●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

247回.「不思議」との遭遇

月刊アクアネット2023年12月号

 冬の訪れとともに気温が下がり、太陽がようやく人に優しくなってきた今の季節は、天気と時間が許すかぎり、毎日小一時間ほど島内を歩き回っている。

 小さな水納島のこと、毎日コースを変えてはみても、数日経てばまた同じ道を歩くことになるのだけれど、たった数日でも小さな変化や新たな発見がある。散歩中にいろんな動植物に出会うのもまた、私にとっては最高のレクリエーションだ。

 根っからの生き物好きの私ではあっても、越してきたばかりの頃は知らないことのほうが圧倒的に多く、散歩をして不思議なものを見るたびに、頭の上に「?」マークを5個くらい並べてばかりいた。

 以前この稿で紹介したことがあるオカガニの巣穴も、島に越してきたばかりの頃は、ハブの穴?と戦慄したものだった。

 年月を経るにつれ、そのような数々の「?」マークは自力で謎を解明できたり、島の人に教えてもらったりして、ひとつひとつクリアされていく。

写真は、オカガニの巣穴に次いでお客さんに質問されることが多い生物の痕跡。まったくご存知ない方にとってはまるで自転車のタイヤの跡のように見えるけれど、ご存知の方にとっては海辺でお馴染みのものだから、ヤドカリたちの足跡であることがすぐにわかる。もっとも、自然海岸でこそフツーに観られはしても、その自然海岸が次々に消失していく今の世では、この足跡もだんだん「当たり前」ではなくなっていくのかもしれない。30年前と比べれば随分様変わりしてしまったとはいえ、家の敷地内ですらヤドカリの足跡が観られる水納島。これから訪れる人々にはまだ、不思議的未知との遭遇がいくらでも待っているに違いない。

 さすがに30年近く島で暮らせば様々なモノゴトが「当たり前のもの」側にシフトチェンジしてくるから、心がときめいたりあるいはざわめいたりする「不思議」との出会いは随分少なくなった。

 30年ほど暮らしただけでそうなのだから、ましてや水納島で生まれ育った島の還暦オーバーのみなさんにとっては、生まれた時からほぼほぼすべてが当たり前。島の自然で心ときめく「不思議」に出会う機会は逆に少ないのかもしれない。

 子育てが一段落し、そろそろ老後の楽しみを考える年代になったからだろうか、近年は同窓会的な集まりへのお誘いが増えてきている。

 また、これまでまったく無沙汰だったにもかかわらず、旧交を温めようと来沖ついでに水納島まで遊びにくる学生時代の友人が増えてもいる。

 先日は生物学科の同級生3人遊びに来てくれたのだけど、そのうち2人は実に33年ぶりの再会で、学生時代を含め水納島上陸は初めてのこと。

 10月後半で観光客が少なく、桟橋周辺も静かなものだから、連絡船から降りた途端に島中いっぱいに響き渡るセミの鳴き声に迎えられ、我が家までの徒歩数分の間だけでかなりテンションを上げていた。

 久しぶりの再会でいささか興奮しつつも、せっかくの初水納島なので、人心地つけてからプチ島内散策を楽しむことにした。

 するとセミが大合唱している木々の下で相当食いつくのはもちろん、他にも「あれは何?」「これは何?」と次々に繰り出される質問波状攻撃の対象は、さすが同じ生物学科出身、目のつけどころが私とそっくり…。

 半日だけの滞在だったけれど相当水納島を気に入ってくれたらしく、次回の来島実現を力強く宣言する彼女たち。自然しかないけどね、と念のため伝えると、すぐさま「それがいいんんだよぉ」とのこと。目のつけどころだけではなく、価値観も同じだった。

 世の中の人たちはみんながみんな同じ感覚を持っているわけではないのだから、なかにはアミューズメント施設がひとつもない島なんてつまんない、という感想を抱く人もいることだろう。

 でも都会に行けばいくらでもあるものを小さな島に持ってくるよりも、都会には無いけれど小さな島にはあるもの=つつましくもささやかな自然を大事にすることのほうが、よりいっそうこの島の財産を守ることに繋がるはず。

 あらためて強くしたその思いは、33年ぶりに再会した生き物好きの同級生たちの素敵な置き土産でもあるのだった。