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ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

224回.軽石騒ぎ

月刊アクアネット2022年1月号

 水納島は連絡船を降りたらすぐそこに、観光客が思い描くイメージ通りのビーチが広がっている。

 ところがシーズンもあとわずかとなってきた昨年10月半ば過ぎに、島の最大の観光資源である白いビーチが、黒灰色に染まってしまった。

 軽石である。

 小笠原沖の福徳岡ノ場海底火山が8月に噴火し、その際噴出された軽石が、2ヵ月経った10月初めに大東島に漂着、その後一週間ほどして沖縄県北部の一部の海岸にも漂着し始めている…

 …ということはニュースで知ってはいたものの、実際に目の当たりにした軽石漂着は、想像していた規模を遥かに超える衝撃的シーンだった。

 とはいえこれも一過性のモノだろう、遥か小笠原からの漂着物なんて、ロマンたっぷりじゃん…

 などと当初ははしゃいでいた私。

 しかし軽石はそんなに甘いものではなかった。

 最初の漂着後、海水浴客のために業者のみなさんでいったん軽石を除去したビーチが、一夜明けるとすっかり元の木阿弥状態になってしまったほど。

 その頃伝えられ始めたところによると、今回の噴火は観測史上最大級とのことで、噴出された軽石の量はとんでもない量なのだという。

 シーズン終盤の10月とはいえ、やっとコロナが落ち着いて観光客が戻り始めた矢先のことだっただけに、これにはビーチで営業している各業者はガックリ肩を落とし、10月の終了を待つことなく、各業者とも今期の営業を終えた。

 その後も流れ着く軽石の勢いはとどまる気配を見せず、溜まるに任せて放置プレイとなった海岸は、まるでセメントを流したような様相になってしまった。

続々と漂着する軽石の集積で、海岸は黒灰色に染まってしまった。連絡船が欠航せざるを得ないという事態にまで追い込まれ、ようやく本部町長は重い腰を上げ現地視察に訪れはしたものの(滞在は15分だけ)、その後何をどうするという動きはまったくない。このまま放置していると、またいつなんどき風のイタズラで凪ぎの日に連絡船が欠航なんてことになるかもしれない。そこで、師走も下旬になってから、足掛け2日にわたり島民総出(といっても総勢9名…)桟橋脇の軽石の除去作業を決行。1㎥ほど砂を入れることができる土嚢30袋分を除去したものの、全体的には焼け石に水、次の時化で元の木阿弥になりそうな気配が漂っているのだった。

 事態は景観悪化だけに留まらない。

 軽石はただ表層に浮かんでいるだけではなく、波や潮流の加減で水中を漂いもする。

 ひと粒やふた粒ならどうとでもなるところながら、海面を埋め尽くすほどではなくとも、軽石が溜まっているところで船のエンジンを動かすと、冷却水用の吸水口からどんどん軽石が入り込み、やがて機関トラブルに至る。

 旅客船規模になると構造がより複雑だけに、軽石による機関トラブルは相当なダメージになるから、それを避けるため、県内各離島便は欠航が相次いだ。

 ただでさえ季節風が吹いて欠航率が高くなってくる11月以降、時化による欠航に加え、軽石漂着による欠航の二重苦状態になった水納島では、朝島から出たはいいけど、軽石が港湾に溜まってきたために午後は欠航で島に戻れないなんてことも。

 季節風による時化と軽石のダブルパンチで長期の欠航が予想されるときなどは、海運会社から本気で

 「買い物するなら今日がチャンス!2週間分の食料確保を!」

 とアドバイスされたほどだ。

 こうなるとお年寄りが薬をもらいに病院に行くこともままならず、新聞は来ない、郵便物は滞る、各種ゴミは出せない…と、先々の目途が立たないだけに、目の前に本島があるにもかかわらず、水納島は絶海の孤島状態になってしまった。

 12月半ばになってようやく、漂着する軽石も洋上を漂う軽石も目に見えて減り、軽石による連絡船の欠航は激減した。

 もっとも、いまだ大量の軽石が洋上を漂っているやもしれず、海底火山がまたいつどこで噴火してもおかしくはない。

 軽石第2波なんてものがあれば、港湾をとりしきる行政が今回の軽石禍の教訓を活かし、軽石が漂着し始める前から様々な対策をするといった措置がとれるだろうか。

 喉元を過ぎてから熱さに気づき、その熱さを忘れるのも早い県民性だから、コロナ禍への対応同様、そのあたりはどうにも怪しいのだった。