みちのく二人旅

表坂

 翌朝宿を辞し、駅前のコインロッカーに荷物をあずけ、さっそく塩釜神社の表坂を目指した。
 今日は行きたいところや人との待ち合わせなどが錯綜していて、なかなか段取りよく予定を立てるのが難しい日である。
 塩釜神社にはもう一度襟を正して参ってみたい。
 隣りの多賀城周辺も歩いていみたい。
 多賀城にある加瀬沼にも行ってみたい(特にうちの奥さんが)。
 塩釜で鮨を食ってみたい。
 夕方には仙台で人と待ち合わせしている。
 体一つであればどうとでもなるのだが、宿を出るとどうしても重い荷物を肩に担ぐことになるのでいろいろ段取りが難しい。
 とりあえず本塩釜駅に荷物を預け塩釜神社へ向かった。表坂の階段は元気なうちに上っておきたい。

 夕方は人通りもまばらな塩釜神社だったが、朝もまだ早いせいか参拝者の姿はほとんど無かった。

 表坂の階段も貸しきり状態だ。
 下から見上げると、遥か天上世界まで続いているかのように見えるこの階段。完走を目指るランナーの気持ちにも似た決意を胸に、1歩1歩足を進めた。
 杉木立が気持ちいい。
 ここで、転げ落ちてしまってふり出しに戻った、とか、途中で断念してスゴスゴと引き下がった、となればみなさんの期待に添う形になるのだろう。
 残念ながら、朝の空気がすがすがしかったせいか、恐れていたほどの疲労を感じることなく、無事登りきることができてしまったのである。
 この塩釜神社は、地元が有数の貿易港、漁港であることもあって、海上安全もその守備範囲であるようだ。旅行中、数々の社寺を訪れながらどこの賽銭箱にも一銭も入れてこなかったが、仕事柄、海上安全とついでに海中安全を祈願するため、決意の100円玉を二人して入れておいた。そして二礼二拍手一礼。

 境内には、神社だからやはり数々の巨木がある。
 樹齢600年の杉は天を突き刺す勢いで高くそびえている。
 シオガマザクラは有名だが、残念ながら今は秋。
 樹齢500年のタラヨウは、南国風の常緑樹。赤い小さな実をつけてにぎやかである。
 神社は巨木を大切にしているから、そこにいるだけでとっても気持ちがいいのだ。
 なのに、最近は駐車場を作るために巨木の林を切り倒したりする神社もあると聞く。神々の降り立つ場を無くしてなにが神主か。

 昨日散歩していた御神馬がおわす馬舎に行ってみた。
 立派な馬舎に、神馬がいた。
 ヘアケアが行き届いているたてがみは、まるでキムタクのロンゲのようにさらさらである。体も美しい。さすが神様だけある。
 そのとき、神馬の世話係らしい人がやってきた。
 どうやら朝の散歩らしい。朝夕散歩しているようである。
 たずなを曳かれながら、神馬はポックリポックリ歩き始めた。
 夕方と違って参道沿いには店が出ていて、昨日歩いた七曲坂の前には綿菓子屋がデンと陣取っていた。それじゃ七曲坂の説明板が読めないんだけど……。

 お散歩神馬はポックリポックリ綿菓子屋の前を通りすぎて………はいかず、ピタッと立ち止まってしまった。
 すると綿菓子屋のオヤジが、作り立ての綿菓子を持ってきて神馬に奉げるではないか。
 馬が綿菓子なんて食べるわけないだろうに、と思いつつ見ていたら、なんと神馬はじつにうまそうにムシャムシャと綿菓子を食うのである。

 その後も去りがたかったのか、しばらくダダをこねるかのように立ち止まっていたけれど、世話係に促され、あきらめたように再びポックリポックリ歩き始めた。
 普段は神として祭られているお馬さんも、散歩の時は単なる馬に戻り、肩の荷を下ろしているようであった。

 この塩釜神社にも、奥州藤原氏にまつわるものが残っている。秀衡が開いたという裏参道や、蕎麦の泉屋でおなじみ泉三郎忠衡が寄進した「文治の燈篭」など。当時から陸奥一ノ宮だったから、当然ながら北の王秀衡たちもいろいろ寄進しているのだ。
 その忠衡ゆかりの燈篭を見つけ、何気に刻まれている文字を読んだ芭蕉さんは、またしても熱い感動の波に襲われたようである。忠衡が燈篭を寄進したと書かれている時期が、奥州平泉の滅亡まであとわずかという切羽詰ったころで、その切羽詰った状況の打破を祈願したからこそこの巨大な燈篭を寄進したのだろう……、とまで思いをめぐらしているわけである。
 しかるに我々はというと、馬が綿菓子を食っているのを見てキャッキャキャッキャ言っているだけなのであった。  

多賀城

 多賀城までタクシーで向かっている。
 塩釜からすぐ近くなのだが、併走する東北線と仙石線は、便利なようで不便なのである。
 ガイドブックによると、多賀城駅が仙石線にあるものの、目的地多賀城政庁跡の最寄の駅は陸前山王駅になっている。
 最寄とはいえ随分遠い。そこからタクシーに乗っても本塩釜から乗っても大して変わらない。

 さて、そのタクシー。
 タクシーに乗った時、僕はちゃんと
 「多賀城政庁跡まで」
 と言った。そのとき、運ちゃんは耳慣れない言葉だったのか、聞き返したあと、
 「ああ、多賀城跡ね」
 と納得したはずであった。
 到着したとき、降りしなに最寄りの駅の方角を一応聞いておいた。そのときもなんか変な気がしたのだがとりあえず降りて、現在位置を把握するため近くにあった立て看板を見ると…………。
 …………!!
 多賀城廃寺跡!?
 ちょっと待てよ、多賀城廃寺跡って政庁跡とどれくらい離れているのだ……………?
 …………あっ!ここから2キロ弱も離れているじゃないか!
 あのタクシーのオッサン、右も左もわからない我々をまったく見当はずれのこんなところに置いてきぼりにしやがって!!
 再びタクシーを拾おうにも、こんなところでは水納島でマンタを見つけるのと同じくらい難しい。
 結局一人百数十円で行ける陸前山王駅から歩くのとほぼ同じ距離を行軍をすることになってしまった。
 タクシー代1050円は寄付したものと心得よう。

 適当な方位と勘を頼りに、テクテクてくてく歩いていると、しばらくして多賀城政庁跡を示す標識が見えてきた。
 「多賀城政庁跡 ⇒ 1500m」
 深くうなだれつつ歩む我々。
 といいつつ、このあたりも散歩するにはとても気持ちのいい土地である。
 物成りの良さそうな畑が広がっている。
 各家には蔵がたいていあるのだが、それが木造であるのも興味深かった。

 歩きつづけていると、駅を示す小さな標識が見えてきた。
 あれ?こんなトコに駅なんてあるはずないんだけど……道間違ったのかな?
 とやや不安になりつつ駅名を見た。

 「国府多賀城駅」

 な、なぁにぃ〜〜〜!?
 こくふとぅわぐぁじょぉえきぃ!?
 なんだそりゃあ!
 そんな駅、地図にはどこにも載ってなかったぞ!!  

 それもそのはずである。
 我々が見ているガイドブックは、今年の1月に発行されたものだから比較的新しいのだが、この国府多賀城駅はさらに新しかったのだ。9月末にオープンしたという。
 今年1月に出たガイドブックの内容なんて、今現在とそうそう大きな違いはないだろうに、よりによってピンポイントで我々の行き先に要改定の個所があったなんて………。こんな駅があるなら、少し歩いて電車に乗るだけでうまい・安い・早い!だったじゃないか。

 とにもかくにも、この駅を越えればあと少しで政庁跡である。