本編・1

アラスカへ…

 昨年の冬、我々は北海道に行った。
 うちの奥さんのうれしはずかし人生初スキーが目的ではあったが、我々はすっかり雪の世界に目を奪われてしまった。
 白い。
 街のあらゆるものが純白のベールに覆われていた。それは物体だけにはとどまらず、街であればあたりに錯綜しているはずの、ありとあらゆる音まで閉じ込めてしまったかのように…。
 静かだった。
 雪の世界は、かくも静寂に包まれていたのか。

 その一方、そんな「閉ざされた」世界の中で、たくましくも楽しく生きている人々がいた。我々スキー客は数日滞在するだけだけれど、そこに住む人たちは、そここそが生活の場なのだ。
 次回訪れることがあれば、是非雪の世界での生活も味わってみたい…。スキーは二の次にして、たとえば雪かきであるとか……って雪かきしか思い浮かばない。とにかく暮らしの雰囲気を味わってみたい。

 そう思ってはいたのだが。
 まさか翌年、寒さ的にさらにグレードアップする世界へ行くことになろうとは、神ならぬ僕たちの知る由もないことであった……自分のことなんだけど。

 目的はただ一つ。オーロラである。
 オーロラ……。
 その言葉の響きを耳にしただけで、マナザシは水平線の彼方を向き、思いは遥かなる極北の大地へと駆けていく………ほど、思い入れを持ち続けていたわけではない。ただ、観てみたいと思った瞬間、今のうちに見ておかねばという、なんだかよくわからない熱い思いがフツフツとたぎってきたのである。

 善は急げ、という言葉がある。
 思い立ったが吉日、ということわざがある。
 それが本当に善なのか、その日が本当に吉日なのかは知らないけれど、昔の人もどうやら突然熱い思いに駆られることがあったようだ。

 こうしてアラスカへ行くことになった。
 アラスカである。
 アラスカと聞いて思い浮かぶのはいったいなんだろう?
 まず真っ先に思い浮かぶのはそこにエスキモーが居るってことだったが、その真っ先以外、ほとんどなんの知識もないことに気がついた。そんなはずアラスカ……なんてオヤジギャグは、この際いっさい役に立たない。
 アラスカに関する著書といえば、今はなき写真家星野道夫である。写真集は1冊だけ持っていたけど、彼には写真家としての仕事のほかに、エッセイストとしての著作物もたくさんある。
 まずはそれらでも……。

 そうして予備知識を得ようと思い立ったせいで、本末転倒な事態になってしまった。
 オーロラの見やすさという利点でアラスカを選んだはずなのに、いつしかアラスカそのものを楽しみにしている自分たちに気がついたのだ。そこで暮らす人々を知りたい、会ってみたい……。
 たしかにオーロラも観たい。けれど、旅への思いは急速にアラスカが主人公になっていった。

 アラスカ。
 極北の大地、悠久の楽園、そして、ラストフロンティア…。
 いったいそこに何が待ちかまえているのか、まったく想像もできないけれど、それがなんであれ、我々にとっての旅の醍醐味である「非日常」であることはまず間違いない。

 そんな期待が大きく膨らんでいく一方で、大きな問題も持ち上がっていた。

 アラスカは遠い……。

 いや、そりゃもちろん最初からわかってはいたんですがね。多くの方がご存知のとおり、僕は大の飛行機嫌いなのである。
 空を飛ぶ仕組みも、事故率が車の事故に比べれば圧倒的に低いってことも、あれやこれやもわかっちゃいるんだけど、とにかくあの座席に座っているのが嫌なの。
 那覇〜東京でさえ憂鬱になるくらいなのに、それが今回は経由地のシアトルまで9時間弱。そしてシアトルからアンカレッジ経由フェアバンクスまでが4時間ちょい。そして最後にフェアバンクスからベテルスまで1時間。
 那覇からベテルスまで、飛行機に乗っている時間だけでなんと合計18時間ほど!!
 アラスカもオーロラもすべて僕が決めたことではありながら、今さらながらとんでもないことを決めてしまったという後悔の念が……。9時間も機内に閉じ込められていることを想像すると、夜突然目覚めて立ち上がり、ゼェゼェと荒い息を吐いてしまいそうだ。

 旅行出発が近づくにつれて、だんだんプレッシャーに苛まれるようになってしまった。師走から長い間胃腸の具合がすぐれなかったのは、どうやらこのプレッシャーのせいであったようだ。だって、片道をクリアした旅先からこっち、まったく絶好調なんだもの…。

ノースウェスト航空

 プレッシャーに押しつぶされそうになる日々を過ごし、そしていよいよ出発の日がやってきた。
 例によってうちの奥さんの実家への帰省もかねていたので、埼玉に2泊してから成田である。
 これまた例によって、今回も出発前に飲み会続きだった。那覇出発前に本島在住の琉大ダイビングクラブのOBによる新年会が先輩宅であり、翌日は埼玉の実家でおなじみ「鳥吉」の焼き鳥に舌鼓を打ち、出発前日は実家でまた飲んでいた。
 プレッシャーによる胃腸の不調を、なんとか酔いに紛らわせて雲散させてしまおうという、涙ながらの努力であったのだが、もちろん、うちの奥さんはただただ酒に酔っていただけだ。

 ただ不思議なことに、飛行機のプレッシャーはけっこうあるものの、これからアラスカへ行くのだ、という高揚感というか、実感というか、旅行に行くんだという現実感がなかなか湧き上がってこない。たしかに荷物は多いものの、気分としてはちょっとそこまでって感じから抜け切らないのである。なんでだろう。
 京成急行のスカイライナーは、そんな思いもあったせいかあっさりと成田へ到着した。

 その前に、旅行準備編の稿でチラッと触れているとおり、今回利用した旅行社トランスワールドがいかにクロワッサンであるかというエピソードがあった。
 旅行の最終案内というものには、乗るべき飛行機のフライトが書かれているのはもちろんで、普通そこには成田のどちらのターミナルか、そしてそのターミナルのどのカウンターでチェックインするのか、ということどもが親切丁寧に書いてあるものだとばかり思っていた。
 ところが、さすがにクロワッサン的旅行社である。
 フライト時刻は書かれてあるけれど、ただ成田空港としか書かれていない。それが石垣空港なら迷うことはない。でも成田空港ですぜ。
 成田空港に第1、第2の二つのターミナルがあることを、スカイライナーの切符を買う瞬間に思い出した。スカイライナーの発券窓口で、思わず駅員に訊いてしまったではないか。
 「あのぉ、ノースウェストってどっちのターミナルでしたっけ??」
 まぁ、料金の差はないから問題はないんだけど、どっちに降りたらいいのかわからないままでは困るもんね。しかしだからといって駅員さんに訊いて答えが得られるのか。
 「ノースウェスト?第1です。終点になります」
 さすが、京成の駅員。

 スカイライナーに乗ると、そのシートカバーにわざわざ航空会社ごとのターミナルの区分けが書いてあった。駅員に確認するまでもなく席に着けば降りる駅の見当はついたのだ。
 けれどそんなことは、数年に一度行くか行かないかという海外旅行ビギナーの我々が知る由もない。第1ターミナルと一言書き加えるのがそんなに手間か?トランスワールド…。

 成田へ着いた。
 事ここに至っても、まだ現実感が湧かない。アラスカへ行くぞっ!!っていう実感がない。
 そんな我々を知ってか知らずか、神様のちょっとした演出があった。
 ターミナル入り口の手前だった。前方から歩いてくる女性にどうも見覚えがあったのだ。
 ちなみに、当サイトの魚などをはじめとする生き物のコーナーでたびたび触れているとおり、海の中で生き物を発見するには、まず何でも「これは生き物なのでは?」「もしかして魚か?」と、生き物であるってことを前提として見つめなければならない。そうでないと、「どうせゴミだろう」「岩だろう」とタカをくくってしまい、ついつい見逃してしまうからである。
 そのクセが陸上でもついてしまったのか、僕はそこかしこで目にした人を見て突然
 「あっ」
 と声を上げてしまうことがある。一瞬、顔見知りの人ではないかと思うとつい口に出てしまうのだ。
 海の中でも、可能性を求めて見はしても、それは結局ゴミであったり岩であったりするように、陸上でも高確率でまったく他人である。だからいつもうちの奥さんに
 「また…」
 とあきれられている。

 このときもそうだった。5mの距離に近づいたその女性を見て、思わず口をついてしまった。
 「あっ?」
 この距離では、突然そんな声を出すおっさんなんて極めてアヤシイ。またやってしまった、またうちの奥さんに怒られて笑われる……。
 即座に後悔したとき、思わぬことが起こった。その女性の口からも、
 「アッ??」
 という声が出たのだ。
 あれ??
 アッ、アッ!!
 なんとその女性は、シーズン中水納ビーチで、姉御フミエさんの子分として一生懸命働いていたモリちゃんだったのである!!しかもつい最近島に遊びに来ていたばかりの。
 うっすらと上品に化粧していたので気づくのが遅くなってしまった。格好といい、薄化粧といい、島での姿からは想像もできない美しい装い。一体全体なんでこんなところに??
 という質問はお互い様なのであった。
 「よく気づいたねぇ」とうちの奥さんは言った。

 なかなかアラスカへ行くぞっていう実感がわかないなぁと思っているときに、水納島でおなじみの人と会うなんて…。いまだに普段の生活の半径10m以内から出ていないのではないか?

 大きな荷物を早急に手放したかったので、早速チェックインカウンターへ。
 テロ以後のセキュリティチェックはなみなみならぬものがあると聞いている。そういえば那覇空港では、冬靴のかかとのスパイクがひっかかったものなぁ…。はたして三脚などが入った荷物はいかに…。
 案じていたら、思いのほかあっさりとクリアした。ただ、アメリカの意向により、機内預け荷物の鍵はかけないでくれとのことであった。ランダムで荷物をピックアップしてその中身をチェックするそうなのだが、その際鍵がかかっていたらぶち壊してでも調べるのだそうである。中身はほとんど衣類で大したものは入っていないけど、スーツケースを壊されてはあとあと不便である。仰せに従うことにした。
 このスーツケース、当サイト掲載の旅行記第1号でもあるハワイ旅行に際して購入したもの。その後日の目を見ることはなく、置き場に困る荷物として我が家の片隅で肩身の狭い思いをしていたところ、4年と少しの歳月を経て、今回再び活躍の場を与えられた。
 ケース自体は、不遇だったにもかかわらず以前と変わらぬ状態でいてくれた。しかし持ち主のほうがすっかり変わり果ててしまっていた。
 鍵の3ケタの暗証番号は何番だったっけ……?
 合鍵はどこにやったっけ……?
 幸い、あまりに単純な番号だったので、記憶は微塵もなかったのに正解の番号にはあっという間にたどり着いた。<いいのかそれで?
 しかし鍵が一個だけってのはやや気がかりである。無くしてしまったら……。
 そんな我々にとって、鍵をかけてはいけないというアメリカのセキュリティチェックの意向は、かえってありがたい申し出でさえあった。

 空港には早めに到着していたので、さっそくビールを飲むことにした。というか、ビールを飲むために早めに到着していたのだ。
 京成友膳という飯屋で生ビールを。飛行機の恐怖をやわらげるためには、適度なアルコールはトランキライザーとして重要な役割を果たす。
 この生がけっこう美味かった。琥珀の時間(こはくのとき)という、やや濃い目の地ビールだ。うまいうまいとついついおかわりしてしまいそうになった。でも、機内で突然マリオネットになってしまった人の姿がまざまざと記憶に残っている(ハワイ旅行記参照)。おかわりという言葉は封印された。

 ハワイ旅行記のように、のんびりしすぎて結局コンコースで走ることになってしまうのはいやだったので、わりと早めにイミグレーションに向かった。鉄面皮の係官に愛想満点の笑みを返して無事通過。出発ゲートに向かう。

 いつもそうだと聞いてはいたが、ノースウェスト航空シアトル行き008便は今日も満席であるらしい。なんで今時アメリカ行きの飛行機が満席なのだろうか。
 それは、それまでノースウェスト、デルタ、コンチネンタル、そしてJASの4社が別々に運航していたシアトル便を、共同運航という形で1便にしてしまったからなのだそうである。テロその他の影響で、別々に運航していたら採算が合わなくなったのだろう。
 そんなわけで、出発ゲート前には、まるで絶頂期の唐の都・長安の街角のように、いろんな国のいろんな人種が思い思いの格好でグータラしていた。

 不思議なことに、外人は空港の床に平気で寝たり座ったりする。部屋の中でも靴を履く文化だからなのだろうか。我々日本人からすれば、多くの人間が土足で歩き回っている床なんてものは汚く思えてしょうがないのに、彼らはまったく平気なようだ。それよりも、楽な姿勢、楽な格好でくつろいでいたいものらしい。
 そういえば、最近都会でよく非難されるようになった若者のスタイルと同じではないか。
 大人たちは、そこかしこで好きなように座り込んだりする若者を見て苦い顔をするけれど、よくよく考えたら彼らはまっさきに国際化しているわけである。金儲けのために、グローバリズムだ、国際化だといっては日本古来の習慣、風俗をことごとく潰していこうとしているくせに、そんなことにだけ日本古来の美的風習を当てはめようとするのはムシがよすぎやしないか?>日本の大人たち。

 それはさておき、ともかくいろんな国のいろんな人々がいるせいで、飛行機に対して恐怖しか抱かない僕としては、どいつもコイツもテロリストに見えてくる。
 お前ら、まさかハイジャックするつもりで乗り込んでいたりしないだろうなぁ……
 という疑いのマナザシを周囲に向け続ける僕のほうが、よっぽどアヤシかったかもしれない。

 テキの国籍や思想、人間性などはともかく、満席の場合に重要なのは体格である。
 満席状態のエコノミーの小さなシートで、その隣がファットマンなんてことになったら悲惨だ。機内で見かけたファットマン自身も、まるで鬼平の拷問を受けているかのようにかなり凄惨なものがあった…。
 機内に乗り込み、指定された座席について、さあ、はたしてお隣の席にはどんな人が…。メチャクチャドキドキしながら待っていると、そこに現れたのは小柄な女性であった。あー、よかったぁ……。

 満席のノースウェスト008便は、様々な人の思いを乗せて、定刻どおり午後3時過ぎに成田を離陸した。