5・龍馬の町は火曜市

 いい酒、良い肴、佳き出会いに恵まれた夜を過ごしたあとに迎える朝は、なんとも心地よいものである。

 そんな朝には、おめざドリンク。

 昨夜のうちにコンビニで買っておいたものだ。

 オタマサは、ご当地のひまわり乳業製「高知の牛乳」。

 生乳100パーセント使用、成分無調整の完全無欠のザ・牛乳だ。

 高齢化し、後継者がいないまま廃業する酪農家が増えている昨今、沖縄の宮古島ではとうとう島内で給食用の牛乳をまかなえなくなってしまい、学校給食で子供たちは加工乳を飲むしかなくなっているのだとか。

 そんなご時世であることを思えば、フツーのご当地の牛乳が、なにやらとてつもなく貴重なモノに思えてくる。

 そんなひまわり乳業が昔から作り続けている↓こちらが、ワタシのおめざドリンク。

 高知県民のソウルドリンク、リープル。

 ケンミンショーあたりがきっかけなのだろうか、今では高知県のことをちょっと調べると出てくるようになっている。

 でも実際のところ、地元の方々にとってどういう存在なのだろう。
 これを買ったコンビニのレジで、スタッフのにぃにぃに訊ねてみた。

 「うーん……飲んでいたのは小学3年生くらいまでですねぇ」

 後日飲み屋でうかがった際も、「甘過ぎ!」とのお言葉が。

 つまりはいいオトナが飲むものではないらしい。

 ともかくも旅行者としては必須だから、まずは一口。

 お…………これは森永マミーだ!

 まったく同じではないにしろ、イメージはマミー。

 たしかに、オトナが好んで飲む味ではないけれど、ワタクシ、高知市街に滞在中は毎朝飲みましたよ、リープル♪

 快適ドリンクですっきり目覚め、さっそく朝の散歩に繰り出した。

 ホテルからはりまや橋通りに出ず、そのまま南下していくと、やがて国道32号にたどりつく。
 その国道に達する前に右折すると、はりまや橋商店街の入り口だ。

 アーケードは和風かつ立派で、本家はりまや橋よりもよほど豪壮である。

 このはりまや橋商店街を抜けたところにあるのが、本物のはりまや橋だ。

 もともとは堀川が流れている上にホントの橋が架かっていたそうなのだけど、水質悪化で悪臭がひどくなりすぎたために堀を埋め、道路が大幅に拡幅されてからは、橋という名の名残りでしかなくなっている。

 たしかにはりまや橋はりまや橋とさんざん聞かされたあげくにこれを見せられた日には、札幌時計台や首里城が復元される前の守礼門どころではないガッカリ度だったことだろう。

 年配の方で随分昔にしか高知市街を訪れたことがない方は、はりまや橋といえばこれだったはず。

 ところが今では、近年制作された「はりまや橋」という、日米韓の3か国合作の映画のロケ用に造られたはりまや橋の復元モデルが本家はりまや橋のすぐ近くに設置され(事実誤認かもしれませんが…)、往時の堀川を再現すべく設けられた人工の水辺の上で、朱塗りの橋が品良くアーチを描いている。

 おお、これならけっこう「はりまや橋」じゃん!

 < でも小っさすぎなくね??

 とおっしゃる方は、根本的に誤解しておられるに違いない。

 そもそもはりまや橋とは、ここに店を構えていた豪商播磨屋さんと、堀を挟んで隣り合っていた櫃屋さんが、互いの行き来をしやすくするため私的に架けた橋なのだ。

 わかりやすく言うなら、磯野波平が隣りの伊佐坂先生の家まで碁を打ちに行きやすくするために、庭の塀に扉を作ったようなもの。

 それなら舟さんやおかるさんだって、塀越しに語らずとも気安く茶飲み話もできることだろう。

 もともとがそういう由来の橋だから、まさか皇居の二重橋のような大構造物があろうはずはないのである。

 はりまや橋復元モデルが架かっている水辺は、そのまま西へと延びている。
 清掃が行き届いた水辺は居心地良さげではあるけれど、ビルの谷間という立地のせいもあるのだろうか、賑わっている様子をついに見なかった。

 そのままこの人工の水辺を抜けると中央公園の広場があって、そのあたりから少し歩くと、帯屋町一丁目商店街のアーケードになる。

 まだ朝早い時刻なので開いている店は少なく、このあたりを歩く人の姿もさほどない。

 でも自転車はとっても多い。

 商店街は基本的に自動車や自転車の通行が禁止されているようながら、朝9時までだったか10時までだったか、各店がオープンする頃までは自転車はOKらしいのだ。

 我々が散歩していたこの時間は通勤通学時間帯だったこともあってか、信号待ち後のこの自転車の量がものすごかった。

 沖縄では自転車通勤・通学というのはあまり目にしないため、すっかり忘れていた光景……なのか、それともチャリダー流行りのために自転車通勤者が激増している現在ならではの光景なのか。

 赤信号ごとに自転車が横断歩道手前に集積し、青信号とともにみなさんダッシュするから、商店街を歩いている我々は、流星群をかいくぐる宇宙船のようになっていた。

 ここで気がついたことが。

 高知のみなさんは、自転車のベルをほとんど鳴らすことなく、それでいて歩行者も自転車も右往左往することなくスイスイと走っていく。

 これが大阪あたりだったら、そこらじゅうでチリンチリン鳴ってそうなものなのに。
 これって文化の違い?それとも現代社会のマナー?

 もっとも、歩道も商店街もやたらと広いから、きっと自転車にも歩行者にも余裕があるのだろう。
 歩道が幅広いはりまや橋通りの路面には、自転車は並走しないよう注意を促す表示があるのみで、歩道を走るなとは書かれてはいなかった。

 そんな自転車流星群の商店街を歩いている時、ふと商店の壁を見ると……

 しんじょう君発見。
 気に留めだすと、実はそこらじゅうにあることを知るしんじょう君のポスターである。

 須崎市、がんばってます。

 このままアーケードをまっすぐ行くと……

 ひろめ市場の南側の入り口。
 たくさんある市場の入り口のなかで、ここが一番大きいんじゃなかろうか。
 ここから一筋西に行ったところに、土佐藩に囚われた武市瑞山が切腹した跡地の碑があるらしい(帰宅後知った…)。

 ひろめ市場の入り口は、暖かい季節には間口を大きく開けてウェルカム状態らしいのだけど、寒さ厳しいおりだからビニールシートで暖気を逃さないようにしてある。

 ところで。

 ここの入り口にも高々と掲げられているこの宣伝。

 今回の拙旅行記のタイトルに借用させてもらった、キリンビール高知限定キャッチコピーだ。

 「たっすい」とは土佐言葉で「弱々しい」とか「たよりない」とか「うすい」といった意だそうで、味も素っ気もなく直訳すれば「うすいのはダメ!」ということになる。

 巷にはビールもどきをはじめ星の数ほどビール系飲料があるけれど、ホントのビールを飲もう!ということなのだろう。

 ちなみに、キリンビールの発祥には岩崎弥太郎の家系が大きく関わっていて(もっとさかのぼると海援隊とも縁が深かったグラバーも)、岩崎弥太郎の故郷高知県は、キリンビールにとってもまたある意味御膝元といっていい。

 ところがスーパードライ登場以来飛ぶ鳥を落とす勢いでシェアを広げたアサヒの威力はここ高知でも凄まじく、あっという間にキリンビールは地の利(?)を失ってしまったという。

 とりわけキリンビール高知支店はダメ支店ぶりが全国トップクラスだったそうで、どうにもならないほどの低迷を続けていた時に、高知支店のとある女性があることに気がついた。

 「高知県民は日本で一番キリンラガーを消費しています。」

  そうだ、高知県民は昔から、ホントウのビールを愛しているのだ!

 そこで誕生した起死回生のキャッチコピーこそが、

たっすいがは、いかん!

 このキャッチコピーがピタリとハマり、キリンラガーを一番消費している地域という高知県民の自尊心をくすぐるデータも功を奏して、キリンビールは見事に高知県内でのシェアナンバーワンの座をアサヒから奪回したという。

 掃き溜め扱いだった支店の奇跡の成功、ビリギャルならぬビリビールといったところか。

 キャッチコピーが誕生したのは前世紀終盤のことだそうで、今世紀初頭には揺るがぬ地位を再び築きはじめたキリンビール。

 NHKの大河ドラマで「龍馬伝」が放送されていた頃も以後も、なんとかして福山雅治に龍馬のキャラで

 「たっすいがは、いかんぜよ!」

 と言わせたかっただろうなぁ、キリンビール高知支店。

 でも敵もさるもの、それを見越していたのか、坂本龍馬@福山雅治は、アサヒのイメージキャラになっていたのだった。

 さらにアサヒの攻勢は止まない。
 柳の下にはいくらでも泥鰌がいることを知っているアサヒビールは、キリンビールの土佐弁キャッチにわかりやすく対抗する。

 だからここひろめ市場の入り口でも、キリンビールの土佐弁キャッチの横に、アサヒもしっかり並んでいる。

 「こじゃんとうまい」は、名古屋風に言うなら「でらうま」ってところだろう。

 その後の経過は知らないけれど、今回滞在してみたところ、かなりの店で生ビールはアサヒになっていた。
 土佐弁キャッチの存在を知って高知はキリンだと安心していただけに、アンチアサヒスーパードライ党としてはビックリの現状。

 はたして仁義なきビール戦争、次の一手はどこに何が繰り出されるか?

 御手洗いを借りがてら、ひろめ市場の朝の様子を覗いてみた。

 まだ朝8時半だから、さすがに飲食店はほぼほぼクローズド。
 たまたま通りがかった市場の方に訊ねてみると、遅い店でも11時頃には開店するとのことで、10時過ぎにはたいていの店が開いているようだ。

 昼は昼でまた大いににぎわうに違いない。

 昼ビールに思いを馳せつつ、我々の朝散歩は続く。

 ひろめ市場を出て大橋通り商店街を抜け国道に出ると、道の真ん中に路面電車の「大橋通駅」がある。
 目的地には歩いてでも余裕で行ける距離ながら、せっかくだからチンチン電車に乗ってみよう。

 わりと小刻みに運行していて、道の真ん中の駅で写真を撮っていると、ゆっくり撮っている間もないくらいにすぐさま電車が到着した。

 初乗車。

 車両後方の乗車口から入り、整理券を取る。
 整理券システムながら、市内一定区間内なら一律200円だ。

 乗客は老若男女様々で、通学であろう少年少女から病院通いらしきお年寄り、ちょっとお出かけのご婦人から我々のような旅行者まで、いろんな人を乗せている。

 小刻みな運行だし、わりと遠くまで行ってくれるし、それでいてさほどの運賃ではないから、利用者が多いのもうなずける。

 こういう便利な公共交通機関を次々に廃止しておいて、今さらのように買い物弱者だなんだかんだと騒いでいる日本の各都市に比べれば、高知市街はよほど、トラムを料金フリーにしている街メルボルンの都市設計思想に近い。

 レトロな車内には、こういう案内もあった。

 いろんな車両が走っているとは思っていたけど、その出自をこうして一台ごとに紹介しておるのですなぁ。

 好きなヒトにはたまらないだろう。

 さてさて、目指す駅は乗車駅から5番目の上町1丁目。
 「降ります」ボタンをいつ押そうかとドキドキしていたら、別のおばちゃんにあっさり押されてしまった…。

 この上町1丁目駅で降りて、チンチン電車で来た道をほんの50メートルほどバックする。

 するとそこに見えてくるのが……

 さて、ビルの合間にあるこの碑は、いったいなんでしょう?

 これは、坂本龍馬さん誕生地の碑。

 当時の世の中に産婦人科病院があったわけではないだろうから、つまりはこのあたりに坂本龍馬の実家、すなわち豪商才谷屋の分家・坂本家があったということなのだろう。

 京都市東山にあるお墓には行ったことがあるから、これでゆりかごから墓場まで制覇したことになる?

 ちなみに碑によると、「坂本龍馬先生誕生地」の碑の文字は、吉田茂元首相の手によるものらしい。
 ご本人は東京出身ながら、実父竹内綱は坂本龍馬と同世代の土佐藩士。いわば同郷の縁ということか。

 病院などの大きなビルに挟まれて肩身の狭い思いをしているように見える碑の前に、碑をゆっくり眺められるようベンチ(坂本家家紋付き)が設けられている。

 熱烈な坂本龍馬ファンは、きっとこのベンチに長時間座って碑を眺めていることだろう。

 チンチン電車の駅から歩いてきた道を戻り、上町二丁目方向へテクテク歩く。

 国道沿いにしばらく行き、ひょいと南側に曲がると、そこにあるのがこちら。

 坂本龍馬の実家である坂本家の、本家にあたる才谷屋……の名がついている喫茶店。

 坂本家は、才谷屋の分家が藩から郷士株を購入することによって武家となった家で、本家才谷屋はそのまま商家として続いた。

 そんな才谷屋の名をいただいたこの喫茶才谷屋、看板の文字はどうやら往時の才谷屋の看板を模したものらしく、しかも店頭にはご丁寧にも……

 まるで地元教育委員会が設置したかのような風情で、案内板と碑を拵えてある。
 最初はホンマモノの案内板なのかと読み進んでいたところ、末尾にちゃんと

 「コーヒーハウス さいたにや」

 と記されていたのだった。

 別口で調べてみたところ、資料に基づいた考証によれば、この喫茶店のお向かいあたりの広大な一角が才谷屋だったのではなかろうか、というような話だった記憶が。

 ちょうどこのあたり。

 当時才谷屋は高知城下で1、2を争う豪商だったそうだから、邸宅も敷地もさぞかし豪壮だったのだろう。

 このあたりからさらに西へテクテク行くと、こぶりな用水路が姿を現す。

 古くは水通町(すいどおちょう)と呼ばれていたところで、町名は江戸時代の初めごろから道の真ん中に通されていた用水路に由来するという。

 その後水路の拡充が施されたりして、多くの人たちが利用するところとなったそうだけど(饅頭屋こと近藤長次郎の屋敷跡もあるらしい)、今では車道脇の静かできれいな用水路程度。

 ただし、毎週火曜日にはその姿をガラリと変える。

 そう、この日1月30日は火曜日。
 火曜日のこの用水路上には……

 市が立つ。

 人呼んで火曜市。

 高知県観光的には日曜市がダントツに有名で、椰子が茂るあの追手筋の1キロほどの路上に、400軒を超える露店が並ぶという。

 観光名所とはいっても市場の歴史は300年、当然地元の方々も普段使いの市なので、ある店などではチェーンソーなんてものまで売られていたりするのだとか。

 その他、旨いもの甘いものお野菜雑貨と話を聞くだけで楽しそうで、日曜市を主目的に高知観光に来る方も多いと聞く。

 とっても面白そう。

 でも。

 日曜市を隅から隅まで楽しむためには日曜の午前中から訪れねばならず、そうなると前日土曜日には到着していなければならない。

 サンデー毎日な我々が、なにもわざわざ混み合う週末を旅程に入れるのもなぁ……

 というわけで、今回は残念ながら日曜市は見送った次第。

 そのかわり!

 高知市には日曜市以外にも、月曜日をのぞくほぼほぼ毎日、各所で市が開かれているという。

 そのなかでこの火曜市が、場所的にも日程的にも、我々にとって最初で最後のチャンス。
 規模こそ日曜市には及ぶべくもないものの、より地元のニーズに特化した生活の市であることは疑いなく、今もなお40店舗ほどは並んでいるというから、この火曜市をはずす手はない。

 時刻は朝9時。
 文字どおりの青空市に、早くも付近の人々がたくさん訪れていた。

 野菜、果物、干物、花卉、雑貨、豆、菓子、惣菜、海鮮生ものなどなどいろいろな店がある。
 興味深く眺めてみれば、なんとも野菜の安いこと!!

 野菜高騰のニュースはいったいどこの国のこと?とでもいわんばかりに、地元産の野菜たちが惜しげもなく格安価格で店頭に並んでいる。

 その品揃えと価格を目にすれば、本部町の町中でアネモネフィッシュさんがよくつぶやいておられるように、

 「背負子背負って買い物に来たい…」

 と思わずにはいられない。

 あいにく旅の空の身、ここで生野菜を丸ごと買ってもどうしようもない。
 でも、干物だったらなんとかなるかも?

 そこでさっそく干物屋さんに訊ねてみる。
 そのまま食べられるものはありますか?

 すると、綺羅星の如く輝きながら並ぶ干物たちを、次々に試食させてくれるご婦人。

 なかでも気に入ったのがこちら。

 サバチビターレの干物。

 チビターレでも脂がのっているあたりはやはりサバ、1匹食べてみると、干物でありながら瑞々しさを残しつつ、かなりお酒に合いそう。

 これ買います!

 用水路上に並ぶお店は、ほぼすべてお持ち帰り用の品を売っている店だった。
 なので、ウワサに聞く日曜市のように、イートインできる店はないんだろうなぁ……と思っていたその時、目の前に登場してくれたのがこちら。

 中日そばのお店。

 中日そばとは知る人ぞ知る、麺は中華そば、出汁は日本そばという日中コラボのご当地グルメで、高知市の東にある香南市は赤岡町を中心に、ジワリジワリと人気を広めているという(といっても誕生は半世紀前だそうだけど)。

 日曜市にだけ出店しているものと誤解していたから、まさかの出会いだった。
 店頭に掲げられている出店予定を見てみると、ほぼほぼ毎朝市ごとに営業しているようだ。

 半世紀の歴史を誇るご当地グルメとはいっても、高知市内の駅前やそこらに店があるわけではないから、ここを逃すとあとは現地に行かないかぎり二度と食べる機会は無い。

 というわけで、躊躇なくイートイン。 

 店は本来、各種練り物や麺類などテイクアウトの品々を揃えていて、中日そばもこのような形で売られている。

 出汁と麺と具が一袋にセットされている、その名も「世話無し」。
 鍋に入れて温めればいいだけだから、たしかに世話要らずだ。
 1人2人で軽く昼食を摂りたいとき、1人前220円で買えるのだから、なんともコンビニエンス&リーズナブル。

 そんなお店には2、3人座れる小さなテーブルがソデにあって、イートインの場合はそこでいただけるようになっている。

 そして登場、中日そば!!

 散歩を続けてほどよく小腹が空いた朝9時過ぎの胃に、強く優しく美しく、日本代表そば出汁が染み渡ってゆく。

 そして胃袋がそば出汁波動防壁で臨戦態勢を整えたら、ズルズルスル…と中華そば、すなわちラーメンを流し込む。

 飲んだ後に食べるラーメンがシメというなら、この朝イチにいただく中日そばは「幕開け」?「封切」?
 いったいなんだ? 

 <「デブの素」だ。

 グッ……。

 ま、一杯のかけそば状態で、出汁が美味しいと言いながらオタマサがインターセプトしまくっていたから……。

 ともかくも、諦めていた念願が思いがけず成就。
 中日そばで身も心も暖まり、再び火曜市をテクテク歩く。

 この火曜市は、先述の通り用水路上に店を出している。
 実際その通りで、ほとんどの店は、それぞれ用水路上に板を渡し、その上に店舗を設営してあるのだ。

 その板の企画は店ごとに違っている。

 お店を載せるくらいだからどの板も頑丈で、見るからに重そう。
 火曜ごとにこの板を渡すのが、年々大変になってきて……と、ある店のお母さんが言っていた。

 こりゃたしかに大変だ……。

 そんな用水路にはとてもきれいな水が流れていて、金沢の武家屋敷近くで観た大野庄用水のような趣もある。

 水がきれいな証拠に、水辺には……

 クレソンが茂っていた。
 クレソンってのは本来こういうところに繁茂するべきもののはずで、なんでマサエ農園の片隅で毎年気持ちよさげに茂るのか不思議だ。

 そうやってクレソンに奪われていた目を、再び市場に戻してくれたのがこちら。

 田舎寿司!

 これまた日曜市情報ではおなじみの商品で、お野菜その他が酢飯に載った素朴なお寿司が、大小それぞれ350円に250円(税込)。

 日曜市に行けないとなるとこれにも会えないか…と諦めていたところだったから(日曜市に比べると、他の市は事前に手に入れられる情報が極端に少ない)、これまた迷わず飛びついて、田舎寿司(小)を購入。

 その他高知産プチトマト1パックや、素朴なお饅頭も1個。
 まだまだいろいろ魅力的な品々で溢れている火曜市である。
 でもこのあとひきつづき散歩を続ける身には、量的にも重さ的にもこのあたりが限界ラインのはず。

 しかしオタマサは、

 「文旦食べたい…」

 と、突如しば漬け女王の故・山口美江化するのであった。

 文旦にもいろいろランクがあり、価格的にもピンからキリまである。売られている単位も様々で、できることなら1個だけ買いたいところ。

 しかしそうは問屋が卸してはくれず、ミニマムが2個だった。

 高いものなら1個換算500円前後のものばかりだというのに、とある店では2個で200円で売られていた。
 それをあらかじめチェックしていたオタマサは、いそいそと文旦を購入。

 おばあちゃんとお孫さんのコンビで店をやられているようで、ケンカしているかのようなやり取りが面白かった。
 どの市も高齢化が進んでいるようながら、なかにはこうしてお孫さんが手伝っている店もあるようだ。

 そうこうするうちに、用を足したくなってしまった。

 そうなって初めて思い至ったのだけど、市場のみなさんって、用はどこで足しておられるのだろう??

 …と思ったら、すぐそばの児童公園にきれいな公衆トイレが。

 さすが高知市街、トイレはすぐそばに。

 その児童公園から火曜市を見渡してみる。

 寒さはまだまだ厳しいおりではあるものの、テントが素朴に並ぶ火曜市の空は、見事にどこまでも晴れ渡っていた。