ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

12月9日(木)パート2

ハワイのエイリアン

 民俗物ももちろんおもしろかったが、前述の触れて学べる科学館が予想外におもしろかった。ハワイのエイリアンたちの特別展が催されていたのだ。エイリアンといっても濃硫酸のヨダレを垂らして人を喰うエイリアンではない。ハワイにはびこる外来の動植物のことである。

 世界中から人々が訪れるからだろうが、年中暖かい気候も手伝って、ハワイにはかなりの外来種が移入しているらしい。それらが一堂に会しているのだ。

 そのなかのあるコーナーで50種類ほどの草木の写真が掲示され、これらの草木がないハワイの庭を想像できますか?というコーナーがあった。パソコンでも表示されていて、一つ一つの写真をクリックすると、より詳しいことがわかるようになっていた。それによれば、ブーゲンビリアはもともと南米原産である、とか、ハマユウに似た花は1851年に移入された、とか、パンの木はポリネシアから、とかとにかくハワイの一般家庭の庭に欠かせない様々な草木が、実はすべてが外来種なのだ、ということだった。さすがに州花であるハイビスカスはネイティブだった。

 そのほか、これらのフルーツはハワイ原産か?というコーナーもあった。そこに並んでいるのはどれもこれもハワイを代表する果物ばかりだ。試しにパイナップルを見てみると、1813年にブラジルから移入、と書いてあった。パッションフルーツはオーストラリア原産だそうだ。マンゴーはもともとインド〜ビルマあたりが原産だったが、1825年にドン・フランシスコという人がハワイにもたらしたらしい。この人はそれ以前にもコーヒーを持ち込んでいる。いったい何者だこの男は?

 草木の場合はどうやらほとんどが意図されていたようだが、動物の場合はどうもそうではないらしい。例の文鳥やブラジリアン・カーディナルも、ジャクソンカメレオンも750種を数える色鮮やかなカタツムリたちも、みな知らず知らずのうちにその生息範囲を広げ、在来の穏やかな小動物たちを脅かしているらしいのだ。ハワイは人間だけでなく、様々な動植物の移民も幅広く受け入れていたのである。

新興宗教?

 ほどよい時間になったので、みんながレイを作っているところに戻ってきた私は、眼前の光景にビックリしてしまった。30人ほどが一様に両手をあげ、ガイドの女性の声に合わせてユラユラユラユラ揺れているのである。てっきり私はこの1時間でみんな洗脳されて、新興宗教に入信してしまったのか、と思い、ビビッてしまった。でもどうやらそれは、フラダンスの一つ一つの動きを解説してもらっているということが判明した。

 そうとわかると、途端におかしくなってしまった。あまりにゆかいな光景だったので、思わずパチパチと写真を撮った。白人数名も不思議そうな顔をして通り過ぎていく。私は瞬間的に他人のふりをした。

イオラニ宮殿

 再びバスに乗り込み、やがてイオラニ宮殿に到着した。全米で唯一の宮殿である。しかし宮殿といえばベルサイユ宮殿しか思い浮かばない我々には、このイオラニ宮殿はとってもささやかに感じられる建物であった。

 ささやかとはいえ管理はキチンとされていて、入館するには靴カバーをつけなければならななかったし、そもそも5才未満は入れない。また、宮殿内の家具にはいっさい手を触れないように、といろいろうるさかった。とはいえ、それだけ厳しくしているだけあって、宮殿内は傷一つなく、今でも十分人が住める状態だった。欧風の雰囲気を感じさせる宮殿は、建設当時にはすでにイギリスの影響下にあったことを伺わせ、そんな宮殿内の調度類や装飾品は、どれもこれもルパン三世が狙いそうなものばかりであった。

 このイオラニ宮殿はカメハメハ大王がハワイを統一した後、何代目かのときに立てられたそうである。ボランティアである宮殿内のガイド氏の物語を聞いたところによると、カメハメハ大王の家系は、一応その後も続いたらしい。しかしまことに複雑な変遷をたどっているのだ。子がないまま亡くなったから弟がついだ、とか結婚後間もなく亡くなった、とか、子供ができたけどすぐに死んだ、とか。スムーズに嫡子が継ぐ、ということが一度もなく、祟られていたんじゃないか、というくらい不幸続きだったようだ。
 結局、大王の統一からそれほど時を経ることなく、アメリカの前に屈服することになる。話を聞いたところでは、その様子はなんだか薩摩の琉球支配に似ていた。

宮殿の提灯

 宮殿内の説明は終わり、我々は外に出て正面玄関にまわった。下々の民である我々は裏から入っていたのである。先頃訪れた紀宮さまは、さすが皇族、正面玄関からお入りになられたらしい。

 正面にまわると、そこはいたるところにある公園と同じような芝生と木々の広大な庭だったが、その庭や宮殿の正面を見て驚いた。なんとそこかしこにバレーボール大の白い提灯がズラリと並んでいるのだ。提灯ですぜ、提灯!!博物館からここまで一緒に来ているガイドに訊ねると、

 「クリスマスだから……」だって。

 靴カバー履かせたり裏から入らせたりする宮殿が、クリスマスの装飾に提灯使ってどうするんだ。このあたりがアメリカンのセンスなんだろうなぁ。

 バスが来るまで時間があったので、お向かいのカメハメハ大王像を見に行った。この像は若くりりしく勇ましいのに、どうして宮殿内のカメハメハ大王の肖像画はショボくれたおじいさんなんだろう。そういえば2代目も情けない顔だった。逆にイギリスの貴族だかなんだかはキリッとしてりりしい。このあたりにも当時のハワイを伺い知ることができる何かがありそうだ。

 今現在のネイティブのハワイアンにとって、大王の王朝のままだったほうがよかったのか、アメリカの州になってよかったのか、そういうことは私にはわからない。けれど、良くも悪くも昔はこうだった、ということを客観的に知るのは大事なことである。こういう歴史的建造物はそういうことに役立つはずである。

 でも彼らネイティブハワイアンたちも、観光客と同じようにこの宮殿に来ることがあるのだろうか。学校でアメリカの歴史を習うのと同じくらい、ハワイの歴史も習っているのだろうか。少し気になった。

 やがて迎えのバスがやってきて、我々は提灯宮殿をあとにした。あとはもうホテルへ帰るだけだ。朝と同じく帰りも我々のホテルへの巡回は最後だった。我々は吉村作治に半日のお礼を言い、バスを降りた。

ハワイの海初エントリー

 さて、今晩の食事は昨日ゴードン・ビアーシュで言っていたとおり父のおごりである。部屋に戻ったあと、早速選定作業に入った。この場合遠慮はいらないから、店を選ぶのも楽だ。

 うちの奥さんは昨日の朝行ったハノハノルームをいたく気に入っていたので、今晩はそこにするか、と朝から言っていたのだが、それはあえなく断念した。

 だって通常のコースの料金が59ドル!!もするんだもの。59ドル×5名プラス飲み物代じゃあ天文学的数字になってしまう。いくら遠慮はいらない、といったってものには限度がある。

 そこでいろいろ考えた結果、我々のホテルから東へ少し歩いたところにあるハワイアン・リージェントホテル内のアクア、という店が良さそうだった。ガイドブックを見ると、美味間違いなし、ボリュームたっぷり!と書いてある。電話の向こうのオリオリ娘もいいところですよ、と太鼓判を押してくれたので、迷わずここに決めた。

 食事の予約を済ませると、あとはもうやらなければならないことはなにもない。そこで、うちの奥さんはせっかくだからハワイの海に浸かってみたい、と言い出した。ここまで来てハワイの海に入らず帰るというのももったいない、というのである。

 タオルを持って外に出、シェラトンワイキキ前までテクテクとビーチを歩いた。私はまったくそのつもりはなかったので、ビーチで待っていることにした。だって水は冷たいし、濁っているし。そんな私に荷物を預け、うちの奥さんはいそいそと海に入っていった。

 はじめこそスイスイ、とミズズマシのように泳いでいたが、、ものの3分も経たないうちに、

 「うううぅぅぅぅぅ、やっぱりざぶい”よぉぉぉぉ……」

 といいながらあがってきた。そりゃ寒いよ。冬だもの。

 たった3分ではあったけれど、それでもうすっかり気が済んだらしく、これで彼女のハワイの海初エントリーは終了したのであった。

 前にも書いたとおり、日光浴に最適のこのワイキキビーチのなかでも、このあたりからの眺めは特に気持ちがいい。長く連なるビーチの果てにダイヤモンドヘッドがあって、木々も街も夕日に紅く染まっている。いつしか当たり前になっていたけれど、この景色を見るのももうこれで最後である。そう思うと名残惜しくなったので、カメラを取り出し、パシパシパシと撮っておいた。

誰も知らない海の神様

 そのあと通りに出た。タオルを持ったままだったので恥ずかしかったが、土産を多少買いたかったのだ。

 昨晩物色したABCストアをまわり、例の「ハワイの鳥」という図鑑やその他ちょっとしたものを買った。ほかになんかないかなぁ、と見ていたら、木彫りの神々が並んでいた。

 私はもともと南洋諸島の、現地の神々の像が好きで、ビショップ博物館でガイドさんが言っていたハワイの4種類の神々というのに強く惹かれた。
 たしかガイドさんはそのなかに海の神様というのもいると言っていたから、私はこの木彫りの神々のうち、海の神様を買おうと思いたった。

 何種類かある像は一目見ただけでは何がなにやらわからないが、像に付いている札を見ると、お金の神、幸運の神、穀物の神、と書いてあった。しかし、海の神様はどこにもいない。札の中には英語じゃなくて現地語で名前が書いてあるのもあったから、そばを通りかかったフジモリ大統領似の店員に訊いた。
 しかし日系人の彼は現地語を知らず、そもそもこの神々自体すら知らなかった。それでも何かひらめいたのか、ちょっと待っててくれ、と身振りで示し、フジモリ大統領は奥から何か持ってきた。

 「This is God of ocean!!」と、笑顔で言いながら彼が手にしていたのは、なんだか変なキャラクターがサーフボードに乗っている木彫りのおもちゃだった。おちゃめなフジモリ大統領である。

 別の店員にも訊いてみたが、彼女も知らないらしく、奥に行って人に訊いてきてくれた。それによると、海の神様はたしかにいるらしいが、うちには置いていない、ということだった。
 そのあと違う店でも訊ねてみたが、海の神様はおろか、この神々について知っている人を見つけることさえ難しかった。やはりこういうことはネイティブに訊ねないとだめなんだろうなぁ。いずれにしても、唯一神を信仰している人々にとっては、「神々」というのはまがい物なのだろう。

最後の晩餐

 さて、食事の時間である。
 いよいよ最後の晩餐だ。ホテルを出るとき、父は昨日買ったらしい10本だけ入れられるシガレットケースを見せ、これで節煙できる、と喜んでいた。が、節煙の気配りはいらなかった。これから行くところは全席禁煙なのだから。

 5分ほど歩いてすぐにアクアに付いた。席に案内されながらあたりを見回すと、店内には我々のほか誰もいない。いくら数々の料理賞に輝いていようと、客が入っていない店がおいしいはずはない。おいおいおい、大丈夫かぁ、と不安になってしまった。

 しかしそれは的はずれな杞憂であった。みんなは気づいていたらしいのだが、そもそもディナータイムと言えば時間的にもっとあとなのだそうだ。6時半ごろからのこのこ来るのは我々くらいだったのである。事実、我々のテーブルでは食事が終わろうか、という頃、店内は随分にぎわっていた。

 ドリンクがやってきたので、最後の乾杯をした。旅行前、それほど高くなくおいしい夕食を、と思って随分調べたけれど、結局滞在中の夕食はずっとコース料理であった。しかもディナークルーズをのぞいてすべてごちそうになってしまった。費用を気にせず豪華に食事できる短期間の旅行、なんて天国のようだ。

 ところで、連日コース料理を食っていたが、スープというものには一度もお目にかからなかった。たまたまそういう店やメニューを選んでいただけだろうか?そもそもスープはあまり好まれないのだろうか。帰国後も解決しないハワイ七不思議の一つである。

 ステーキは食べない、と決めていたので、ここでもシーフードがメインのコースを頼んでいた。ブイヤベースは私には淡泊な感じがして、うちの奥さんが頼んだラムのリブステーキのほうが断然おいしいと思ったのだけれど、シニアーズにはとっても好評で、この4日間の食事のなかで一番おいしかった、とのことだった。きっとしみじみうまかったのだろう。

 なんだかんだ言いながらも、ここでもビールのあとワインに突入し、たらふく食ってたらふく飲んだ。この4日間というもの、普段質素倹約令がしかれている私の胃は、質量ともに豪華な嵐に見舞われて、ずっとうれしい悲鳴を上げていたに違いない。あとすこしで本当の悲鳴に変わるに違いないが……。

明日は、ご、ご、ご、五時!?

 ようやくにぎわい始めた店を後にし、ホテルへ戻った。明日はいよいよ帰国である。当初から我々夫婦はそれほど過大な期待を寄せていなかったものの、ハワイは期待以上によいところであった。リピーターが滅茶苦茶多い、というのも十分うなずける。

 これまでハワイと沖縄を比較してえらそうにゴタクを並べてきたけれど、言うまでもなくそれは観光客向けのソトヅラを見比べただけである。客としてどうか、ということだ。それに関してはハワイに学ぶところが多い、という結果であった。

 しかし、それらはあくまでも「アメリカ」としてのハワイである。
 4、5日の旅行じゃとうていわかるはずはない、ということは百も承知のことながら、ポリネシア的ハワイのネイティブな生活にも接してみたかったなぁ、というのが心残りではある。曙の故郷の生活ってどんな感じだろう。

 沖縄はまだまだ問題を抱えているとはいえ、最近のウチナーンチュは自らの文化を前向きに見直し、日々楽しく元気よく暮らしている。そんな地元の空気というものには残念ながら今回は触れることができなかった。2度目以降は隣島へおもむく人が多い理由がわかる気がした。

 そういったこともあって、2週間、1ヶ月、と長く滞在してみたい、と思ってもみた。しかし、我々は自費ではもう2度と来ないだろう。

 しみじみと余韻に浸りつつラナイで酒を飲んでいた。相変わらず夜風が心地いい。

 な〜んてのんきなことをしている場合ではなかった。明日は午前9時半発の飛行機なので、朝の5時には機内預けの荷物を取りに来ることになっている。今夜じゅうにパッキングを済ませておかないといけないのだ。
 しかもうちの両親の飛行機は我々より30分速く、我々もそれに合わせてホテルを出るから、6時30分のピックアップバスに乗らないといけない。あ、フロントのセキュリティボックスに預けてあるパスポートも今晩じゅうに回収しておかないと。なにやらにわかに慌ただしくなり、頭は帰国モードに切り替わった。

 備え付けの目覚ましはどうも使えないようだし、はたして明日は起きることができるのだろうか。

12月10日(金)そして11日(土)へ