16

初めての銀世界

 洗濯機がブンブン動いている間、生まれて初めての豪快積雪の世界に繰り出した。しばらく暖房が行き届いた館内にいたので、外の世界に出ると途端に身が引き締まる。
 北海道の冬は沖縄と違って本当に生死にかかわる厳しいものだが、そのぶん、一歩ドアの内側に入るとかなり暖かい。建物であれば、隅から隅まで全館暖房されているのだ。部屋にいてもトイレにいても、風呂場にいてもまったく寒くない。ずっとスウェットやTシャツでいられるくらいである。
 では外に出れば即座に凍死するほど寒いのかというと、そうでもなかった。さすがに肌が露出している部分は「しばれるよぉ〜」って感じだが、着ているものが着ているものだけに限られた時間ならまったく問題はない。
 宿の周りをテクテク散歩してみた。
 雪の世界の散歩である。冬靴のすべり止めスパイクをシャキーンと開放した。我々はこれをパー着と呼ぶ。

 一面の銀世界、何から何まで雪に覆われている。ことごとく雪なので、ごみ回収用の箱まで美しい。出かけた先が雪景色だったことはこれまで何度かあったけれど、町がそっくりそのまま雪に埋もれているというような深雪はまったく初めてだ。
 静かな世界だった。
 別荘地だからもともと静かなんだろうが、厳しい冬の世界には虫の声も鳥のさえずりもなければ、風もなく、人々の喧騒もなかった。森も人も動物たちも、みんな息を潜めてじっとしている。

 傍らの積雪に初タッチをしてみようと雪にパンチを繰り出すと、僕の電光石火の鉄拳はフンワリと雪に埋もれた。
 やわらかい…………。
 うちの奥さんが息を吹きかけてみると、雪はフワッと舞った。これがウワサの粉雪か……。

 散歩していたのはほんの20分程度だったが、さすがに手と足の先が凍える。そろそろカラータイマーが点滅しそうだった。
 時刻は午後4時すぎ。
 ニセコアンヌプリも羊蹄山も、残照に映えて茜色に染まっていた。見ている者がいかにマヌケであっても、山はあくまでも荘厳である。
 明日はあのアンヌプリで………。 

 宿泊客は少ないとは聞いていたが、いわゆる一般客は我々だけである、ということが食事時に明らかになった。若さ爆発系のウルサイグループがいなくてホッとしたけど、一般客が他に誰もいない、というのもそれはそれでチト寂しい。
 一般客はいなかったが、泊まっている方々はいた。日によって人数が変わる作業の人だ。日本全国どこでもそうであるように、北海道の小さな宿も公共工事関係で利用されているわけである。
 それにしても、作業の人がペンションで連日フルコースを食ってるの?
 意外というか、興味津々というか……………と思ったら、彼等の食事は別メニューだった。当然か……。ということは、つまり毎食のフルコースは我々のためだけに作られているってことか………。なんだか申し訳ない。
 聞くところによると、彼等作業員はなんと昨年4月からずっといるそうである。
 4月から!!
 仕事の関係でずっとこっちに滞在しつつ、週末ごとに我が家に帰っているらしい。言ってみれば、水納小中学校の先生方のようなものだ(先生方は教員宿舎だけどね)。

 せっかくウルサイ系若者グループがいないというのに、オジサンたちが飲み騒ぐのかなぁ………。
 という心配はまったくの杞憂だった。
 沖縄の民宿に泊まる現場作業員の人たちなら、酒抜きに食事するなんて考えられないけれど、北海道の作業員は静かに素早く飯を平らげ、あっという間に自室に帰っていった。我が家ですら得られないプライベート空間を満喫しているらしい………。

 雪の降る町を…… 

 その昔、羅臼の宿で寝ていたときのこと。
 あまりのまばゆさに驚いて起きたら、すっかり夜明けを迎えていた。しかし時計を見たらまだ午前3時過ぎ。5月の羅臼の朝はとっても早かった。

 この最初の晩は、明日のスキーが未知の世界だったこともあって、小学校の遠足前日のような胸の高まりに揺り起こされてなかなか熟睡できなかった(もちろん僕だけ)。そしてついにパチッと目が開いた午前4時、北海道の朝は早いと思いこんでいた僕は、すかさずカーテンを開けてみた。
 暗い………。
 今は冬。そして北海道といってもニセコは羅臼よりもはるかに西側。日の出、日没の感覚は、もちろん沖縄とは随分隔たりがあるとはいえ、関東地方とほとんど変わらない。

 空が白み始めた頃、ふたたびパッチリと目が開いた。窓から外を見ると、雪が音もたてずしずかに降っている。
 窓一面にモノトーンの世界が広がっていた。
 電線や細い細い枝にまで雪が積もっている。
 木々の枝という枝は綿のような雪に覆われ、大地は雲の上であるかのような錯覚を起こすほどふっくらとしていた。
 静かな静かな雪の世界………。

 ないものねだりであることは百も承知ながら、まさに夢見ていた世界だった。朝の寒さはまた格別だろうが、是非ともその世界に身を委ねてみたい。
 というわけで朝食前に散歩してみることにした。なんてったって24時間いつでも入浴可能の温泉付き宿である。寒さに震えて帰ってきても、すかさず風呂に入ればいい。

 玄関を出てビックリ、雪が積もっている!!
 いや、そりゃ当たり前だけどさ、大雪警報もなんにも出ていない普通の雪だというのに、たった一夜でこんなに積もるなんて!!!!
 文字通りの新雪を踏みしめつつ、ちょっとだけ散歩してみた。うかつに深雪に踏み入れると、まるで干潟の泥のように足がズボボボッとめりこんでいく。
 それにしてもこの雪の世界の美しさときたら!!

 あまりに気温が低いせいで、服にまで雪が降り積もる。服に積もるほどなのだ、道路なんて埋もれてしまっているのだろう。まだ6時過ぎだというのに、朝から除雪車が道路を行き交っていた。こんなに積もっていても人々の生活はいささかもとどまることを知らない。
 小さな冒険から帰ってくると、宿の玄関先でアイドリングをずっと続けていた車が発進していった。雪がこんもり降り積もっているなか、朝食を早めに済ませた作業員たちの出勤である。こんな雪の中でも普通に車を走らせて行く。

 冷えた体を温泉で温め、朝食を食った。
 夜のフルコース料理に対し、朝は正調日本の朝ご飯である。
 正調なんだけど、サケの切り身やホッケといった焼き魚や、その他ところどころにまぎれているコマモノの食材など、北海道ならではのものがすこぶるオイシイ。

 そして朝食後、レンタルサービスの人がやってきた。昨日のうちに時間を決めてあったのだ。
 ここに至るまで実に実に長い道のりだった。14万8千光年を旅してきたかのような感慨すらある……。
 さあ、いよいよスキーだ!!