●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

242回.無猫離島

月刊アクアネット2023年7月号

 空前の猫ブームである。

 昭和の時代にもいわゆる「なめ猫」ブームがあったけれど、昨今の猫ラブ社会はそれとはいささか趣きを異にしていて…というか、今の世で猫に学ランなど着させて撮影でもしようものなら、たちどころに動物虐待で訴えられるかもしれない。

 飼い猫であれ野良であれ、昔から常に人々の傍に居続けた猫にとっても、江戸の昔のお犬様に匹敵するもてはやされように違いなく、そのうち誰かが「猫好きでないものは人に非ず」くらい言い出しそうな気配すらある。

 この空前の猫ラブ社会で人々が猫に向けている「愛」の百分の一でも隣人に向けることができれば、とても素敵な世の中になることだろう。

 私が越してきた前世紀末の水納島には、飼い猫が2匹いた。

 歴史的に観て島内に野良猫がいたことはなく、2匹が島内の猫最多記録でもある。当時すでに老猫でしかもそれぞれの飼い主の家が旧我が家から離れていたこともあり、家の周辺で猫を見かけたことは一度だけ。おかげで庭でアヒルやチャボを放し飼いにしていてもまったく問題はなかった。

 今世紀初頭には2匹ともお星さまになり、以後水納島には新たな猫はやってきていない。つまり現在の水納島は、押しも押されもしない無猫離島なのだ。

観光地ゆえに表通りは随分にぎやかになっているけれど、幹線道路からひと筋裏道に入るだけで交通量は激減する本部町内。『秘密基地』周辺を散歩していると、路上でくつろぐ野良猫たちの姿を数多く見かける。無猫離島で暮らす私には新鮮な散歩の風景だし、ひょっとすると都会暮らしの方々が忘れかけている古き良き光景なのかもしれない。それはそれでとても素敵ではあるけれど、野良猫が増えているということはすなわち、愛するだけで義務も責任も果たさない飼い主がいかに多いか、ということの表れでもあるのだろう。

 かくいう私は、子供の頃を含め猫を飼った履歴がないものの、生来の動物好きだからそこに猫がいれば可愛がる。

 ところが身近に猫がいなくなってからもう20年近く経っていることもあって、この空前の猫ブームにもかかわらず、私には「猫」というものに対する心構えがまったくない、ということを最近思い知らされた。

 本島滞在時に利用している我々の「秘密基地」でのこと。買い物をして帰ってきたあと、まず室内に気持ち良い風を入れようと、家中の窓やドアを開け放した。その際スーパーで買ってきたばかりのモズク入りかまぼこを、ひとまずキッチンのテーブルの上に置いた。

 その後裏庭で畑作業をしてから戻ってみると、かまぼこが忽然と消えているではないか。

 最近の物忘れの度合いからして、冷蔵庫に入れたのを忘れたか、うっかり間違ってゴミ箱に入れてしまったか、と自分を疑いながらあちこち探してみたものの影も形もない。そもそも買ったつもりで買っていなかったのだろうか…。

 ところが数分後、同じく風を通していた物置に行ったダンナから声がかかって、衝撃の事実が判明した。ダンナが指さすところには、引きちぎられたビニール袋の中に、中身が半分以上無くなったモズク入りかまぼこが。

 ダンナによると、そこから脱兎のごとく猫が逃げていく姿が見えたそうだ。どうやら匂いにつられ勝手口から文字どおり勝手に入ってきた猫がムフフ…とばかりにかまぼこをゲットし、独り占めしようと物置の片隅でムシャムシャ食べていたようだ。

 子供の頃から「サザエさん」のオープニングはお馴染みだったけれど、まさか実際に「お魚くわえたどら猫」を追いかけるサザエさんの気持ちを味わうとは…。

 かまぼこを盗まれるくらいならともかく、野良化した捨て猫が野生の希少生物の生存を脅かしているということもあって、近年では野良猫増加抑制のため、猫の去勢手術に補助を出す自治体が増えているという。

 でも考えてみれば、そもそも安易に猫を飼い始めて安易に野山に捨てるヒトこそ諸悪の根源なわけで、むしろそういう人々の猫飼い意欲を去勢(?)したほうが、よほど話が早いような気もするのだった。