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旅はまだ終わらない………番外編・小樽散歩

 ………これで終わっていれば美しい大団円だった。
 しかし旅はまだ終わらない。

 倶知安を過ぎ、余市を過ぎ(ブドウ畑確認!!)、そして小樽に到着した。
 小樽。
 サザエさん作戦2003その2である。つい最近まで小樽といえば苫小牧あたりにあると思いこんではいたものの、サザエさん的観光地全国制覇を目指すものとしては、経由する小樽をみすみす逃す手はない。
 だからといって小樽の何をどうするのか、という野望も何もなかった。とにかく運河を見て、寿司に全力を注ごうと思っていた。
 小樽は寿司屋通りという道があるほどの寿司の街でもある。中華を食って、宿では連日洋食で、という予定は前々から決まっていたので、小樽で寿司、というのも既定路線だったのだ。
 といっても、そういった有名店というのは観光客向けである、ということをいろんな話を聞いて知っていたので、よさそうな店の見当をあらかじめつけていた。が、それが載っていた本も、店の名も場所も、何一つ持って来ていなかった。<バカ。

 美味しい寿司屋を探すなら地元の人に聞け、という鉄則がある。風みどりさんでうかがった際も、結局結論はそういうことだった。
 小樽市の隅々までくまなくまわるつもりではない我々にとっては、小樽の駅から歩いてまわれる範囲に目的のすべてがあった。駅からちょっと歩いただけで例の運河なのだ。
 その途中に小樽最大の市場「中央市場」がある。まずはそこへ。
 さすがに都会は雪が少ない。
 ………なぁ〜んて、つい1週間前は道端に消え残ったわずかな雪に感動していたくせに。それを思えば小樽の雪だって感動モノの量である。道路脇は泥んこで汚いけど……。
 雪の量はともかく、初のアイスバーン体験だ。もちろん、冬靴はパー着状態にしてある。
 テクテク中央通りを進み、適当なところで左折すると、中央市場はあった。
 「小樽最大の市場」
 という謳い文句からは想像もできないほどにささやかな規模だ。
 肉やら乾物やらいろいろあるけど、もちろん目当ては魚である。北海道のオモシロ魚を見たいのももちろんながら、観光客向けの市場ではないけどひょっとして全国発送できないかなと、少しだけ期待もしていた。
 あった。
 全国発送オーケーの店が。
 ズラリと並ぶ北の魚たち。どれもこれもうまそぉぉぉ…………。
 これがまた安いのなんの!!!
 ニシンもホッケもハタハタも何もかも……。空港の土産店はいったいなんだったのだ的安さではないか!

 これから運河などを見に行くので、帰りがけに寄る旨告げ、午後になると無くなっていたりしないか尋ねると、キープしておく、と言ってくれた。見ず知らずのイチゲンさんの言葉を信じてくれたのだ。
 いい人だったので、甘えてオススメの寿司屋を教えてもらった。なにせ彼らはその道のプロである。地元の人に訊くとなれば、これ以上のキャスティングはない。
 「この辺だったら伊勢鮨かなぁ……」
 道順まで丁寧に教えてくれた。
 あとで知ったのだが、この中央市場にもお寿司屋さんがあったのだ。なんと失礼なことを訊いてしまったのだろう………というか、そこを勧めなかったってことはいったい……?

 教えてもらったとおり道を行くと、たしかにその伊勢鮨はあった。
 なんだか格調高そう…………。
 暖簾をくぐるとあっという間に萎縮してしまいそうな、そういう店構えだったのだ。
 ムムムム……。
 きっと美味しいのだろう。オススメの店なのだろう。でも僕らには敷居が高そうな……。

 いずれにしてもまだお昼には早かったので、先に運河へ向かった。

 結論から言うと、小樽の運河はグリコのネオンがない道頓堀である。
 そこがかつて栄えた運河の街で、並ぶ建物はどれも由緒あるものばかり……ということを知らなければ、なんてことはない水路と思うだけかもしれない。
 が、そこに雪があるだけで、ああ、雪の小樽よ北海道よ、夜霧よ今夜もありがとう……って風景に変身だ。
 ガス灯が素適なので、夜眺めるのもいいかもしれない。残念ながら我々はこの日札幌泊だから、夜景を楽しむことはできなかった。

 そのあと北一硝子三号館を目指した。
 特にガラス工芸に造詣が深いわけでも、沖縄の琉球ガラス発展のために寄与したいわけでもなく、きれいだ、と何かに書いてあったのでそれを見に行っただけである。
 途中通った堺町通りの雰囲気がいい。
 平泉駅から中尊寺に向かう参道のような、落ち着いた中にも格調の高さがうかがえる気分の良い道だ。むろん、観光客目当ての店ばかりだが。
 小樽は歴史的な建造物が保存されていることでも有名である。というか、食を除いた小樽のウリはそれしかないといってもいい。別府鉄輪の町もそうだったように、一昔前までなら「古臭い」としか思われなかったものが、現代では「レトロ」という新たな価値観によって生まれ変わる。
 北海道初の鉄道開通が小樽だったということからもわかるとおり、かつての商都小樽はモダニズム漂うハイセンスな都会だった。だから当時、すなわち明治なかばから昭和初期くらいにかけて建てられた建物の多くは「シャレていた」のである。小樽にはそれら建造物が数多く残されている。
 その一方で、昔の倉庫を再利用してレストランなどにする、というのも流行っていて、我々が目指す北一硝子三号館は、倉庫再利用の先駆者なのだそうである。
 そういった建物にはそれぞれ説明書きが書かれていたり、観光ガイドブックにもいろいろ載っている。でも、旧木村倉庫とか、旧寿原邸とか旧三井銀行小樽支店とか言われても、荘重なルネッサンス様式とかギリシャ建築風とか言われても、建築の歴史や小樽の栄華時代をまったく知らないからどうしようもない。名所旧跡的それら建造物をピンポイントでまわってもきっとつまらないだろう。
 それよりも、ただ町を歩くほうがよっぽどそれら小樽の旧建造物が伝えようとしているものを味わうことができるような気がした。小樽は、散策してこそ楽しめる町なのである。
 堺町通りなどの底流にも、そういった過去の栄華をいい意味で偲ぶ思想があるのだろうことは充分うかがえた。どんどん東京郊外の街のようになっていく那覇市に是非参考にしてもらいたい。

 観光客向けガラス工房がいくつかあった。小樽は、ガラスの町という別の顔も持っているのだ。
 北海道開拓時代の石油ランプがことの始めなのだそうで、以来その技術を工芸品として世に広めていったのがこの北一硝子であるらしい。近年になって道外からも工芸家が集まり、一気にガラスの町として有名になったという(僕は知らなかったけど)。
 北一硝子三号館は、外見は普通っぽいのに中は僕が小学一年生の時に通っていた校舎のような、歩けばギシギシ音がする昔懐かしい木造家屋だった。明治中期に建てられた木骨石造建築の倉庫を利用しているという。通路にあるトロッコのレールが倉庫時代の名残をとどめているらしい。

 特に何かを買いたいという目的のないまま気軽に入ったのだが、ズラリ並んだガラス工芸品に目を奪われた。国際通りの琉球ガラス土産店とは趣がまったく違う。
 北欧を始めとする世界のガラス工芸品がキラ星のごとく展示されていた。ガラス製品といえばつい実用品ばかりを思い浮かべるが、工芸品である。観賞用のものも数多い。

 そんななかでも地元の工芸家の作品には自然を対象にしたものが多く、雪の結晶とか動物なども数多かった。
 多面カットされた美しい動物たちの置物が可愛い。
 ニワトリがあったので、オウムもあったらいいのにね、といっていたら、あったあった、キバタン!!かんぱち君の親戚だ。
 箸置きくらいの小さなガラス製品だった。持ち帰るのに不便はない。
 かなり欲しくなって、いくらするのか見てみたら…………

 17000円!!!
 いちむぁんななしぇんいぇん!?

 ゼ、ゼロ1個多いんじゃないの???
 いやはや、北京ダックもビックリだ。

 芸術の世界は敷居が高いことをあらためて思い知らされた我々は、スゴスゴと和風コーナーの実用品を見ていた。
 北一オリジナルの作品がズラリ並んでいる。こういうのは、見れば見るほど欲しくなってしまうというワナにはまるのが常である。
 案の定ワナにはまった。
 三つ脚のロックグラスが僕に手招きをしていたのだ。うちの奥さんは、その隣の三つ脚ぐい飲みグラスに招き寄せられていた。

 腹が減った。
 北一硝子は三号館のほかにもこの周辺にいろいろあって、あとで調べれば調べるほどオモシロそうな場所であることが判明してしまったのだが、この時はもう腹が減っていた。うちの奥さんはニッカド電池なので、腹が減りだすと途端にエネルギーが切れてしまうのである。
 ここからさっきの伊勢鮨まではちと遠かったので、グラスを買う際にレジのお姉さんにこのあたりいい寿司屋を尋ねた。ま、若いおね―さんに訊いてもしょうがないし、そもそも素適なランプで装飾された飲食店を併設している館内でそれを尋ねるのは失礼というものだ。

 それでもおねーさんは教えてくれた。電池が切れる前にと、急いでその寿司屋に行ってみた。
 小樽の地ビールはまぁ美味かった。

 八角の刺身、ホッキ貝なども美味かった。
 ウニも一味違った。
 青緑色の卵がついたボタンエビも美味かった。
 が。

 ベリーエクスペンシブ。
 ○○セットとかを頼めばそれなりのお値段なのだろうが、僕たちは地の物を食いたい。そうなると一品ずつ頼むことになるから割高になるのはわかってはいた。
 しかしだからといってウニ1カンが600円とはどういうことだ!!
 ……そういうものなの??
 うちの奥さん的には、シャリにも不満があったらしい。
 そういうわけでオススメできないので、店の名を明かすことは控えよう。
 そういった不満とは別に、我々はものすごい発見をしてしまった。
 ホッキ貝の塩焼きを食ったところ、味と香りになんか覚えがあった。なんだったっけ??と10秒間考えて気がついた。
 アヒルである。
 なんとホッキ貝はアヒルと同じ味だった!!
 え?日本酒飲んで「日本酒のような泡盛だ!」というヤツの言葉を信じられるかって?
 本当ってば。うちの奥さんも食って同じ結論に達したのだから。 

 こうして、「ホッキ貝はアヒルである」という衝撃の真実を知り、小樽の寿司は終わった。
 本来の予定では、ここ小樽で生命をかけて寿司を満喫しようと思っていた。というのも、スキーに3日間当ててはいたけれど、もしそこで楽しむことができなかったら、あとは小樽と札幌で飲み食いして遊ぼう!という、いわば保険として小樽は予定されていたのだ。

 ところが、ニセコ&スキーが予想以上に充実するというウレシイ誤算のため、予定通り小樽に来てはいるものの、なんだかかなり「惰性」だったのである。寿司もどうだっていいやぁ、という雰囲気だったのだ。
 そのため、高くてクヤシイというのはあっても、思い通り寿司を楽しめなかった、という悔いはまったくなく、軽い足取りで中央市場に向かった。

 ニセコではまったく寒さを感じなかったのに、天候のせいもあるのだろう、町を歩くと凍える凍える。たまらず手袋、帽子、フードを装着して、万事これぬかり無し状態になってなんとか持ち堪えた。ところが僕らがそうやって寒さを凌いでいるというのに、あたりを見まわすと衝撃的なほどにみんな軽い格好だ。手袋をしている人なんて観光客以外ではまず見当たらない。帽子もかぶっていない。
 インドネシアあたりの人たちが辛さに対してものすごい耐性を持っているのと同様(七味唐辛子をつまみに酒を飲むのだ)、北海道の人たちは寒さを感じなくなっているのだろうか? 
 普段通りの穏やかな冬の道を、二人だけが厳寒の中を行く越冬隊になっていた。

 中央通りはなぜかFM放送らしき音声がスピーカーから流れ出ていてうるさいけれど、ちょっと横道を行くととっても静かになる。町の人々の普段の生活があった。
 金物屋の店先にきれいに並べられている商品は、やっぱり雪国ならではであろう。雪かきグッズのオンパレードである。雪を運ぶための1輪車の名前が面白かった。その名も「ママさんダンプ」。世の中にはダンプみたいなママさんもいるが、これはママさんが使うダンプである。

 中央市場、たけお鮮魚店のお兄さんは約束どおり待っていてくれた。
 親子2代なのかどうか、オヤジさんと二人でやっているらしいそのお兄さんは、片耳にピアスをしていた。今や魚屋もファッションの時代なのだ。

 さっそく、キープしてくれていた魚たちを次々に買いこむ。
 なんで全国発送したかったのかというと、池袋で飲んだときあまりにもお世話になった元上司氏へのお礼の代わりに、なかなか見ることのできないヘンテコ魚を送りたかったからである。
 八角、カジカ……ヘンテコ魚テンコ盛り。
 カジカはさばかれてぶつ切りになったものだからなんとかなるだろうけど、八角なんかが開けた箱の中に横たわっていたら途方に暮れるだろうなァ……。上司氏は魚のプロだけど、奥さんは………。
 お礼代わりといいながら、そういうイタズラ心満載でいろいろ選んでいった。
 選んでいるうちに、自分たちの分まで欲しくなってしまった………。なんてったって安いのだ。
 でも、沖縄まで発送できるんだろうか?
 なんと驚くなかれ、小樽の市場から水納島までたった2日で到着するという。
 本当かどうかいささか不安はあったけど、返還前の香港でブランド物を買い漁っていた人たちなみに、あれもこれもそれも買ってしまった。
 はたして無事到着するか?
 ちなみに、年末にホンマモノのシシャモの実力を知った我々は、もちろんここでシシャモの有無を訊いた。並べられてはいなかったのだ。
 ありますけどね………と言ったオヤジさんが奥から出してくれたシシャモははたして……
 ノルウェー産なのだった。
 地元であってさえ、ノルウェー産の勢いはとどまるところを知らないらしい。

 こうして、我々は小樽を後にした。
 結局、買物をしに来たようなものだったが、それもこれもすべてサザエさん作戦のためである。サザエさん的には運河の写真だけだったけど…………。