写真・文/植田正恵

203回.萩の生垣
月刊アクアネット2020年4月号

 今年もオフシーズンの間に帰省ついでの旅行をしてきた。今回の訪問先はだんなの希望で古都萩だ。

 あまり歴史に興味がない私としては、美味しい魚と日本酒が目当ての萩だったのだけど、その町並みでちょっとした感動を味わった。

 とにかくきれいなのだ。

 江戸時代の古地図のまま町を歩けるほどに往時の町割りが保存されている城下町のたたずまいもさることながら、各家の生垣がきれいに刈り揃えられていて、道路にはゴミがまったくといっていいほど落ちていない美しさときたら。

 本当に人が生活しているんですか?という意味でむしろ不安になるくらいの整えられ方だった。

 自他共に認める掃除大好きおばさんである私は、島では自宅の庭や畑を整えることにかなり精力的を注いでおり、ひそかに島の中で1番きれい好きなのではないか、と自負してもいた。

 それが今回萩の町並みを拝見して、いかにそれが井ならぬ島の中の蛙の思い上がりだったか痛感してしまった。

 このような美しい町並みは、いったいどのようにして維持されているのだろうか。

 なにしろ生垣にいたっては高さも刈られ具合いも計ったようにきれいに揃っているのだ。

 もしかしたら萩には「本日は生垣整備の日」なんてものがあるとか、あるいは生垣チェッカーがいて、各家の生垣を定期的に検分し指導するご意見番的おばあがいらっしゃるのか…などなどさまざま憶測してしまうほどに、とにかくビシッとかっこよく刈り込まれている。

 しかも生垣の下には、それこそ雑草が1本も生えていない徹底ぶりだ。

 こんな生垣を見た後に我が家のハイビスカスの生垣を見てしまった日には、どーもすみません!…とつい誰にともなく謝ってしまいそうになった。  

 萩に数日滞在して町じゅう歩き回っていた間、閑散期の平日にもかかわらず、随所で草むしりをしている人、草刈をしている人、道掃除をしている人に出会った。

 それらは個人であったり学校がらみであったりボランティアスタッフであったりと様々ながら、基本的にどうも町中きれい好きというか、それが息をするのと同じくらいに当たり前の文化のように感じられた。

 子供の頃からそういった活動を見ていれば、美化作業は日常のこととして体に浸み込み、長じては自然と町に誇りや愛着を持つことになるのだろう。  

 我が水納島はといえば、島のメインストリートを婦人部が2名1チームの持ち回りで清掃している。

 また大掛かりな清掃は年に数回島民全員参加で、ユンボやトラクターも出動して頑張ってはいる。

 とはいえ過疎高齢化が加速度的に進んでいる水納島においては現状維持もままならないほどで、どうしても手が回らないところがあるというのが現実だ。

 しかし観光地として「かくあるべし」という姿をまざまざと萩の町で見せつけられた今、それ以前に住民一人一人の「きれいにしよう」という意識が萩とは比べ物にならないということを思い知った。

 染みついている「猥雑感OK」な雰囲気をいきなり方向転換するのは難しいし、今から急に島じゅう萩になれるわけでもない。

 とはいえ百術は一清に如かず。

 お客さんにあれやこれやを売る術を考える前に、まず自分たちが住まう島をきれいにしよう。

 美味しい魚と日本酒以外さほどの目的意識もなく訪れた萩旅行、その文化の片鱗に触れることができたおかげで、身が引き締まるほどに収穫のある旅行となったのだった。