの店頭にゆのつわかめは見当たらなかった。 

 ワカメといえば、元湯でオタマサが入浴している際に一緒になった、地元のご婦人方の話題が何かの拍子にワカメになり、せっかく確保したワカメを嫁がみんな持っていっちゃたかなんかしたらしく、

 「またワカメを採りに行かなきゃ」

 なんて話していたという。

 地元の方々にとっては、とっても身近な海藻のようだ。

 地元御用達のスーパーで、酒類のラインナップもわりと豊富なスーパーおがわ。
 ところが、夜中に喉が渇いた時のために炭酸水を購入しておこうとしたところ、ミネラルウォーターはあるものの、炭酸水はただの1本も置かれてはいなかった……。

 コンビニがあるわけではなく、駅前に大きなスーパーがあるわけでもない温泉津では、ひょっとすると手軽に炭酸水を飲めないのかもしれない。

 薬師湯に浸ったあとの午後の散歩は、ただプラプラしているだけではあったけれど、一応目的地はあった。

 そこを目指して、前日駅から歩いてきた道を、駅方向に向かって歩く。

 行きも通った海辺の道、反対側から見ると……

 石州瓦の屋根が赤い。

 ショッピングセンターや全国チェーン店の進出により、地方都市や郊外が金太郎飴のようにどんどん画一化され、街それぞれの顔が無くなった…という嘆きの声もよく耳にする昨今。

 しかしながらここ温泉津の石州瓦の風景は、まさに石見の国の顔だ。

 本部町のように風景を度外視したつまらない箱型集合住宅が無制限に増え続けていくことに比べれば、よほど素晴らしい。

 そんな赤い石州瓦の建物群のなかに、目当ての場所がある。

 こちら。

 温泉津唯一の酒造所、創業明治2年の老舗、若林酒造。

 自慢の銘柄、開春の看板が力強く掲げられている。

 裏手には、漆喰塗りも真新しい酒蔵があった。

 会員限定亀五郎も、ここで仕込まれているのだろうか。

 お土産用、部屋飲み用、帰りの飲み鉄用の酒を買うために来ている我々なので、このあたりをひとしきり歩いてから店内にお邪魔した。

 外装同様味わい深い店内の傍らには、若林酒造が誇る開春銘柄のシリーズが、多数ラインナップされている。

 帳場脇にはワンカップや300ml瓶もあったので、720mlともども、各種を用途に合わせて購入。

 宿で幻の亀五郎をいただきました、とご主人(?)にいうと、

 「もったいつけてるだけなんですけどね(笑)」

 とご謙遜。

 お酒の味同様、マジメさ誠実さが滲み出ているご主人である。

 こんな近くに酒造所が、それも美味しいお酒を造ってくれるところがあったおかげで、いいお土産ができました。

 ……もちろん自分たち用の。

 純米、純米生、特別純米それぞれの開春。

 どれもこれも食中酒に最適で、主張しすぎず消え去りもせず、旨さが際立つ米の味。

 開春、うまいっす。

 若林酒造からほど近い所にはもう一軒スーパーがあって、なんだか看板がやけに目新しかった。

 ひょっとして??

 …と、ストローから離れた途端に消えるシャボン玉くらいに儚く淡い期待を抱いて覗いてみたところ……

 …やっぱり鮮魚は微塵もなかった。

 おばちゃんのワカメ同様、このあたりでは、魚を食べたきゃ自分で獲れってことなんだろうか。

 となると海辺にたたずんでいたこのウミウは……

 ……ここに暮らす人々の鮮魚をめぐるライバルなのかも。

 ひとしきり歩いたので、いったん宿に戻り、温泉津温泉ステップ2の元湯温泉を堪能したあと、ゴキゲンな昼寝タイムに突入することにした……

 ……のはワタシだけで、温泉に入ったら疲れが取れた!と言うオタマサは、再び散歩の人となった。

 以下、ワタシが寝ている間のオタマサの足跡。

 多くの船が出入りする港町だけあって、温泉津にも金刀比羅神社があり、なかのや旅館さんのすぐ前に祠へと続く階段がある。

 温泉のおかげで疲れ知らずとなったオタマサは、ワッセワッセと階段を登り切ったものの、大切にされているっぽい鳥居と社があるのみで、海や港や町を見渡せる眺めは微塵もなかったそうな。

 でもネット上にはここから眺めた海の写真もあるのだけれど…。

 オタマサの背では見えない角度だったのだろうか。

 この金刀比羅神社の入り口は、温泉街のメインストリートからなかのや旅館さんに入ってくる道にある。
 そこをそのまま先へと進むと、この日午前中に我々が沖泊からやきものの里へと歩いた車道に出る。

 ちょうど車道と合流するあたりにあるのがこれ。

 温泉津総合体育館&総合運動場。

 随分前に本部町に突如出来上がった総合体育館同様、この地域に住まう人々が全員避難できそうなほどの、不自然なまでに立派な体育館だ。

 各地方で必ずといっていいほど見られる総合運動公園&体育館。
 いったいどういう分野から予算が湯水のように湧き出ているのだろう?

 ワタシが引き続き寝ている間に、オタマサはテクテク歩き続ける。

 総合体育館から漁港方面にまわり、温泉街入り口に向かう途中にあるのが愛宕神社だ。

 海を見渡せる小高い丘にある神社で、そこからの眺めは……

 いささか木が邪魔ながら、たしかにいい感じ。

 こういった温泉津のベルベデーレポイントで撮影された写真をネット上で拝見すると、同じアングルでも木がまったく邪魔をしていない写真もある。

 これって、定期的に伐採しているのか、それとも写真自体が過去のモノで、すでに時を経て木が成長してしまっただけなのか、どっちなんだろう?

 ネット上で見受けられるといえば、温泉津には大浜製菓という菓子屋さんがあって、ご当地名物のお菓子を売っているというような話も散見される。

 温泉街のメインストリートにあるその大浜製菓の前を通りかかってみたところ、たしかにウワサの店舗があるにはあった。

 でも……どう見ても営業しているふうには見えない。

 たまたまこの日がお休みとかそういった感じではなくて、今はもうやってませんから…的な雰囲気が漂っている。

 引き戸のガラス越しに店内を覗いてみると……

 ショーケースにはたい焼きその他お菓子の型が展示されており、どうにも博物館然としているんだけど……。

 7月8月の2か月間限定で、野菜や鮮魚、干物が並ぶ日曜朝市がここ大浜製菓の玄関で開かれる…という話も目にした。
 ホントに今もやってるんだろうか?

 ひょっとすると大浜製菓は、水納島の各パーラー同様、観光シーズンになると俄然稼働状態になるのかもしれない。
 逆に、過疎化が激しく進む地域だけに、2、3年前の話がとっくに過去のモノになっているかもしれない。

 拙旅行記で触れているのは2019年2月現在のことで、しかも事実誤認や調査不足も多々あると思われるから、くれぐれもご旅行の際に参考にされないようお願いいたします…。

 なにしろ閑散期、しかも真冬だから、観光シーズンとはまったく違っているのは間違いない。

 浴衣姿で通りを行き来する観光客の姿など皆無なのはもちろん、人々の往来もあまりない。

 ただし閑散期ではあっても、昭和の香り漂う湯治場は、夜になるとさらに味わい深くなる。

 なかのや旅館さんの玄関も……

 あら、いい感じ。

 この通りにある宿それぞれがこのように灯をともせば、かなり趣のある姿に……

 …なるはずだったのだけど、なにしろ閑散期休業状態なものだから、この路地で灯がともっているのはなかのや旅館さんだけなのがいささか残念だった。

 ただしこの通りからメインストリートに向かうと、薬師湯旧館は美しく暖色照明で色づいている。

 通りに出てみると……

 わ〜お!

 湯治場が大正ロマン空間に。

 薬師湯旧館のカフェは定休日だったけれど、店内には照明が灯り、素敵な空間が外から拝見できた。

 昼間はややおとなしめに見えた湯治場の風景。

 それが夜ともなれば、さすが湯の街、やっぱり湯婆婆が出て来そうな雰囲気を醸し出していた(余談ながら、薬師湯現オーナーの内藤陽子さんの個人ブログのタイトルは「湯婆婆ブログ」という)。

 観光シーズンともなれば、ここに浴衣姿の観光客などの往来があって、往時の賑わいを彷彿させるひとときになるのだろうなぁ。

 そんな季節の土曜の夜に、神社に浴衣で夜神楽鑑賞……。

 なんかうらやましいぞ、観光シーズン。

 閑散期にいる我々が絶対に知ることができない「もうひとつの温泉津」がそこにある……に違いない。