10・そして夜空に星は流れた

 夕方5時から始まるポケモンに間に合うように宿に着いた我々は、6時40分くらいに宿を出ることにし、それまでは適当に自由時間にした。
 リョウ君はもちろんポケモンである。
 我々夫婦と姫は散歩に行きたい。
 となると、リョウ君番は必然的にオチアイになるのだった。
 別に部屋で一人でいるからといって泣き出す齢じゃないけどね……。

 というわけで、我々散歩部隊は再び外に出た。
 さてどこを歩こうか。
 やはりここでも、バカと煙と同じように高いところへと登る。
 本当は時間が許せば腰岳遊歩道というトレッキングコースをみんなで歩きたかったのだが、あいにくサスペンデッドゲームになってしまったので断念していた。
 そのトレッキングコースの序盤にあたる部分の枝道に、虎頭岩から前泊の部落を一望できる場所があるのだ。
 そこへ行こう!
 またしてもナァナの意向を聞かずに僕らの勝手で決めている。

 宿からテクテク歩いていると、駐在所やスーパー、郵便局など、水納島にはありえないものをいろいろ通り過ぎると、すぐに村役場になる。
 その役場の脇から山のほうに入ると遊歩道だ。我々の目的地は虎頭岩。
 けっこうな坂道をうんしょうんしょと登る。
 やがて展望台がある駐車場にたどり着いた。
 が。
 展望台のつもりらしいあずま屋のような建物はあるものの、木々が鬱蒼と生い茂っているためにそこから眺めても手近の木しか見えない。
 このあたりがお役所仕事の凄まじいところといえよう。
 あのねぇ、役場の人たち、木っていうのは成長すると伸びるんでござんすよ。

 期待した眺めはそこからは見られなかったものの、さらに上へと続く階段が傍らにあった。
 この先を行けば頂上にたどり着くに違いない!

 意気揚々と階段を上がっていく姫。
 ああ、それなのに。
 なんてことだ、階段はなぜだか突然途中で終わっていたのである。


「なんでよッ!」
階段にあたる姫であった。

 それでも、この階段からの眺めは、当初展望台に期待していたとおりのものだった。

 個人的には望みの景色が見られたので目的を達したものの、頂上を目指したのに途中で断念させられた姫はいささかご不満のようだ。
 でもまぁ、程よい時間つぶしにはなったじゃないか。
 帰りはテケテケと部落の合間を縫って帰った。
 昼間車で移動しているときも今こうして歩いているときも感じることだけど、シーズンオフだからなのか、いまひとつ人々の「活気」というものがあまり空気の中に立ち込めていない。
 観光客はそれを称して「素朴」と呼ぶのだろうか。

 オチアイが自身のサイトでいみじくも語っていたが、沖縄というよりは内地の寂れた漁村というイメージなのだ。
 たしかに黒島も波照間も、シーズンオフの真っ只中に行ったときは相当に賑わいとは程遠い島だったけれど、それでも立ち込めている空気は紛れもない「沖縄」だった。
 伊平屋ほど緯度が北になると、気候が随分違って風俗もまた異なってくるのかな?

 それでも、部落を歩いていると島の人たちとときおりすれ違う。
 そのたびに姫は、本当に普通にさりげなく、当然のように

 「こんにちは」

 って挨拶する。
 学校で教えていたり家庭でしつけていたりすることじゃなく、自然に彼女が身につけた習慣なのだ。
 そういうところも、僕が姫のファンである理由のひとつであることはいうまでもない。
 すれ違う伊平屋島の人たちも、その挨拶に笑顔で応えてくれていた。
 そんなさりげない触れ合いがこの地上に満ち満ちたら、今よりもっと住みやすい世の中になるんだろうになぁ……。

 宿の近くにスーパーがあったので、旅先のスーパー立ち寄りマニアのうちの奥さんはもちろん目的地のひとつにしていた。
 さすが水田地帯だけあって、島産の米が商品として並んでいるのはさすが。
 でも不思議なことに、これだけ周囲を海に囲まれウミンチュもたくさんいそうだというのに、どういうわけか鮮魚コーナーに並んでいる魚は本部産。産かどうかはともかく、パックに貼り付けられている生産元の住所が本部町になっていた。
 そのほか、白菜が一個600円もするってのが、やはりこういう土地のさだめってところか。

 宿に戻ってひとっ風呂浴び、宴の場へ行くまでしばし休息。
 すると、留守番をしていたオチアイが、自慢げにあるものを見せびらかしに来た。

 「いいでしょう、これ。若いオネーチャンに逆ナンされちゃった」

 え?
 よく見るとドングリで作ったアクセサリーだ。
 宿の女の子にプレゼントされたのだという。
 若いオネーチャンって、小さな女の子じゃん………。
 なんとリョウ君ももらっていた。なんだか悔しい。

 しばらくはゴロゴロして休憩しようというつもりだったのに、そしてこれから飲みにいくというのに、持ってきたじゃがりこをポリポリ食べるオロカモノ<うちの奥さん。
 チカ先生には7時ごろには店にいますと言ってあったものの、じゃがりこを食べるくらいにお腹が減っているんであれば、早めに行くか。

 店は宿から歩いて500mほどにある。
 ターミナルビルの2階にある店だ。
 先に触れたとおり、本命は他にあったのだが、あいにく土曜日が定休日という、およそ信じられないお休みだったので、2番目の候補である。
 飲むだけだったら店は他にもあるのだけれど、なにしろキッズの食事もメニューにある店じゃないと困る。
 だからここにした次第。
 でも……。
 やっぱりメニューは寂しいよなぁ……。
 普段僕らが那覇に行っても沖縄料理の店に入らないのと同じで、島の人たちだって普段自分たちが食べているメニューを食べにわざわざ店に来ないだろう。
 ではそういったメニューを好む観光客がたくさんいるかというとそうでもないから、結局居酒屋メニューは全国津々浦々のお店に普通に並んでいるような当たりさわりのないものばかりになる。

 うーむ…。
 よし、昼間食べたそうにしていたのに、夜まで待てと僕らに言われて食べることができなかった牛タンを食べるか、リョウ君!

 「うん!」

 すみませ〜ん、牛タン!

 「牛タンは品切れで……」

 ガックシ……。
 仕方がない、まずはお刺身でも食べるか。

 すみませ〜ん、刺身盛り合わせを……

 「すみません、お刺身は7時30分頃にならないと出せないんです……」

 な、なんじゃそりゃ。
 どうやら板さんがその時間にならないと来ないらしい。
 そういうことなら、あらかじめ刺身盛り合わせ豪華セットでも予約しておいて、到着したときにデンッと出してもらえるようにしておけばよかったなぁ。

 とまぁこんな具合で、じゃあ何だったら出せるの?というくらいに選択肢を狭められながら、とりあえず生ビールで乾杯する我々だった。
 なにはなくともこれさえあれば……。

 すまんね、キッズ。
 そうこうするうちにチカ先生も到着。
 ダハダハダハと飲んでいるうちに、ああ、心地いいなぁ、酔っ払ってきた、僕……。
 この場に男衆が僕しかいないのであれば、キッズがいるときにこんなに酔ってはいられなかったものの、さいわいにしてうちには頼れる助っ人オチアイがいる。思う存分酔っ払ったって問題はない。

 いつの間にか僕の手では、ジョッキから照島の水割り入りグラスへと選手交代がなされていた。
 このドリンクメニュー。
 泡盛のコーナーはもちろん伊平屋酒造所の照島である。
 その銘柄が……

 照島マイドル

 と書かれてあった。
 マイドル??
 それって、マイルドのことなんじゃ……?
 どのテーブルのメニューにも断固としてそう書かれてあった。
 新装開店早々というわけでもないのに、メニューの文字がそのままってことは、ひょっとして書き間違えというよりはみんなそう思い込んでいるってことなのだろうか?

 もちろん、頼んだボトルには、

 照島マイルド

 としっかり書かれてあったことはいうまでもない。

 そうやって、肴には不自由しつつも飲み続けていた。
 もともと子供たちには遅くまでいてもらうわけにはいかなかったので、ほどよい頃合を見計らって宿へ送る(送ってもらう)つもりでいたものの、まだ誰も何も言っていない状況で、やおらリョウ君が立ち上がり、宣言した。

 「よし、帰ろう!」

 この間、前後の会話にまったく脈絡はない。
 時刻は午後9時少し前。
 ああ、そういえば、店に来るまでの道すがら、今宵9時から放送されるスウィング・ガールズという映画を観たいなぁ、とポソッとナァナが言っていたっけ。
 リョウ君はそのタイミングを計って突如立ち上がったのだ。

 ナァナ自身は映画そのものはどっちでもよかったのだろうけれど、リョウ君が帰るというので2人して帰路につくことにした。
 はい、オチアイサンよろしく……。

 キッズがいたからこそかろうじて留まっていた僕の理性はたちどころに泡と消え、チカ先生を交えた大人のトークが展開されていった。
 ……あんまり覚えてないけど。

 コーチオチアイは一応明日の予定をチカ先生と相談していたらしい。
 ……ああ、そういえばそんなような記憶も。

 僕は自分で注いでグビグビ飲んでいたらしい。
 ……そうだったそうだった。

 うーん、気持ちいいなぁ……。
 そろそろいい時間になったので、チカ先生の送りは自称送り狼・オチアイにまかせ、僕らはチャーミーグリーンを使った若夫婦のように仲良く手をつないでテクテクと宿を目指した。

 宿に戻ると、もう寝ているかなと思われたキッズたちはまだ起きていた。
 リョウ君は興奮冷めやらぬまま、それに僕たちの帰りが遅いのも少し心配していたのだろうか、僕らが帰ってきて洗顔していると、様子を見に来てくれた。
 しかしもう僕は単なる酔っ払いのおっさんである。
 おお、リョウく〜ん!!とじゃれつき、枕投げしよう!!と吠え立てる。

 脱兎のごとく逃げるリョウ君。
 部屋に戻り、なかから鍵までかけたらしい。

 「あのおじさん、酔っ払ってる!!」

 そこまで逃げるこたぁないだろう……。
 そのあとすぐに部屋にいたキッズが再び出てきて、

 「星を見に行こう!」

 おお!
 星でも虎でもシーラカンスでも、なんでも見に行くぞ、オッチャンは。

 というわけで、みんなで宿から歩いて30秒のところにある海岸に行った。
 うーん、星がきれいだ!
 しばらく防波堤に寝転んで全天を見渡すことにした。

 実は、姫はこれまで一度も流れ星を見たことがない。
 夜なお明るい不夜城東京に住んでいるというならいざ知らず、水納島に住んでいて流れ星を見たことがないなんて、そんなことがありえるのか??
 ありえるのだ。だってここにそーゆー人がいるんだもの。
 なにしろ姫は目への刺激が苦手で、たとえば暗いところでストロボをたいて写真を撮るときなど、十中八九は目を閉じてしまう。
 だからきっと、夜空を見上げているときにも、流れ星が一瞬キラリとした瞬間に目を閉じているんじゃなかろうか。

 そんな話を随分前からおりにふれしていたので、姫には是非一度流れ星を見せてあげたいと思ってはいた。
 そういう意味では、今宵この時このシチュエーションは絶好のチャンスだ。

 たわいもない話をしながら、そうしてずっと眺めていると………

 キラ……………。

 「あ、流れた!!」

 おお、ついに姫、人生初の流れ星をゲット!!
 伊平屋の夜空は、少女のささやかな願いを、これ以上ない美しさで見事にかなえてくれたのだった。

 こうして姫は無事目的を達成したので、それを潮にみんな宿に引き返すという。

 僕は気持ちいいのでこのまま風に抱かれて寝ていたい……。

 そんな僕の心を知ってか知らずか……というか、間違いなく酔っ払っているということだけははっきりわかっているみんなは、僕に即刻起きあがるよう促す。
 でもいいのだ、寝ていたいんだもの。

 という僕をおいて、みんなは宿に戻っていった。
 うーん、気持ちいい……。

 けど。
 みんな帰っちゃったらさみしいじゃないか。

 と寝転びつついじけていると、うちの奥さんが戻ってきた。
 さすが我が妻。

 「ほら、風邪ひくよ。明日卓球するんでしょ!」

 うーん、いーのいーの。もう少ししたら戻るから。

 でもうちの奥さんは知っている。
 僕がこのまま本気で寝てしまうということを。下手をしたら防波堤から落っこちるだろうということも。

 そんなこんなでついに僕は立ち上がり、手を引かれてトボトボと宿に向かうのだった。

 ふと見上げれば満天の星空。
 海風がやさしく頬を撫でてくれる。
 うーん、なかなかいいジンセイではないか。夜空よ今夜もありがとう……。