写真・文/植田正恵

202回.消えゆくセメント瓦
月刊アクアネット2020年3月号

 沖縄の日の出時刻は本土に比べて随分遅く、冬至前後だと7時前でもなお暗い。

 この遅い日の出は初日の出を拝むときに早起きの必要がないのがありがたく、絶望的な雨というわけでもないかぎり、毎年元旦には桟橋(家から歩いて5分)でご来光を拝んでいる。

 季節で変わる日の出の位置ではあるけれど、元旦に太陽が出て来る場所は毎年同じ。今年も元旦にその方角を眺めていると、ある変化に気がついた。

 山の形が変わっているのだ。

 その山は県内でも有数の石灰岩採石場で、学生の頃にはすでに山の形が損なわれていた。でも当時はまだ山の形の変化はゆっくりだったから、たった1年で景観がどうこうということはまずなかった。

 ところが加速度が増していている近年の山の形の変化は、30年前の10年分を1年に凝縮しているかのようで、たった1年前と比べて山がかなり変貌していたのだ。

 その背景には、沖縄県内の未曾有の土地バブルに伴う各種建設ラッシュや大型公共工事の大盤振る舞いに伴うコンクリート需要の多さがあるのは間違いない。美ら海、美ら島と観光宣伝している一方で、山は毎日削られている。

 日本有数の台風銀座である沖縄では、コンクリート造りの住宅が多い。

 昔は定番だった軒の低い木造の家は都市部に限らず田舎でも姿を消していき、今では昔の町並みを保存している地域や、時が止まっているかのごとき田舎に行かなければ見られなくなっている。

 沖縄に来る観光客が「いかにも沖縄!」と感じる赤瓦は実はブルジョワな家であって、木造が当たり前だった昔の沖縄でも、お金がない田舎では藁葺き、萱葺きだった。

 しかし戦後になると相当安価で済む「セメント瓦」がもっぱらとなり、水納島でも築50年以上の住宅はみな、このセメント瓦が使われている。  

 ところが自然豊かな緑の山が採石場になり、沖縄にセメント会社が設立されてセメントが安定供給されるようになった60年代以降、県内にはコンクリート住宅が広く普及し、屋根まですべてコンクリートを流し込んで作る四角い箱のようなおうちが増えるとともに、セメント瓦の住宅は激減していく。

 セメント瓦は日本瓦に比べてメンテナンスも大変だし、ますます狂暴化する台風を思えば、瓦屋根ではあまりにもリスクが高いということもあるのだろう。

 そういう事情もあり、かつて全盛を誇った庶民のための沖縄のセメント瓦は、今ではたった一軒の業者さんでしか製造されておらず、職人さんは高齢なうえ、跡を継ぐ人はいないという(もう廃業しているかも…)。

 独特な風合いがあるセメント瓦の屋根にはコアなファンも多く、なかにはこの時代にわざわざ苦労して瓦を手配して新築する方もいらっしゃるようながら、それはあくまでもレアケース。
 この先は現存する建物の修理修復用程度の需要しかないだろう。

 それを考えると、今でこそまだかろうじてフツーに目にすることができるこのセメント瓦屋根の家々も、採石場の山と同じく、あと10年もすれば姿を消すと思われる。

 山も瓦も、いわば絶滅危惧種なのだ。

 セメント瓦屋根の家並に心惹かれる、というのは私の勝手な嗜好であることは百も承知しているけれど、セメント会社の出現がセメント瓦屋根という懐かしい家並が失われていく原因になってしまったあたりに、もどかしい理不尽さを感じなくもないのだった。