●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

228回.「我が庭」なる海

月刊アクアネット2022年5月号

 水納島は周囲4kmほどの小さい島。

 そこに四半世紀以上も暮らしていると、あの道もこの道も、あそこの海岸もこちらの砂浜も、島全体が自分の庭のようなものになる。

 それはダイビングでも同じことが言える。小さな島だからダイビングポイントはせいぜい10か所ほどだから、これまでの27年間、同じポイントを何度も何度も繰り返し潜り続けてきた結果、水納島の海(の一部)もまた、私の中では自分の庭のような位置づけになってしまっている。

 島の北東側の海底には一望白い砂地が広がり、そこに3畳から8畳くらいの大きさの岩=根が点在している。その根に小魚をはじめとする様々な生き物がまるで砂漠のオアシスのように群れ集っており、それをただボーッと眺めているだけで癒される…というダイバーも多い。

 かつてのダイバーの多くは海にアドベンチャーを求めていたのに対し、こんにちでは老いも若きもヒーリングを求める方が増えているのだ。

 癒しの場でただ眺めるだけではなく、もう少し時間をかけてつぶさに観てみると、それぞれの根には個性があり、似てはいても一つとして同じではないことに気づくことだろう。

 砂底に点在する根は、地形的に平坦な場所の隆起物になるため、上昇流ができる。するとエサとなるプランクトンが集まりやすくなるので、動物プランクトン食の小魚たちが多数集まるようになる。根を形作っている造礁サンゴ由来の岩は空隙が多く、隙間だらけなので隠れ家は豊富だから昼なお暗い場所に事欠かず、そこには様々なエビやカニたちも暮らしている。そういった隠れ家を根城にしているハタ類がその場所の安寧秩序公序良俗を守るボスとなり、小魚たちが身を挺してみかじめ料を払う一方、ボスは外から忍び寄るオコゼやウツボなど肉食系闖入者を追い払う役目を果たす。ボスも小魚たちもクリーナーと呼ばれるエビたちに体のケアをしてもらい、エビはエビで、その場にいながら食事が摂れている。根は砂底のオアシスであると同時に、そこで一つの社会が形成されているのだ。

 さらにじっくり観察すれば、いったん根に着くとそこから動けない付着生物、すなわちサンゴや海藻、ホヤなどの種類や様子が根ごとに微妙に違っているし、集まる魚たちにも場所ごとに差異があることがわかる。

 何度も潜りに来ていただいているゲストにとってもそれぞれの根やそこに暮らす生き物はお馴染みになってくるから、この魚はずいぶん成長しました、とか、今年もここのウニシャコは健在です、とか、以前までここにいたイソギンチャクは少し場所を移動しました、なんて話が通じるようにもなっている。

 とはいえ諸行無常なのは海の中も同じで、長年観察していたソフトコーラルの仲間が、どう見ても「採集」としか見えない理由によって忽然と姿を消したり、釣り船などが適当にアンカーを打つために、根やそこで大きく育っていたサンゴが崩壊してしまうというようなことがたびたび起こる。

 そういう状況を目にするたびに、「まったく、ヒトの庭でなんてことをするのだ!」と文句をつけるなんてのはいささか傲慢すぎるというものだろう。

 それは百も承知ながら、なにせ水納島の海が自分の庭感覚なものだから、家の庭木を勝手に根こそぎ持っていかれたような気分になって、その都度憤慨してしまう。

 海に対する思い入れや価値観は人それぞれとはいえ、基本的なところで「海を大切にする」という姿勢は、万民共通の意識であってほしいと思う今日この頃。

 けれど建前はともかく沖縄県の土木行政が海の中のことまで考えているはずはなく、直接的には水納島の港湾区域における数々の公共工事の影響で慢性的に水が濁ったり、港湾区域から流れ出した砂が根をあらかた埋めてしまったり、遠因としては本島域の狂乱的爆裂土木工事のために透明度は悪化し、美しく白い砂底がだんだん砂泥底に変貌してきたりと、「我が庭」の様子は年々悪化の一途をたどっている。

 1998年の大規模白化で壊滅してしまったサンゴの復活ぶりは顕著ではあるのだけれど、実は水質悪化に耐性がある丈夫な種類だけが元気に成長していて、その陰で減少してしまっているものも決して少なくないのが実情だ。

 今の世の流れでは海が前世紀くらいにまで元どおりになることなどまず望めそうにないとなれば、今楽しめることを今のうちに目一杯楽しみながら、「まだかろうじて美しい世界」のほんの一端でも多くのみなさんにご覧いただけるよう、微力を尽くすほかない。