松山城

 那覇から福岡へ向かうJALの機内誌に、たまたま松山城の宣伝が載っていた。1ページ丸まるの空撮写真だった。その城のたたずまいがとっても美しく、こりゃ是非行ってみたい、と思った。

 松山城は、松山市の真ン中にあって、小高い山の上なので市内のどこからでも見ることができる。言い方を代えると、松山は「典型的な城下町」なのである。
 秀吉の子飼いの大名の一人だった、加藤嘉明の築城という。
 なんでももともとは真中が谷になっていたのを埋めたてて1つの丘にし、城を築いたのだそうだ。まだ治まりきらぬ世だったため、城造りは防御をまず考え、山の上に建てるのである。

 おかげで、観光地となった今、登るのが大変だ。
 と、みんな思ったのだろう。なんと登城用のケーブルカーとリフトが動いているのである。

 ケッ
 と思いましたね。ハッキリ言って。
 これくらいの丘が登れないのなら城など見に来るな、というのだ。
 あ、バリアフリーということもありますけどね……。

 というわけで、麓から果敢に攻め上ることにした。
 例のチンチン電車に乗って麓まできたのだが、実はどこの駅で降りたらいいのかすらわかっていなかった。同乗の紳士が、下車駅はおろか登り口、登り易い道まで、かなり懇切丁寧に教えてくれたので助かったのである。松山の人々は旅行者に優しい。

 東雲神社の参道から上がった。
 一応神社にも寄って、ウートートーをしたあと、かかっている絵馬を見るともなく見ていると、
 「琉球大学に合格しますように………」
 という健気な願いを見つけてしまった。

 琉球大学という字の横に、小さく高知大学と書かれてあるのがいじらしい。
 偏差値的な話なら、圧倒的に高知大学のほうが難度は高いと思うのだけれど、この方は琉球大学に行きたいのですな。大丈夫、神様に代わって僕が保証しよう。

 そのまま登りつづけると、ロープウェーと交差した。まるでスキー場のような一人乗りのリフトも併走している。
 再び、ケッ と思った………けれど、すでに
 「ああ、乗っておけばよかった………」と後悔し始めていたのだった。

 それでも、ヒーコラ行っているうちに頂までたどり着いた。築城当時の櫓や門がそのまま残っているだけあって、規模こそ巨大ではないけれど、さすがに風格のある城である。「暴れん坊将軍」に出てくる江戸城が実は姫路城であるように、そのまま時代劇のロケに使えそうな風情。天守閣だって、再建とはいえ江戸時代のこと。客寄せのために無理矢理復元した城とはわけが違う。
 桜がたくさん植えられていた。4月に来れば心地よさそうだ。
 一番上の写真は梅が満開っぽく見えるけれど、この木だけたまたまそうだっただけで、本当はまだ咲き始め程度なのである。

 天守閣に登るには料金が必要だった。
 せっかくここまで来たのだから登ってしまおう(どうして首里城正殿ではそういう思考にならないのだろうか、我々は)。
 エレベーター付きの大阪城と違い、ほぼ江戸時代に再建されたままだから、階段である。
 子供の頃、無邪気な思いで
 「お城に住みたい………」
 なんて思ったものだが、毎日毎日階段を何回も上り下りせねばならないことを思うと、それほどうらやましいものではなさそうである。
 それでも、やはり天守閣からの眺めは素晴らしい。
 期待どおりすいていたので、他に誰もいないなか、天守閣から城下を見渡すというのはなかなか贅沢である。
 「寝転んでいいかな…」
 と、うちの奥さんが言い出した。
 誰もいないのをいいことに、天守閣で大の字になってみたい、というのだ。

 ゴロリと横になっているのを見ていると、なんだか気持ちよさそうだ。
 僕も真似して寝転んでみた。これがホントに気持ちいい。

 市の真中にあるだけに、天守閣からは360度どこを見ても城下である。

 春や昔 十五万石の 城下かな

 と、子規が詠んだ当時の松山の風景はもうあまり残っていないのだろうけれど、天守閣から見渡せばやっぱりそこは城下町だった。

 行きは登りやすい道を来たので、帰りはキチンと大手門のほうから帰ることにした。
 階段がずっと続く。エキセントリック運動である。
 ほぼ降りきったところが二の丸で、今は有料の庭園になっている。
 説明書きは無かったけれど、青葉城同様、やはり世が治まったあとは、山の上の本丸に通うのはみんなつらかったのだろう。二の丸も三の丸も平地にあるのだもの。
 伊達氏と違って加藤家はその後続かず、めぐりめぐって最後は久松家(姓を賜り松平となった)が松山城主になったが、その頃はもう、山の上の城は実用的ではなくなっていたに違いない。

道後麦酒館

 松山城から戻り、登城の疲れを霊の湯で癒したあと、我々は道後での第2の目的地、道後麦酒館に向かった。
 向かった、といっても、道後温泉本館と道を隔てた隣である。
 昼間からビールなのだ。それも湯上りに。

 そういえば、「千と千尋の神隠し」では、湯屋の中は酒池肉林的宴席の場で、温泉にはやっぱり酒が欠かせないでしょう、という風景だった。けれど、鉄輪の竹瓦温泉にしろ道後温泉本館にしろ椿の湯にしろ、共同浴場にはジュースの自販機はあっても酒は一本足りとも置いていない。やはり飲酒後の湯、湯上りの酒は体に悪いのだ。「千と千尋の…」では、あれは神様やもののけたちだったからこそなんでもオーケーだったのである。
 ということを踏まえつつ、湯上りにビール。ま、個室でしっかり茶を飲んでくつろいできたので、時効はとっくに過ぎているだろう。

 さて、なんでこの道後麦酒館に来たのかというと、地ビールを飲ませてくれる店だからである。
 その名も道後ビールという。
 めったに旅先での予定を立てないうちの奥さんが、珍しく家にいるときから、
 「道後に行ったら是非ここに行ってじゃこ天を食いながらビールを飲もう!」
 と固く宣言していたのだ。

 ゲストにいただいた軽井沢の地ビール、よなよなエールを紹介したときにも触れたように、冬は味の濃いビールがウマイ。地ビール地ビールと猫も杓子も騒いだ頃は、中には値段だけ高くて「なんじゃこりゃ!!」というようなビールもあったけど、キチンと生き残っているヤツはそういう意味でけっこういけるものが多い。ヨーロッパのビールのようなのである。この道後ビールも、立派なビールであった。
 薄いの(ケルシュ)、濃いの
(スタウト)、その中間(アルト)と三種類あって、それぞれに「坊っちゃん」に出てくるキャラクターの名が付けられていた。
 一番のお気に入りは中間のマドンナだった。
 ようするに三種類とも飲んだのです……。

 ところで、たびたび「坊っちゃん」の話で恐縮なのだが、坊っちゃんといえばマドンナ、と誰もが思っているのである。僕などキチンと小説を読む前は、てっきり坊っちゃんの彼女的ヒロインなのかと思っていたほどだ。
 その誤解を助長するものが数多い。たとえば駅前のからくり時計も時計盤にはマドンナがいたし、マドンナコンテストとか、このビールの名前とか、とにかく主人公坊っちゃんと同じような人気ぶりである。

 ところが、小説を読むかぎり、このマドンナさんなんてまったくろくでもないヤツではないか。
 落魄した婚約者を見限り、その上司に鞍替えするだなんて、金の切れ目が縁の切れ目という薄情女そのままなのである。
 セリフだって一言も出てこない。
 まったく感情移入のしようがない存在なのだが、なんでここまでもてはやされるのだろう。

 これはおそらくその後の映画やドラマのせいなのだ。
 道後温泉本館の通路に、歴代映画の主要キャストの紹介があったっけ。
 マドンナ役には、数々の有名女優が名を連ねているのである。
 ドラマにする以上、原作にはないさまざまな脚色があるのは当然で、有名女優が演じるのだからおのずと重要なキャラクターになるだろうし、実は良い人、と描かれているに違いない。
 つまり、現在の偶像としてのマドンナは、夏目漱石によるものではなく、後の世の脚本化と女優の為せる技なのですな。マドンナ、とあだ名をつけたところが凄かったといえば凄かったのかもしれないけど。

 とにかく、道後ビールはこのマドンナが美味かった。
 もっと安けりゃ土産に買ったのだがなァ。

 このお店は、ビールだけでなく、肴も郷土料理に力を入れている。
 宿の夕飯が豪華だから、なんとしても今日は空腹で臨みたい、と思っていたので、ここでたらふく食べるわけにはいかない。
 ああ、それなのにそれなのに。
 並んでいるメニューはどれもこれも美味しそう……。
 断腸の思いで品を絞り、じゃこ天、皮ざくざく(地鶏の皮)、太刀魚巻、センザンキ(竜田揚げ風地鶏のから揚げ)というのを頼んだ(すでに食い過ぎって?)
 美味かった!
 地鶏のから揚げは、やわらかい若鶏と固い親鶏がありますが、とウェイターがいうので、どっちが人気があるのか尋ねたら、やわらかいほう、とのことだった。
 フフフ、まだまだみんな甘いな。
 地鶏とは固いのである。固い中に濃厚な味が埋まっているのだ。
 迷わず親鶏のほうにした。
 クーッ!!固い!!
 でもウマイ!!
 今や産地や肉の種類など、何も当てにならない時代になってしまったけれど、ここのは正真正銘の地鶏である。この固さ、美味さなら間違いはない。
 こういう本当の鶏を食いなれると、マクドナルドのチキンナゲットなんて
 「なんだこりゃ!?」
 的な単なるたんぱく質って感じになってしまった。あんなのをウマイウマイと食っている人たちに、心の底から哀悼の意を表明する。

 いやはや、それにしても温泉三昧、食ってばかりの道後2日間だった。
 いで湯の町ではあるものの、鉄輪のように泉温が高くないためか、湯けむりが街中に漂うということはなかったけれど、浴衣姿で町を歩く人の数はさすがに多かった。
 だがしかし、そのほとんどの人が、立ち並ぶ巨大豪華ホテルの客である。
 なんでこういうところに来て、そういったホテルに泊まりたくなるのか不思議でしょうがない。
 だって、目当ては道後温泉本館であるわけでしょう?
 効能よりも泉質よりも、昔ながらの風情、レトロ感たっぷりの情緒を味わうために来ている人がほとんどのはずなのに。
 地上何階という部屋に泊まっては、いで湯情緒もへったくれもあったものじゃないとおもうのだがなぁ。
 温泉街としての道後は、この道後温泉本館の存在なくしては語れないはずなのに、なぜか町並みはどんどんと近代化していく。巨大ホテルに泊まりたい、という人が多いのもわかる。造らなければ収容しきれない、というのもわかる。だけど、それならもっと離れたところに建てればいいじゃないか。
 今、道後温泉本館の周囲の町並みが、明治の頃のままの景観を踏まえたものであれば、訪れる客は倍増どころではない、と思うのは僕だけではあるまい。

 それから、道後では欠かせない「坊っちゃん」、今読むと、生徒たちや赤シャツ、野だいこたちの不正義に対する坊っちゃんの怒り、憤りの論調は、そのまま今の日本社会に向けても通用するということに気づいてしまった。
 薄いけれど内容は厚い本なのである。是非再読をオススメする次第。

 世の流れとともにいろんなものが変わっていくのだから、道後がこの先も変わっていくのはしょうがない。ただ、できることなら、坊っちゃんや山嵐のような人の手によって、発展してもらいたいものである。赤シャツや野だいこのような人たちがのさばらないよう、湯神社にお祈りしておこう。