写真・文/植田正恵

2.ここ一番の追い込み漁
月刊アクアネット2003年7月号

 小さな島の港といえば、ウミンチュ(漁師)の姿が絵になるものだ。そこにはくたびれた漁船があったり、老いた漁師が潮風を受けつつ網を繕っていたりする。私が住む水納島も海にポッカリ浮かぶ小さな島なので、そんな風景を期待する観光客がたまにいる。けれど不思議なことに漁師さんは一人もいない。もともと農業で暮らしを立てていた島なのだ。

 ところが私が水納島に越してきたばかりのころ、追い込み漁をやるから手伝って、と声がかかった。聞けば、新任の先生の歓迎会のために魚が必要なのだという。追い込み漁とは、魚の通り道にあらかじめ網を張って、そこへ魚を追い詰める肉体派の漁法だ。
 漁の面子は島の青年(壮年?)数名だった。みんな普段は海の家のスタッフだったり、船員さんだったりの素人集団である。果たして島民50名みんなが食べるだけのものが獲れるのか。2、3匹だったらどうしよう……。
 ところが、2、3時間後に網を上げてみれば、驚いたことにそこには圧倒的な量の魚が。2、3匹どころか歓迎会が2、3回開けるほどである。島の人々、おそるべし。

 追い込み漁は人手を必要とする大掛かりな漁である。だからいくら腕は確かとはいえ、お正月、お彼岸といったここ一番というとき以外、そうそうしょっちゅうやれるものではない。では、商店がない島に住んでいて、普段ふと魚貝類が食べたくなったらどうするか。
 めいめいが楽しみがてら海から獲るというのが水納島流だ。どの家からでも海まで数分もかからない小さな島だから、島の人たちは海況さえ許せば季節を問わず気軽に海に行くことができる。民宿のご主人はお客さんに出す食材を求めて水中ライトを片手に夜の海を泳ぎまくり、船員さんたちは暇つぶしと運動を兼ねて夜な夜な季節の獲物狙い。70歳を過ぎたおじいも昼間タコ狙いで何時間も泳ぎ、泳げないおばあたちは、歩いて獲物を探し、重さで腰が曲がるほどにサザエやシャコガイを獲ってくる。春や秋の大潮の干潮時には、獲物がいるところまで歩いて渡れるほどに潮が引くのだ。そんな日のおばあたちは、みんな朝から瞳をキラキラ輝かせている。
 というわけで、水納島には漁師は一人もいないけれど、各家庭の食卓はいつも海幸で潤っているのであった。海は日々の暮らしと深く結びついているのだ。

 ところで、サザエやシャコガイは暇なときに船を出して獲りに行っている我々夫婦ではあるが、魚は撮ることはあっても獲ることは滅多にない。では、魚を食べたいときは?
 じっと待つのである。何をって、連絡船の船員さんが前夜の獲物を片手に飲みにやって来るのを。船員さんといっても元遠洋漁業の漁師さんだったりするから、魚の美味しい食べ方にかけては、和の鉄人道場六三郎も遠く及ばない。 

 そんな贅沢な自給自足的生活をしていたら、スーパーや居酒屋での地元産の鮮魚や魚料理なんてまったく必要なくなってしまった。やがて普段普通に食べているものが結構お高いものだという感覚もなくなってくるので、今では時々値札を見て、ひえーっと驚きの声をあげている。