14・出雲そば〜きずき編〜

 

 一畑電車の踏切を渡り、引き続き堀川沿いに歩いていると、後方から踏切の音が聴こえてきた。
 
 駅を出たばかりの電車が、ゆっくり鉄橋を渡っていく。

  BATADENこと一畑電車はけっこう撮り鉄さんたちのターゲットになっているようで、季節ごとの様々な風景の中で撮られた写真をいくつも目にした。

 大鳥居がベストポジションで画面に入るアングルでカメラを構えている人が、今日もきっといるのだろう。

 さて、この堀川沿いをこのままずっと行くと……

 いい景色が待っている。

 だからといってズンズン行けば、やがて迷子になってしまいそうだ。

 どこか適当なところで左折し、神門通りに戻らねば。

 というわけで適当に入った道は……

 馬場通りだった。

 大社駅が開業して神門通りが表参道になる以前は、お宮通りからそのまま続く市場通りとこの馬場通りが、門前町きっての繁華街だったそうだ。
 そのため駅をどこに造るかという話になった際、両者は仁義なき戦い・駅前争奪頂上決戦になりかけたという(一部脚色アリ)。

 そこで妥協案として、両者から等しい距離、でも出雲大社からはちと遠い位置に駅が作られることに。

 その結果繁栄していくのは神門通りになるわけで、互いに凌ぎを削っていた繁華街は、やがて静かな町並になっていったのだった。

 三代の栄耀一睡のうちにして、鳥居と駅は一里こなたにあり。

 ここから神門通りに出ると、すぐそこが勢溜になる坂道の途中だった。

 行きはまだ開いている店が少なかったから、通りがにぎやかになっているだろう神門通りを帰りがけにゆっくり歩いてみようと思っていたのに、すっかりワープしてしまった。

 白鳥のせいで。

 もう一度来た道を戻るほどの熱意は無かったので、そのまま先に行くことにした。

 雰囲気がステキですよ、と大島屋旅館の女将さんに教わり、昨夕さっそく足を運んでみたら時刻が遅かったため境内に入れなかった北島国造館を再訪してみた。

 見納めたはずの出雲大社に再び。
 北島国造館は、出雲大社境内から行けるのだ。

 出雲大社境内と北島国造館の間は、なにげにステキなお濠があった。

 ここから北島国造館に入ると、江戸期の出雲大社境内拡張の際にこちらへ移築されたという由緒ある四脚門がある……

 …はずだったのだけど、滝の音に心を奪われてしまった我々は、すっかり見逃してしまった。

 滝の音につられていくと……

 小さな祠の背後に、素敵な滝が。

 亀の尾の滝と呼ばれているらしい。

 もちろん天然の滝ではなく、この庭園を造作するに際して近くの川から水を引いてきているそうな。

 この小さな祠に祀られているのは、小さな巨神・少名毘古名彦那神。

 記紀をはじめいろんな神話に登場する神様なので、各神話ごとにキャラやエピソードが違うのだけど、一時期は大国主神の右腕だったこともあるこの神様は、酒造りの神様でもある。

 また説明板によれば、鳥獣や昆虫の災いを払うおまじないを定められた神様でもあるという。

 昆虫の災い??

 オタマサが真剣にお参りしているのはそのためである。

 ……でも昆虫の災いからは逃れられなかったけど。

 お賽銭が足りなかったか??

 北島国造館の境内は広くステキな庭園で、出雲大社がそろそろ賑わいを見せている時間帯だというのに、静かなたたずまいを見せていた。

 正門(?)から表に出るとそこが社家通りで、武家屋敷通りのような趣がある。

 この通りに面した北島国造館の正門(?)はこんな感じ。

 出雲大社の総管理官として時の政府に任命されて以来、上古からずっとこの地で出雲大社を差配している出雲国造家は、てっきり千家一族だけだとばかり思っていた。

 実際はこちらの北島家も、千家家とともに歩んでこられたそうな。

 でも明治になってから出雲大社担当は千家家一本ということに定められ、北島国造家は以後出雲大社を脇から支える存在になり、「出雲教」を創設されたのだとか。

 そういった事情を知らずに「出雲教」と書かれた門を目にすると、なんだかとってもアヤシイ雰囲気が漂ってしまうけれど、由緒正しいお家柄なので誤解をしてはいけない。

 この社家通りをさらに先へ進むと命主社があって、その社のそばに生えているムクノキは樹齢1000年という。

 それは見ておきたい。

 テケテケ歩いていくと……

 聳え立ってました、ムク。
 季節が良ければ葉が青々と茂っているようながら、もちろんのこと冬なので葉は無い。

 傷んだのか折れたのか、幹の上方は伐られていたけれど、それにしてもこの根っこのサイズは尋常ではない。

 しかしこちらのご祭神の神皇産霊神からしてみれば、1000年などまだまだ小僧っ子ってところなのかも。

 巨大ムクノキよりもさらに驚いたことに、この付近で銅戈や勾玉など弥生時代の物品が発掘されたそうな。

 銅戈といえば、銅鉾、銅鐸とならぶ弥生時代の三大青銅器で、勾玉同様宗教的意味合いが強い。

 注目すべきはここで発掘されたそれらの品々の産地。
 銅戈は北部九州のもの、勾玉はやはり新潟県の糸魚川産のものだという。

 沖縄でさえ本土仕様の縄文・弥生土器が発掘されるくらいだから、我々が子供の頃に学校で習った「日本史」からは想像もできないほどに、上古の物流は広範囲に渡っていたということを現在の考古学は明らかにしてくれている。

 その物流に無くてはならないものが、海。

 海が物流の大動脈だった当時、先進文明供給源である半島から一続きといっていい北部九州、出雲、丹後、越といった日本海沿岸の諸地域や、日本海に浮かぶ各島が大きく発展していたのも至極当然の話なのである。

 上古は今よりもかなり温暖だったそうだから、おそらくは日本海の冬の時化もさほどのことはなかったのかもしれない。

 かつて訪れた丹後半島に浦島太郎伝説が色濃く残っているのも、海を利用していた人々の行き来があったからこそなのだろう。

 それはともかく、出雲大社の摂社脇から勾玉の出土。

 神門通りのオサレーなお店の中には、勾玉を売っているところもあった。
 出雲大社と勾玉なんて関係ないのに…と思い込んでいたため、勾玉販売店を見て、やっぱこーゆー所にはつきものだからね、などとバカにしてしまったワタシをお許しください。

 この巨大ムクちゃんのさらに先にあるという真名井の清水という湧き水スポットもとても気になったのだけれど、そろそろお腹が減ってきた。

 この日のランチも、再び出雲そばである。

 同じ店で違うメニューを試してみたい気もする。
 けれど、やはり出雲初心者としては、同じメニュー、すなわち割子そばを異なる店で試してみたい。

 幸い、大島屋旅館の女将さんから、地元の方にも評判の店をいくつか教えていただいていた。

 そのひとつでもあり、観光客にも絶大な人気があり、出雲大社正門が目の前という立地の超絶人気店が田中屋だ。

 そういえば前日、空港バスを降りて早々に、バス停からすぐ近くにあるその店の前に並んでいたおねーちゃんたちもいたっけ。

 でもそれほどの人気店で出雲大社の真ん前となれば昼時には混雑必至だから、そこは遠慮することにした。

 もしこの日その店に行こう!と心に決めていたら、大変なショックを味わうところだった。

 だって……

 危なかったぁ………。

 前日はフツーに開いてたんですぜ。
 危うくまたやらかしてしまうところだった。

 すんでのところで「やらかす危機」を免れ、我々がやってきたのはこちら。

 きずきさん。

 きずきとはもちろん杵築のことだということは、すでに我々は知っている。フフフ。

 このお店、実は大島屋旅館の目の前にある。

 車の奥がお店だ。

 昨日今日と何度も前を通りかかっているというのに、女将さんに教えていただくまでここがそば屋さんであるだなんてまったく気づかなかった。

 看板も幟もささやかすぎ。

 でもその慎ましやかな佇まい、素敵です。 

 ちなみにこちらは前日の火曜日が定休日だそうで、なにげにギリギリのところでやらかさずにすんでいる。

 これはやはり、出雲の神々の力なのだろうか??

 そういうパワーは大歓迎だ。

 もっとも、開店は11時半かららしく、まだ店は開いていなかった。

 なのでちょっくら近くを散歩することにし、いまだ歩いていないスージィグヮーに入ってみた。

 そんな小道の一般家屋に、衝撃的な表札を発見。

 大国さん!!

 読み方はオオクニ、オオグニ、ダイコクなどあるようながら、この苗字の人は日本に2000人以上いらっしゃるらしい。

 それにしても、出雲大社のそばで大国さんってのもすごい……。

 ひょっとしてこのあたりには、2000人のうち1900人くらいいらっしゃったりして……。

 神迎の道に戻ると、正面にこんなお店があった。

 祝凧?

 お祝い用の凧ってなんだろう?

 そのルーツがまさか千家・北島両国造家にあったとは。

 気になる方はこちらをお読みください。

 開店時刻になったので再び店の前に戻ってくると……

 あれ?まだ空いてない。

 でも開店を待っている人が並んでいる。

 開店時刻になってもなかなか開かないから、イヤな予感が脳裏をよぎりかけた。

 大丈夫、出雲の神々がついている。

 すると店のご主人が申し訳なさそうに出てきて、遅くなったことを詫びつつお店を開けてくれた。

 賽銭ケチらないでよかったぁ……。< そういう問題?

 暖簾をくぐった先に玄関が。

 なんだか門といい玄関といい建物の作りといい、旧家か旅館のようなたたずまい。

 引き戸を開けて入ってみると、そば屋とは思えない玄関だった。

 こちらで靴を脱ぎ、案内していただいた客席は、畳敷きの和室二間にテーブルが並べられていた。

 まずは、ダハダハダハとビールで乾杯。

 エビスビールってところがうれしいオドロキ。

 オドロキといえば、オタマサの背後には例の祝凧が。

 赤が鶴、黒が亀の漢字がそれぞれデザインされている。

 なるほど、かつては国造家オリジナルだったものが、今ではこうして利用されているのか…。

 さてさて、メニューを拝見。

 そうそう、メニューといえばここ出雲では、縁結びの力にあやかって、本来「円」であるはずのところがこうなっている。

 いろんなところで見かけたこの価格表示の「縁」、たったこれだけのことでも、いかにもなご当地気分を味わえる。

 このきずきさんでは、割子そばには三段、四段、五段が用意されている。

 オタマサがオーダーしたのは…… 

 割子そば三段(そば湯付き)。

 鰹節、海苔、葱、紅葉おろしを、自分の好みでトッピングするスタイルのようだ。

 各テーブルには初心者用に割子そばの食べ方指南書も用意されているので、たとえ初めてでも戸惑うことなくいただくことができる。

 一方ワタシは……

 とろろ割子そば三段セット。

 さっそく薬味その他をトッピング。

 宿で朝食をしっかり完食しているから、お腹の減り具合はいたってノーマル。
 でもこういうビジュアルになると、たちまち食欲加速装置がスイッチオン!

 そばの味について詳しく語る能力はないけれど、昨日の千鳥そばとは違うということはわかった。

 そばはやっぱりアルデンテで、喉越しスッキリ味わいクッキリ。

 器に盛られたそばの量は千鳥そばさんよりも多く、そのうえとろろも加えているから、食後の満腹感が大きい。

 ところで、とろろ割子そばは本日のおすすめメニューのひとつで、のやき2切れもついている。

 のやきってなんね?

 注文をとりにきてくれたご婦人に訊ねてみると、このあたりの名物練り物なのだとか。

 といわれても、どういうものかイメージできなかったところ、ビールのアテに、と最初に持ってきてくれた「のやき」とはこれだった。

 あ、宿の朝食の謎の一品だ!

 そうか、これをのやきというのか。

 朝食時は冷えたものだったのでカマボコ感が強かったのに対し、こちらではアチコーコーだったからか、風味がチキアギ風でもあった。

 こののやきを食べ終えると、小皿の可愛い絵柄が現れた。 

 あ、築地松だ!!

 こういう小皿の絵柄に反応できるのも、空港バスの運転手さんのおかげ。

 12時近くになると、さすがにお客さんの数も増えてきた。

 でも各テーブルの間隔は広く、落ち着いて食事ができる雰囲気のおかげで、のんびりゆっくり飲むこともできたのだった。

 出雲そば、美味しかった美味しかった。

 昼食後はいったん宿に戻り、預けてある荷物を受け取る時間も加味しておかなければならなかったところながら、なにしろ暖簾をくぐってお店を出れば……

 …目の前が宿なのだから、時間を気にする必要まったく無し。

 お腹も満ち足りて、出雲そばにも満足して、もう出雲に思い残すことは何もない………ぜんざいも食べたかったなぁ。

 < 思い残してんじゃん。

 出雲大社に行けさえすればいいってことで、1泊だけの滞在だった出雲。

 でも期待以上に楽しくて、まだ旅行は半ばというのに、旅行記はとても1泊とは思えない分量になってしまった。

 ついに出雲の地をあとにする時が来たけれど、我々の旅はまだ続く。

 次なる目的地は………?