写真・文/植田正恵

33.なんでも等分文化
月刊アクアネット2006年2月号

 暮らし始めて10年以上も経つと、身の回りのいろいろなことがいつしか当たり前になっている。そのひとつに、「なんでも等分」という島内の分配の法則がある。

 引っ越してきたばかりの頃、突如玄関先に現れた島の人に「牛株に入らないか?」と、誘われたときは驚いたものだった。
 牛株?
 はじめは何のことやら皆目見当がつかなかった。
 説明を聞いているうちに、子を産めなくなった牛を
1頭つぶすので、何人かで買いとろう、というようなことが分かってきた。つまり10万円の牛だとすれば、株に入る人が10人いれば、1株あたり1万円、ということになるわけだ。おもしろそうなので、我々夫婦も1株入ることにした。
 数日後、牛の飼い主であるおじいが牛を引っ張って歩いてきた。
 これからみんなで浜でつぶすのだという。
 本当は私もとってもやりたかったのだが、こういった仕事はもっぱら男性の仕事で、実は女性立ち入り禁止の神聖なものだったりすると困るから、作業はだんなにまかせ、私は解体の様子の最初と最後を写真に収めていた。

 作業が終了したとき、大きな牛はものの見事に肉の塊になっていて、傍らではシンメーナービーに湯が沸かされていた。そこに今解体したばかりの牛の一部が投入され、味噌で味付けされて、あっという間に鍋になった。
 いわゆる牛汁である。
 何も仕事をしてないのに、その鍋とビールをちゃっかりいただいてしまった。さっきまで歩いていた牛が今自分の胃袋に…というのがとても感動的だった。
 そのほかの大量の肉の塊はというと、各部位ごとに株の数にきっちりと分けられ、袋詰された。配られた袋を後でよくよく見たら、骨や内臓もしっかり10等分されているのだ。

 小中学校のPTA参加イベントとして毎年1回調理実習なるものがある。学校の授業の一環で作ったジャガイモと、そのときに島でできている野菜などを食材にして島の婦人部隊と先生方、そして子供たちが美味しい料理を作るイベントである。
 その日の夜は、試食会と称する飲み会があるので、毎回とんでもなくたくさんの量を作る。さすがに全部一晩で食べきれるはずはなく、ものすごい量が余ってしまう。それをどうするのかなと思っていたら、持ち帰られるよう、料理に参加した人数分にきっちり等分して袋詰にされていった。

 水納島のリーフ内でモズクを養殖している本島の漁師さんが、島の方々へどうぞ、と譲り受けた大量のモズクも、きっちり水納島の全家庭分に袋詰めされる。夫婦2人の我が家でも5kgくらいもらうので、これで1年間モズクには困らない。
 そのほか、たくさん手に入ったものなども普通に隣近所に配る。物を配りあうなんてことは、もはや都会ではありえない田舎ならではコミュニケーションであろう。

 まるで原始共産社会のようなこの仕組みのおかげで、我々はいつも何かとシアワセのおこぼれに与ってきた。田舎にはシアワセのおすそ分けが随所にあるのだ。
 最近では我々も、わりと見栄えのする魚を獲ったときやアヒルが増えすぎたときなど、イベントにあわせて提供することもある。催しがあるたびにちょっとアテにされているような気もしなくはないが、それはそれでまた気分がいいのだった。