ハワイ紀行
〜またの名を暴飲暴食日記〜 |
12月9日(木)
クーポン券を無駄にするな4 非常に不本意ではあったが、今日もまた朝飯のために早起きをせざるを得なかった。なにしろ朝の7時半ピックアップというのだから、それまでに食っておくには6時過ぎには起きなければならない。 本来なら、今日の半日ツアーは旅行の2日目に組み込まれている。2,3日滞在していればだいたいの事は把握できるので、行きたいところや見てみたいものが自然と出てきたり、ゆっくりしたい、と思ったりするものだ。だから4日目ともなれば丸一日フリーであってほしいところである。時間制限付きで真珠湾、ビショップ博物館、イオラニ宮殿の3カ所をまわる、というコースは、やはり着いて間もない2日目が妥当な線だろう。 ところが、我々のこの予定では、2日目があろうことか12月7日に当たっている。ハワイを牛耳っているかのごとく展開している天下のJTBも、さすがにこの日に日本人客をゾロゾロ真珠湾へ連れていくわけにはいかない。 そんなわけで、最終日が一番忙しい朝となってしまった。遠出をするわけにもいかないから、クーポン券はパシフィック・ビーチのレストランで使うことにした。たとえどんなに巨大な水槽で魚たちがヒラヒラ泳いでいようと、やっぱりメニューはショボかった。昨日のハノハノルームと比較してしまってはカワイソウというものか。 それにしても、まったく同価値のクーポン券なのに、行く店によってここまで変わってしまうのだから、やはり事前の下調べというのは大事である。 パールハーバー 遅れることなく待ち合わせ場所のフロアに行くと、すでにうちの両親も来ていた。フロアには我々のほかにたくさん日本人がいた。みんな同じバスなのか、とビビッていると、違うツアーの迎えが来て、みんなゾロゾロと連れられていった。ハワイの旅行業者はフル稼働しているのだ。 ほぼ予定どおりの時刻に迎えが来た。大通りが一方通行である関係上、東端にあたるパシフィックビーチは最後の巡回地のようで、我々が乗り込むと、すでに2、30人くらいが席に着いていた。我々が最後だったので、ここからバスは最初の目的地である真珠湾、いわゆるパールハーバーに向かう。 このバスの運ちゃんも兼ガイドである。エジプト考古学者の吉村作治にそっくりの日系人だった。ベテランのようで、巧みに笑いをとりつつラッシュで込み合うダウンタウンを抜け、高速道路に入った。 その間、彼は真珠湾での注意事項を並べ立てた。要約すると、真珠湾はアメリカの軍港で、我々が行くアリゾナ記念館も軍の所有物だ。観光業は軍の協力を得ている。だから基地内では大声でがなり立てることなく、静かに過ごしてもらいたい。また、当然ながらこの地は慰霊の地であるため、心の中ではどんなにはしゃいでいてもかまわないから、表情だけは厳かにしておいてくれ、ということであった。大声でしゃべると銃殺されます、なんてお茶目なジョークも入っていたけど。 それにしても、私にとっては至極当然のことを、このように事前に大まじめに伝える、ということは、これまでにそれらのことをいっさい理解せず、かの地ではしゃいでいたヤツらがいたのだろうか。 小高い丘から真珠湾を眺められたらいいなぁ、という思いは叶わず、バスは唐突に真珠湾に到着した。前述のとおり今でも真珠湾は米軍港だ。吉村作治が言うには、このほかにもオアフ島にはたくさん米軍施設があって、オアフ島の4分の1は米軍の土地なのだそうだ。4分の1!!そういえばダイヤモンド・ヘッドのクレーターの中にもあったなぁ。 しかし4分の1というわりにはまったく目立たない。ちょっと車を走らせればすぐに米軍基地、という沖縄本島とはエライ違いだ。 まずは映画を 下車後館内に入ってしまうと大声を出せないから、ということで、すでに車内では吉村作治が入館後の段取りを説明していた。しかし、誰一人として覚えておらず、結局降りてから同じことを説明していた。ま、いつもこうなのだろう。 中に入ると、券売所のようなものはなく、その代わりに募金箱がドン、と置いてあった。お志を入れてくれ、ということなのだ。その下には真珠湾攻撃と戦艦アリゾナに関するパンフレットがあった。我々も寸志を入れて、パンフレットをもらった。パンフレットは各国語で用意されていて、ちゃんと日本語であることを確認しないと、うちの母のように開いてみたらハングル文字、ということになるから注意しよう。 沈んだままの戦艦アリゾナの上に建てられたアリゾナ記念館には船で渡る。その前に、真珠湾攻撃にまつわる一連の映画を見る、ということで、他の客共々劇場に通された。映画は英語であることから、入り口では同時通訳のヘッドフォンを3ドルで貸し出していたが、面倒なので借りなかった。 映画は太平洋戦争開戦前の世界情勢から始まった。窮地に立った日本が突如対米開戦をするにいたる、我々にはおなじみの物語である。おなじみだから英語でも話が分かった。今さらこんな事を映画で見なくても知っているぞ、と思ったが、ここを訪れるのはなにもアメリカ人と日本人だけではない。世界中から訪れる人々に知ってもらうためにこの映画があるのだ、ということに気が付いた。 映画はその後、クライマックスシーンの真珠湾攻撃およびその被害の模様、それをうけて全米が反日ムードで盛り上がり、一気に戦争に突入していった、というところで終了した。最後は原爆の映像が出て終戦の模様を流し、真珠湾奇襲に憤りを感じた人々の溜飲を下げるのか、と覚悟していたけど、日本人も数多く来るからだろうか、そこまではしなかった。 アリゾナ記念館 そのあと渡し船に乗ってアリゾナ記念館に渡った。船内でも写真はいくらでも撮っていいけれど、席を立つと銃殺されます、という吉村作治の注意を皆聞き、ちゃんと着席していた。その際、私は気づかなかったのだが、うちの奥さんによると、我々の隣に座っていた初老の白人が、夫人ともども静かに涙を拭っていたという。 アリゾナ記念館と聞くとさぞや立派な建物か、と想像してしまうかもしれない。が、撃沈された船の上にそんな立派な建物が建てられるはずはない。ささやかな洋上展望台のような雰囲気だ。ただしその展望台は一帯の景色を眺めるためではなく、この艦に眠る英霊たちを見るためのものだ。心の展望台である。 建物からは、海面下のアリゾナがボ〜ッと見える。海面にはうっすらと油がにじんでいる。よく見たら海中からわき出していた。アリゾナ艦内の重油が、少しずつ少しずつ漏れだしているのだそうだ。鼓動のように一定の間隔でわき出す油は、まるでアリゾナが、沈没から 58年経ってもなお、まだ命あることを訴えているかのようであった。記念館の奥の一室には戦闘で亡くなった乗組員の碑銘があった。花が添えられている。日本人としてはいたたまれない。ここに日本人たった一人という状況で、しかもTシャツ短パン&島ぞうりで来た、というケンタローの勇気には敬服してしまうほかない。彼が、真珠湾に行くのはやめといた方がいいですよ、と言っていたのももっともだ。 バスへの帰り道、吉村作治に零戦はどこから飛んできたのか訊ねると、遠くに見える山を指さした。たしかに映画「トラ・トラ・トラ!」でも、山肌を縫うように零戦が飛んでいたっけか。あんなところから飛んできたら肉眼での発見が遅れるのも無理はない。レーダーの機影を見誤った将官の苦悩は計り知れない。 やがてバスは真珠湾を後にした。覚悟はしていたが、やっぱり気分は重くなる。奇襲に成功して、「よっしゃ!!トラ・トラ・トラや!!」と喜んだパイロットたちは、まさか半世紀後、多くの日本人をこんな気分にさせようとは夢にも思わなかったろう。真珠湾は無邪気に行くにはヘビーなところであった。 吉村作治も心得ているようで、テンションを高めにして話題を変え、周囲の景観や、次なる目的地ビショップ博物館の話をしていた。 ビショップ博物館 ほどなくビショップ博物館に着いた。ビショップ博物館とは、パンフレットによると、ハワイの歴史文化遺産を展示した、ポリネシア研究では世界有数の博物館、だそうである。 もともと私は民俗博物館がお気に入りだ。海洋博の海洋文化館や、大阪の万博公園にある国立民俗博物館など、このての博物館は大小を問わずいつ行ってもあまり混んでいないし、静かでいい。そんな環境で見る展示物からは一種独特の雰囲気が発せられていて、時空を越えて遠い人々の意志のようなものが感じられておもしろい。 だから私は、ここビショップ博物館では時間が許す限り展示物を見て回りたかった。ところが到着早々に渡された段取りを見ると、日本語ガイドによる見学を30分ほどで済ませ、その後はフラダンスショーだって。こんなところで見せ物的にやるフラには魅力なんて感じないから、ショーの間、展示物を見て回ることにした。 螺鈿細工は…… 一階はガイド付きでまわったので、二階へ上がってみた。そこにも各種道具類などが展示されていた。サメの歯を全体に散りばめた刀や、犬の犬歯をたくさん連ねた楽器があった。犬の歯は楽器で、サメの歯は武器。なんとなく思想性を感じるじゃないか。その隣で、今度は螺鈿細工が施されている木彫りの道具を見つけて驚いた。 南洋諸島に木彫りの民芸品は数あれど、加工した貝殻がはめ込まれてある、手の込んだシロモノはソロモン諸島だけだ、と思っていた。ソロモンではどんなに安っぽい木彫りの置物にも、ちゃんと螺鈿細工がなされてあるのだ。ソロモンで売られているイルカの置物は、目に加工された貝殻がはめ込んであるから、他の南洋諸島のそれとすぐ区別が付くのである。 そうか、ハワイとソロモンとの文化交流は歌だけではなかったのか、と感心しかけていると、 「ソロモンって書いてあるよ」 とうちの奥さんが教えてくれた。展示物の説明プレートになんとソロモン諸島国、と書かれてあるのだ。「ウムム?」と唸りながら、念のために先のサメの歯サーベルも確かめてみると、キリバス、と書かれてあった。そうなのだ。このフロアは他の南洋諸島民俗をハワイ共々紹介していたのだ。ちなみに犬の歯楽器はハワイのものだった(このあたりに統一が遅れた気分がうかがえる)。 3階はもっと近代になってハワイと関係している文化、すなわち統治者や、移民している人々の祖国に関する展示物であった。なかには我が沖縄に関する展示物もあり、皮がばりばりに破けている三線もあった。ハワイには様々な国々から移民が来ているが、みな故郷の文化を濃厚に継承して今日に至っている。だからこのフロアに展示されているものは、今でも普通に見られるものばかりだ。 そのほか、捕鯨基地としてのハワイも紹介されていて、吹き抜けになっている天井からは、巨大なマッコウクジラの全身骨格がつり下げられていた。 ランチ付き? メインはこの建物なのだが、ビショップ博物館にはこのほかにも自然史コーナーとか、子供むけの触れて学べる科学館などもある。それらもいろいろ見て回りたかったが通告の時間になってしまった。この後は中庭で昼食を取るのだそうだ。 ランチ付き、とオプションツアーのパンフレットには書かれてあった。たしかにそのとおりであった。でもまさか弁当とは!!こんなところでほかほか弁当みたいなものを食う事になるとは予想外だ。パンフレットにはたしかハワイの料理を食べてもらう、なんて書いてあったはずだけど…この弁当がきっとそうなのだろう。だからこの白身の魚のフライはマヒマヒに違いない。こんなところであなたに会おうとは。 食後どうするのかな、と思って段取りを見たら、なんとこのあとはレイ作りだって!!なんでここで花輪を作らにゃならんのだ。たしかにレイはハワイで伝統的なものだし、きっと作ったら楽しいだろう。でも私は1時間かけて花輪を作るよりも、その時間を使って博物館をもっとまわってみたい。結局レイ作りは私だけ辞退し、一人であちこちまわってみることにた。 |