本編・4

キャプテン・バートレット・イン

 フェアバンクスは、アンカレッジに次ぐアラスカ第2の街であるという。
 とはいえ、それはエントリー選手2名で競った惜しくも2位のようなもので、その差は優勝のかかった阪神甲子園球場と冬の水納丸の乗客よりもはるかに大きい。
 アラスカ州全土で60万の人口のうち、アンカレッジには25万弱。
 いっぽうフェアバンクスは3万チョイ。
 2位といっていいのかどうかすら危ぶまれるほどの大差である。
 フェアバンクスは小さな街なのだ。

 こんな内陸の中央部にあって、小さいながらもなぜに第2の街といえるほどに発展したのかというと、もちろんゴールドラッシュがきっかけだ。
 世界を覆いつくさんばかりに拡張政策を取っていたロシアにとってもそのロシアから破格の安さで買い取ったアメリカにとっても、それまでずっと無価値とされていたアラスカ。
 そんなアラスカがにわかに脚光を浴びたのは、その地の大いなる自然でもオーロラでもなく、ゴールドラッシュなのだった。
 フェアバンクスは、ゴールドラッシュの中心地として街が成り立っていったのだ。
 その後、金がなくなったなぁ、さぁどうしようかなぁというときに突如降って湧いたようにアラスカで油田が発見された。ゴールドラッシュ時の鉄道建設、原油輸送のパイプライン建設と、時代が変わっても何かと栄えるきっかけがあり続けた結果、フェアバンクスはアラスカ第2位の街としてあり続けている。
 ネイティブの人たちから見れば、よきにつけあしきにつけ自分たちの生活を変えていった象徴のような街ということなのだろうか。
 その一方で、フェアバンクスはアラスカの自然を守ろうとする人たちにとっても中心地なのである。

 厳寒の玄関に立っている我々にとって、そのような話はまったくどうでもいいことだった。
 とにかくタクシーよ早く来てくれ。
 そうこうするうちに、オレンジ色のタクシーが見えてきた。目の前に止まった運ちゃんにホテルの名を告げると、そうだ、と力強く答えてくれた。
 これがマニラかどこかだったら、そのままどこかに連れ去られて法外な値段を請求されたりする恐れもあるのかもしれない。けれどここはアラスカ。とにかく治安はいいらしいので、安心して乗り込んだ。

 雪の世界フェアバンクスとはいえ、さすがにアメリカである。道は潔くズドンと一直線に伸びている。道は雪に覆われているけれど、車の通行はまったく普通だ。融けることがないから氷になることもなく、雪はただ固く硬くしまっているだけのようだった。
 目差すホテルはダウンタウンではなく、空港とダウンタウンとを結ぶ空港通りという大きな道沿いにあった。その通り沿いには、バーガーキング、ウェンディーズ、マクドナルド、デニーズといった日本でもおなじみのチェーン店や、大きな映画館、ショッピングモールなどが、それぞれ大きな駐車場を抱えて点在している。さすが第2位の街。

 キャプテンバートレットは、ホテルという名称からはなかなか想像しがたい素朴なロッジ風の建物だった。
 これでも、フェアバンクスに多いB&Bに比べるとやはり割高になるらしい。
 中に入ると、まさにロッジ風のつくりであった。ああ、これが我が家であったなら……。アラスカは湿度が高くないので、こういった木材がいつまでも丈夫であり続けるのだろうなぁ…。
 ジャコウウシやグリズリーの剥製が睨みを効かせているロビーにあるフロントでチェックイン。いよいよ我らがトランスワールドサービスの真価が問われるときが来た。はたしてトランスワールドのバウチャーよ、ちゃんとアラスカで機能するのか……。
 「支払いはキャッシュですか?カードですか?」
 と、早口でフロントマンは訊いてきた。「ホテルでの英会話」などではすっかりおなじみのフレーズなのに、そうやって早口で問われるとこちらは慌ててしまうではないか。思わず、
 「キャッシュ」
 と答えてしまった。
 おいおい、ここでバウチャーを使うんじゃないか。現金で払ってどうするんだよ。
 慌ててバウチャー(といっても単なるA4サイズのコピー)を差し出した。
 さあ、バウチャーよ、トランスワールドよ………
 「オーケー。この用紙はこちらで持っていてよいか?」
 おおっ、トランスワールドサービス万歳!!
 よしよし、紙でもなんでも持っていてオーケーだ。だってコピーをとるまでもなく、わざわざもう1部送ってもらってしまったのだから(プロローグ参照)。
 どうやらただの紙切れにしか見えないこのバウチャーとやらはちゃんと機能するらしい。少なくともトランスワールドサービスが空間工房化する事態はないようである。

 差し出された部屋の鍵に、部屋番号が書かれてあった。
 フムフム、部屋番号は2109か。
 と、その番号を確認したら、
 「ノーノー、269」
 と言われてしまった。あ、これ1と0じゃなくて6か。なんで欧米人って数字書くの下手なんだろう……。

 室内は思いのほか上等だ。B&Bより高いかもしれないが、この部屋だったらサンシャインプリンスホテルよりは断然お得。
 調度も広さもアメニティも申し分ない。しかし大変困ったことが一つだけあった。
 静電気である。
 乾燥しまくっているせいで、部屋の中の金属部分にさわろうとすると、
 バチバチッ
 と電気が走るのだ。ドアのノブがすべて金属なので、トイレに入ったり部屋から出入りするたびに、僕は怒りに震えるラムちゃんになってしまった。
 ぬれたタオルをノブにかけてその上から触っても
 バチバチッ
 ってくるんだもの………。

 通り沿いにいろんな店が点在しているとはいえ、点と点の距離は車感覚である。さて、ちょっとした買い物をするには……
 その点、あらかじめトランスO氏にうかがっていたことがあった。我々にとってとっても重大なことを。
 酒である。
 そもそもベテルスの宿でビールやお酒を飲むことができるのか。フェアバンクスの宿で酒は飲めるのか。何かと酒の販売にうるさいアメリカのお国柄だから、かなり気になっていたのだ。
 オーロラやアラスカを愛するたくさんの人々が自分たちのHPでその素晴らしさを紹介してくれてはいるが、こと現地の酒事情に関してはなかなかその情報が手に入らない。本来自然を愛する人は、酒など二の次になるのだろうか。酒か自然かの二者択一を迫られたら、おそらく我々は即座に前者を選んでしまうだろう……。

 で、トランスO氏によると、ホテルの近くにストアがあって、ビールや酒が安く買えるとのことだった。ベテルスにもビールがあるが、フェアバンクスに比べると空輸という手間がさらにかかるために割高になるらしい。
 ま、多少割高になっても現地にあるのならわざわざここからビールを持っていくこともあるまい。とりあえずこの先5日分用のウィスキーなどを物色しに行こう。
 タクシーを呼ぶ電話での会話がうまくいったことにやや気を取り直した僕は、颯爽とフロントに行き、滑らかな英語でストアの場所を尋ね……ることができればいいのだが、まだまだ全身全霊をかけて会話せねばならない状態に変わりはなかった。エクスキューズミーという時点で舌がもつれるのだから。

 厳寒の雪の道を5分ほど歩いたらその店だった。
 たった5分ながら、我々にとっては八甲田山・死の行軍なみのアドベンチャーだ。
 近くにあった気温を表示する電光掲示板は0度になっていた。なんだ、0度じゃん、大したことないなぁ、と思ったら、2秒後に切り替わった表示を見て吹っ飛んだ。0度は華氏で、摂氏だとマイナス18度だったのだ。
 ムムムムム……。
 昨年の北海道・ニセコではせいぜいマイナス10度ほどだったのに。
 いきなり人生最高記録に突入していた。
 フフフ…この程度では済まぬぞ。
 そう言いたげに、電光掲示板はキラリと光った。

 フロントマンが教えてくれたストアというのは衣料品がメインのモールのようで、その脇にほそぼそと酒屋さんがあった。存在はほそぼそだが酒の量は豊富だ。
 そしてメチャクチャ安い。
 ビールなんてジュースと同じ値段ですぜ、だんな。わかった、とにかくここにある全部を買う!!と危うく叫ぶところだった。
 吟味した結果、カナディアン・ハンターという、聞いたことはないけどラベルがかっこいいお酒を買った。菊の露の一升瓶と変わらぬ値段……。
 ウィスキー類というのにはスコッチとバーボンの2種類しかないのだと固く信じていたから、はて、このカナダの猟師はスコッチなのかバーボンなのかと随分悩んだのだが、後日カナディアンウィスキーというジャンルがあることを知ってひどく狼狽した。
 カナディアンといえばプロレス技のカナディアン・バックブリーカーしか知らなかった僕は、フェアバンクスでほんの少しだけ賢くなった。

 どうせならアラスカンなんとかというのがほしかったので、レジのおねーさんにそういうのはないのか訊ねてみたところ、残念ながらアラスカには地ビールはあってもウィスキー類はないらしい。