●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2023年10月号
事実上のアフターコロナとなった今年は、水納島まで海水浴に訪れる日帰り客の数が、コロナ禍前の8割ほどまで回復している。
コロナ禍中に初めて夏の水納島を訪れ、ヒトの少なさに離島ならではの解放感を満喫した方々にとって「回復」がいいことなのか悪いことなのかは微妙ながら、ともかくも夏前からビーチは連日大賑わいになっている。
ところで水納島にかぎらず沖縄県内の海水浴場には、「遊泳区域」を示すブイとロープが設置されており、安全監視スタッフが必ず配置されている。
南国に自然の海を求めて訪れる方々にとっては至極興ざめな景観になってしまうこの遊泳区域も、私が学生時代を沖縄で過ごしていた80年代にはせいぜいリゾートホテルのビーチで目にする程度で、多くの海水浴場では自然の眺めが広がっていたものだった。
ところがその後沖縄旅行ブームもあって各地の海水浴場の入域客数はうなぎ上りになってしまい、海水浴場における事故例も増加の一途をたどり始める。
それを受けて沖縄県は「水上安全条例」なるものを制定、これによって、海水浴場を営むにあたっては遊泳区域を明確に設け、「安全」を監視するスタッフを配置することが義務付けられる運びとなった。
水納ビーチは一見おだやかそうな海に見えるけれど、場合によってはとてつもなく強い流れが発生する。そのためまだ遊泳区域の設置が義務付けられていなかった当時は、海水浴客が流されて溺死する事故例も年一くらいで発生していたという。
ところが遊泳区域を設け安全監視スタッフを配置するようになってからは、流されたことによる海水浴客の死亡事故というケースはまず聞かなくなった。
埼玉に帰省するおりには、子供の頃に遊んだ川や池を久しぶりに訪ねてみることもある。すると、危険につき水泳禁止とか立ち入り禁止といった看板ばかりがやけに目につく。今どきの子供たちは、いったいどこで遊んでいるのだろう…。一方旅行で訪れた土佐の国では、仕事柄普段から水と親しんでいる私が見てもけっこう危険が潜んでいそうな大きくて流量のある川に、写真の看板が立てかけられていた。「禁止!」ではなく「注意!」。手っ取り早く「禁止!」で終わらせる自治体が多いなか、このように具体的に注意事項を踏まえたうえできちんと遊びましょうという自治体もあるのだなあ、とつくづく感心したのだった。
このように安全という意味では成果が出ている遊泳区域設置&安全監視スタッフの配置。
しかしその一方で、本来誰のものでもない海で好きに泳げないという、なにかしら自由を奪われたかのような気分にもなる。
それもこれも、己の能力を顧みることなく、やりたいようにやって事故を起こしてしまうヒトたちが増加したためともいえる。
けれど多くの人々はそのジジツを自覚していないため、遊泳区域から故意に外側に出て泳いでいるヒトのなかには、安全監視スタッフに注意されると「好きなように泳いで何が悪いのだ!」と逆切れする方も時々いるらしい。
そういう方が言う「自由」はたしかに誰もが持って生まれた権利ではあるのだろうけれど、多くの場合、自然下で遊ぶ「自由」には「実力」という担保が必要であるということを理解していない。
近頃富に増えている海や山における事故も、そんな方々が近年異常増殖しているからなのかもしれない。
スマホで得た知識と経験に基づく体得との区別がつかず、実力を伴わない遊びをしてしまうミスマッチ冒険野郎があちこちで事故を起こしつづければ、行政としても黙っているわけにはいかず、「自然海岸での遊泳は危険なのでやめましょう」なんてことが言われ始める。
この「危険なので立ち入り禁止」にはもちろん事故防止上の効果はあるだろう
とはいえ同時に自由な遊び場も減らしているわけで、全国的に海、山、川で「事故が起こる=危険=立ち入り禁止」という安易な処置が採られ続ければ、子供の頃に経験しておくべきことをまったく未体験のままオトナになるヒトが増えていく。
そしてミスマッチ冒険野郎がさらに増え続けるとなれば、日本全国津々浦々、隅から隅まで「立ち入り禁止」になる日も近い。