本編・27

最後の晩餐、最後の燦燦

 思い残すことがないように過ごしたいと願った一日は、思い残すどころかこのうえない思い出の日となった。
 旅行前からすでにオーロラからアラスカそのものへ大きく傾斜していた我々の旅行目的は、予想と期待を遥かに超えて達せられていた。

 さっき焚き火で食べた軽食風ソーセージからさらにグレードアップして、今宵の夕食は本格ソーセージだ。
 ソーセージをこよなく愛しているというコービィさんは、
 「これは美味い!!」
 と言いつつ珍しくおかわりをした。
 僕らにとっては、このロッジでの最後の晩餐である。
 アラスカンアンバーとソーセージがまた絶妙なタッグチームを組み、僕たちにシアワセのツープラトン攻撃をかけてきた。
 まいった、まいった……
 うれしい悲鳴をあげつつ、今宵もたらふく食った。

 そしていよいよオーロラも今日で最後だ。すでにすっかり当たり前になっていた夜空の燦燦が、もうこれでおしまいなのだ。
 考えないようにしていたけれど、だんだん切ない気持ちになってくる。

 昨夜慎重に一枚ずつ撮った結果、今日残されたフィルムは1本にも満たず、あと14枚しかない。
 すっかり充実した日中だったので、オーロラに血道をあげなくても……と思いはする。
 しかしいざオーロラを見てしまうと撮りたくなるのもまた確かだった。はたして、14枚のフィルムで一晩過ごせるのか?

 予想通りフィルムは日付を跨ぐことなく早々に終了した。
 ところが、フィルムが無くなったことにより、オーロラについてまた新たな発見をした。
 うちの奥さんにとっては周知の事実だったのだが……。

 それは、カメラなど持たずに眺めるオーロラの姿である。
 これまでは、オーロラが夜空に美しく出るたびに、ついついカメラをセットしてはシャッターを押していた。もちろん、一度セットすればファインダーなどのぞかないし、肉眼でイヤと言うほど見ていたはずだった。
 ところが、「撮影する」という行為が頭の中から完全に消えると、これまで見えていなかったものまでが見えてきたのだ。

 オーロラって美しい…………。

 アタマが冷静だからだろうか、心が落ち着いているからだろうか。ブレイクアップの激しいヤツを除き、これまで観ていたオーロラよりも、この夜見るオーロラたちは、どれもこれも繊細な光が折り重なるようにして立体的な形を作り、幾重にもカーテンをはためかせている。
 今までもこう見えていたの?
 何度も何度もそう尋ねる僕に、うちの奥さんはなぜか偉そうに、力強くうなずいた。

 せっかく行くのだから写真で撮りたいという人も、
 写真を撮ることこそ目的だという人も、
 一晩でいい、いや、一度でいい、見事なオーロラが出ていようとも写真撮影などすっかり忘れ、夜空を仰ぎ見ることをオススメする。どんなに上手な人が撮った写真よりも素敵なオーロラがそこにあるのだから……。

 この夜、雪の上に敷いたシェラフマットに二人で寝転がり、星々とオーロラを仰ぎ観ながらいろいろ考えた。
 旅行のこと、アラスカのこと、オーロラのこと、そして沖縄のこと……。 

 今回のアラスカ旅行を企画して以降、少しでもアラスカの雰囲気を知るために僕らが参考にしたのは、故・星野道夫の著作物だった。
 自然を愛する日本人にとっては、彼がアラスカであり、アラスカこそが彼であるというほどの、アラスカをフィールドにしていた極北写真家だから。
 そんな彼の絶筆原稿が、実は沖縄のことについて書かれたものであったことは意外に知られていない。
 惨禍にあったカムチャッカの地で、知人に託した最後の原稿だというそれは、彼の友人のウミンチュが出すことになった民謡CDへ向けた寄稿文で、自身、何度か訪れたという竹富島や沖縄の自然について述べたものだ。

 その中で、彼はこういっている。

 人間には二つの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、そしてもうひとつはなかなか行くことができない遠い自然である。が、遠い自然は、心の中で想うだけでもいい。そこにあるというだけで、何かを想像し、気持ちが豊かになってくる。アラスカで暮らす自分にとって、沖縄はそんな世界である。

 この文のアラスカと沖縄の文字を入れ替えたもの……。どうやらそれが、僕たち夫婦にとってのアラスカであるといえそうだ。 

 そんなえらそうなことを言うには、僕たちの滞在はあまりにも短く、儚い。いつの日か再び訪れることがあれば、その時もう一度考えることにしたい。
 とりあえずはジニーおばあのムースの干し肉を食べ終えるとしようか。
 そして、5晩に渡って我々に付き合ってくれたカナディアン・ハンターも、最後の一滴がコップに落ち、その使命を終えた。

 夜空にはなお、オーロラがゆらめいている。
 最後に一瞬、音を聞いたような気がした。