●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2025年5月号
水納島はたかだか周囲4km、島の玄関口の港まで各家から歩いて5分ほどの小さな島だ。
それでも週に1度か2度の買い出しの荷物や、島外でしか手に入れられない各種燃料その他、重い荷物を運ぶにはどうしても自動車は必要になる。
だから齢九十を超えているおばあを除く島民はみんな、水納島で暮らすには必須の資格である普通免許を持っている。
そもそもの昔から沖縄県は車社会で、一人1台一家に4台というのもそれほど珍しくなく、高校を卒業するころにはすでに普通免許を取得している子のほうが多かった。
ところが10年ほど前から、若者の中には普通免許を持たない人が出始めているという話を耳にし始めた。
免許は無くても現場仕事をする若い職人のために、先輩職人が車で迎えに行くことも通例になっている、という話を聞いた時には耳を疑ったものだ。
ひと昔前だったら、普通免許を取らないと仕事にあぶれる、デートの時にかっこがつかないなどの理由から、お金と時間があれば何をさておいても自動車学校へGO!だったのに…。
その背景には、免許取得にかかる費用、すなわち教習所のお値段が、我々の学生時代とは比べ物にならないくらい高額になっているという事情もあるらしい(80年代半ばと比べ、現在は倍近いという)。
一方東京や大阪といった都会で暮らす60代70代の方々から、車を手放したという話を聞くようになってもいる。
大都会では車が無くとも生活に支障は無いし、たまに必要になったらレンタカーを利用すればいいとなれば、沖縄の田舎の家賃よりも高額な駐車場契約費をはじめとする各種維持費を払い続けるのが馬鹿らしくなった、ということのようだ。
信号も横断歩道も無ければ、時速20㎞以上出すこともない小さな島の道ではあっても、町道や農道では道路交通法が適用されるので、写真のように畦道にしか見えない未舗装路ですら車を走らせるには普通自動車免許が必要になる。ただし免許取得費用の高騰のため、生活に必須といえども、誰もが若いうちに気安く取得できるものではなくなっている。ガソリン価格の高騰については騒ぐ世間も、免許取得費用の高騰についてはさほどの関心が持たれないとなれば、困窮する若者にとって車社会の田舎はますます暮らしにくくなることだろう。誰もがフツーに取得するものになっていた普通自動車免許も、今では持つか持たざるべきか、老若がそれぞれの岐路に立たされる資格になっているのだった。
先日、埼玉の実家に帰省した。水納島と比べれば遥かに「街」ではあるけれど、周辺には「鳥獣保護区域」の赤い看板があるほどの田舎である。
そんなプチ田舎で暮らすにあたり最も欠かせないのは、日々の食材や日用品が買えるスーパーかな…と弟嫁が言っていたのが印象的だった。
なるほどたしかに比較的大きなスーパーが何軒もできて、昔に比べればお買い物はとっても便利になっている。
ただしそれぞれの店は実家から徒歩30分くらいの距離にあり、家族分の買い物となればどうしても車は必要だ。つまりプチ田舎であっても、生活するには自動車が必要であり、普通免許の取得は必須といえる。
今年はじめに免許の更新をした際、更新センターではご挨拶程度の視力検査の段階で引っかかっている高齢者が3人ほどいた。
視力検査の係官も、免許が無いと生活に困ってしまう地域の事情を知っているからなのだろう、1度ではダメ出しせず、「少し休憩してから再検査しましょうねぇ」と伝えていた。
休憩しなければ見えないような視力でいいのか?という素朴な疑問はさておき、その後彼らはどうなったかな?と、傍で見ているこちらがちょっと心配になる高齢ドライバーが増加中…という問題も抱えている沖縄の田舎である。
最近の高齢者の交通事故の増加に伴い、全国的に高齢ドライバーの免許証の返納が奨励されているけれど、車が無いと暮らしそのものが成り立たなくなる田舎の現実が、そこに大きく立ちはだかっている。
廃止・減便されていく一方の路線バスをライフラインにできるはずもなし、荷物運搬ドローンがモノを運んでくれようとも、ドローンが銀行からお金をおろしてきてくれるわけでもなし。
高齢ドライバーの免許証返納は、ライフラインの担保なしに進むはずもないのであった。