42・ローマはでかかった

 ナマコマルガザミを載せたアリタリア航空AZ1792便は、離陸したぁー……と思ったら、やはりあっという間に降下開始。

 眼下に広がるイタリア本土。
 初日は夜だったからなんの実感も持てなかったけど、こうして上空から眺める目的地というのは、やはり旅情をかきたてる。

 そしてついにローマ・フィウミチーノ空港に到着した。
 6日ぶりに訪れたローマの空港は、いささかも変わるところはなく………って、当たり前か。

 空港にとっては一瞬でも、あれから6日も経ったのだ。
 当初は緊張尽くしだったローマ空港も、イタリアに6日もいればすっかり慣れた気分でいる我々。
 飛行機から降りたあと、出口までゾロゾロと人が歩いている傍らにトイレがあったので、とりあえずトイレに寄っておくことにした。

 あとから思えば、ここで余裕をこいてしまったのがいけなかった……。
 けっして大きな飛行機ではなく、さほど混んでもいなかったから、トイレで用を足したあとにはすでに乗客の列はない。
 なので天井から垂れ下がっている道案内に従いながら、テケテケ歩いていると、例によって遠い。

 そのうちに、どこが出口やらわからなくなってしまった。
 そのときにちゃんと誰かに訊けばよかったものを、もう慣れた気でいるものだから、こっちだろう…とタカをくくって出て行くと………

 まったく違うところから出てしまった。
 そして当然ながら、出てしまったら二度と元に戻れず。
 まだ荷物を受け取ってないのに!!

 こりゃ一大事とばかりに、手近なところにいた空港職員に航空券の半券を見せつつ、手荷物を受け取りたいのだけどどこに行けばいいの?と問うと、

 「ターミナル1に行かなきゃダメですよ。ターミナル1は、そこを出て左に行ったところです」

 ありがとう!!

 どうやら異なるターミナルから出てしまったらしい。ともかくターミナル1へ急げや急げ。
 うーむ、なんてことだ、ここまで完全に時間通りだったのに。

 暗くなる前にローマのホテルに着きたいなぁと思っていた僕にとって、遅延とは無縁のアリタリア航空に感謝しきりだったのだが、まさかこんなところで路頭に迷うとは。

 ターミナル1の入り口まではやたらと遠かった。
 構内で道がわからなくなったときに、こんなに遠いはずないだろう…と選択肢からはずした方こそが正解だったらしい……。

 そしてターミナル1に到着したはいいものの。
 荷物を受け取るターンテーブルに入れる道順が、建物の外側に書かれてあるはずはなし。
 もうそこからは、インフォメーションセンターからなにから、手当たり次第に空港職員に訊きまくった。

 我々のようなトンマな旅行者がチョクチョクいるのだろう。空港職員もそういう質問に慣れているらしく、すぐに事態を飲み込んでくれて、道順を教えてくれる。

 ただ、日本語だったら一度聞けばわかるかもしれないけど、なにしろイタリア語で、3手先までの道順を理解できるはずはない。
 そのため、まっすぐ行って左に曲がって、エスカレーターを上がってどうたらこうたら………だったら、まずまっすぐ行ってまた別の人に尋ね、左に曲がって別の人に尋ね……

 を繰り返し、文字どおりの右往左往をしながらようやく最後の関所にたどり着いた。
 セキュリティチェックポイントだ。
 普通は、到着した客が荷物のチェックを受けて通っていく場所。
 つまり逆走!!

 「そこにいるセキュリティスタッフに話をすれば大丈夫ですよ!」

 と優しいおねーさんが教えてくれたので、それらしきスタッフを探すと……

 いた。制服を着たセキュリティスタッフ。
 ジョン・トラボルタをやや細くしたような彼に、かくかくしかじかで荷物を受け取りに行きたい、というと、すぐさま事情を理解してくれた彼は、パスポートの提示を求めてきた。

 で、そのままただちにすんなりと通してくれるのかなと思ったら。

 「あなたはイタリア語を話すんですねぇ…」

 ええ、少しだけですけど…

 「だったら、日本人のあなたに、日本のことでひとつ質問があるんですけどいいですか?」

 なんだかヤバイ話なのだろうか?
 不安になりつつ、どうぞ、というと……

 「日本にね、あのー……なんて言ったかなぁ、○▲□×とかなんとかいうのがあると思うんだけど、知ってる??」

 世間話かいッ!!
 まったく、ナニゴトかと思ったら………。
 あなたですらなんていうか知らない○▲□×を俺が知ってるわけ無いだろう……。
 というか、そーゆー話をしている場合じゃないんですけど、ワタシ。
 お話好きというイタリアの国民性を、まさにここに見たり!って感じだ。
 ある意味感動的。

 ともかく○▲□×は僕はわからなかったので、トラボルタに、うーん、よくわかんないです、と応えると、

 「そっか、しょうがないね。さあ、どうぞ、あっちのセキュリティチェックのところから通ってください」

 こうして無事に……というかいささか情けない逆走で、ようやくターンテーブルに到着。
 すると………

 我々の荷物だけが、ターンテーブルの上で寂しくクルクルと回っていたのだった。
 誰だよ、アリタリア航空の荷物が出てくるのは遅すぎる!とか文句言ってた人は。

 それよりもなによりも、荷物がターンテーブル上から紛失していなくてよかったぁ……。

 そして。
 トラブルはこれだけでは終わらなかった。

 ここローマ・フィウミチーノ空港においても、空港からホテルまでの「専用車による送迎」を手配してあった。
 そういう個人パックツアーなのだ。

 ただしそれには、90分以上遅れて到着すると、運転手が帰ってしまうかもしれない…などという条件が書かれてある。
 また、現地交通事情により30分ほど遅れてドライバーが到着する場合もある、ともある。

 いずれにしても、何かあったら日本語対応の現地連絡先に、とあったので、まぁ何かあったら連絡すればいいか、と思っていた。

 で、なんとか荷物を無事受け取って、今度こそちゃんとした出口を通過。待ち合わせ場所になっている「ミーティングポイント」と書かれた柱に行ってみると………

 誰もいない。
 まさかいくらなんでも90分経っているはずはなし、でも30分は経っているから、到着していないはずはない。

 まさか、我々が出てくるのが遅くて業を煮やしたドライバーが帰ってしまったのか??

 ひょっとするとすれ違いで探してくれているかも……と思い、しばらくそのまま待ってみることにした。
 が、誰も現れず。
 ドライバーらしき人待ち顔の人が何人かいたので、もしかして…と思って訊ねてみたものの、該当者はまったくなし。

 おかしい。
 このターミナルのミーティングポイントはここだけだということはすでに空港職員から確認を取ってある。
 これは何かの手違いでは??

 しょうがない、電話してみるとするか。
 もちろん電話番号は、あらかじめ携帯に登録してある。
 そしてかけようとしたとき、ハタと気がついた。

 今日って日曜じゃね??

 そうなのだ。連絡先であるローマの日本語対応の事務所は、土日がお休みなのである。

 意味ないじゃんッ!

 そんなときのために、もう1つの緊急連絡先があったものの、そこはイギリスの事務所で、当然ながら英語で会話しなければならない。
 試しにかけてみたら、懐かしくも異世界っぽい「Hello!」の声が。

 即切り。
 英語で説明、無理!!

 この状況を、慣れない英語を駆使して一から説明し、対応してもらう労力と、いっそのことタクシーを拾ってこのまま行ってしまうのと、いったいどっちが早くて楽か。

 比べるべくもない。タクシーでGO!!

 すぐそばの何かの事務所の女性に、タクシーはどこで呼べるか訊いてみた。すると

 「ここよ!」

 へ?
 そこはハイヤーのカウンターだったのだ。
 ローマ市内までおいくらですか??

 「市内までは40分くらいで、値段は50ユーロです」

 タクシー乗り場で拾って乗る相場より10ユーロほど高い気がしたものの、背に腹は変えられない。お願いすることにした。

 「5分お待ちくださいね」

 というわけで、タクシーの手配完了。
 その間他の二人は、もともと予約していたドライバーとすれ違いだったらどうするとか、ドライバーがここで待ちぼうけをくらってしまったらどうするとか、いちいち要らぬ心配をする。
 客である我々が、時間どおりに現れなかったドライバーの心配をする必要がどこにあるというのだ。

 今大事なのは、日が暮れる前にホテルに着く、ということなのだ………ということを、脳内白地図の二人に理解できようはずはなかった。

 ともかくこうして、その後係員に案内されつつ、配車されてきたタクシーに乗り込んだ。

 またもやベンツ。
 ドライバーの名はロメオ。ビトーの最初の仲間、クレメンザのような雰囲気だ。

 ロメオさん、よろしくね!

 ともかくこれで、ホテルまでの足は確保できた。

 ついにローマ市内へ。
 ロメオの案内を聞きながら、郊外をひた走る。

 この車中で、僕はひとつ衝撃的な事実を知った。
 それは道端に一本のアーモンドの木が見えてきたときだった。
 例の、桜のような花がたくさん咲いている。

 ロメオさん、あれはマンドゥッラですよね?

 タオルミーナのバールのマンマから習った、完璧な発音で訊ねてみた。たしかにアーモンドの木だそうだ。
 ところが!!

 「ノーノー、マンドラ。」

 へ?
 ちょっと待ってよ。たしか綴りは
mandorra。それをローマではマンドルラ??

 違う!!
 ローマで言う「マンドルラ」がいわゆるNHK発音なのであって、マンドゥッラってようするに……………

 シチリア方言!!

 その他、レナートが教えてくれたポーリポもカッペラも、オマケにあれほど懇切丁寧に教えてくれたmoltoがモゥトってのも………全部シチリア弁か!?

 その昔、本部町内でしばらく暮らしているという南アフリカから来た白人女性がゲストとして見えたことがあった。
 その際彼女は、覚えたての日本語を使おうと、うちの船をさして

 「フニ、フニ」

 と言っていた。
 沖縄風に発音すると、「
a,i,u,e,o」という母音がたいてい「a,i,u,i,u」になるので、フネもフニになるのである。
 彼女は本部町内のおじいに言葉を習っていたのだろう。
 つまり僕は、それとまったく同じだったのだ!!
 面白すぎるッ!!

 それにしても感心したのは、あのときのレナートの言葉だった。
 熱心に教えてくれていたとき、彼は必ずこう言っていた。

 「イタリア語では……」

 シチリア語では、とはけっして言っていなかった。
 彼らにとっては、彼らが話している言葉こそがイタリア語なのである。
 このあたり、おそらくイタリア全土どこでもきっと同じなのだろう。さすが旧都市国家の寄り合い所帯。

 なかでも特異な歴史を持つシチリアは、そのアイデンティティが人一倍強いに違いなく、本来の定義では方言になるはずの言葉を「スタンダード」と認識しているに違いない。

 これからの日本は地方の時代、と言われて久しいけれど、NHK語が全国に広まった一方で、地方の言葉が単なる「訛り」と認識されているようではまだまだ甘い。
 かつての幕藩体制の頃のように、地方が1つの国であるというくらいの意識があれば、我々日本人だってきっとレナートのように、自らの方言を「日本語」と胸を張って言えるようになるだろう。

 そんな衝撃と感動を載せつつ、アルファ・ロメオ……じゃなくて、ベンツ・ロメオは走る。

 「その川はテヴェレ川ですよ」

 ロメオが教えてくれた。
 テヴェレ川!!
 ローマといえばテヴェレ川。
 ついに……ついにローマに来たぁって感じ。

 そして………

 「あれが、カラカラ帝の浴場跡です」

 おお、これが………………

 ……って。

 で………でかいッ!!

 なんだこのでかさは!?
 カラカラ帝の浴場跡については、脳内白地図状態のうちの奥さんもけっこう興味を示していて、一度見てみたいなぁなどと言っていた(ひょっとするとカラカラと思っていたかもしれない)。
 しかし彼女にとっても、そのサイズは想像を遥かに超えていたようだ。

 そしてベンツ・ロメオは、パラティーノの丘を見つつチルコ・マッシモに沿って走る道に。

 そのパラティーノの丘にも、夕陽を浴びて朱に染まった遺跡が。
 これまた……

 でかいッ!!

 なんだこの異様なでかさは!!


 
帰国する日の昼間に再び通ったので撮った

 このチッポケな写真ではとても想像できないほどでかい。
 ちなみにこの道、外交官・黒田康作も通ってます……。


映画「アマルフィ〜女神の報酬〜」より

 まぁ、オダユージはこの際どうでもいいか…。
 それにしてもローマ。
 タオルミーナでもパレルモでも、現地で見られた風景は、旅行出発前にいろいろと調べて得た知識で、頭の中で期待をこめつつ描いていたものとほぼ同じスケールだった。

 ところがローマは………
 まったく想像を絶するでかさ。

 タオルミーナでもパレルモでも、街中の名所的建物といえば、もっぱらキリスト教以後の世界の建物だった。
 ところがこのローマは、そういった教会建築がたくさんある一方で、そこらじゅうローマ時代の遺跡だらけ。
 その旧世界の建物たちは………

 まるで異星人文明の遺構のようですらあった。

 僕はこれまで、ローマ文明の遺構をことごとく破壊し続けた、ルネッサンス以前までのキリスト教社会を、なんと狭量な世界だろうとなかば蔑んでいた。
 でも……。

 彼らにとってもやはり、かつての旧世界の遺構は異星人文化を観る思いだったに違いない。
 ホントにもう、まったく違うもの、これは。

 当時は今に比べれば遥かに原形をとどめていたであろうそれら巨大遺跡を前にすれば、おそらくは恐怖にも似た感情を抱いたかもしれない。
 あるものは神の影響下に無理矢理あてはめ、あるものはただの建材提供場所にし、あるものは土に埋もれていくに任せた彼らの気持ちが、今初めてわかったような気がした。

 完全に圧倒されてしまった。
 しかも!
 さらに市内中心部に入っていくと、これがまた尋常ではない人の数。

 どうやら日曜日だったからということもあったようだけど、ローマにはやっぱり……

 人が多い!!

 巨大な遺跡、ややこしい道、そしてモノスゴイ人の数。
 タオルミーナやパレルモに滞在して、すっかりイタリアに慣れたつもりでいた僕は、初めて汐留の巨大ビル群を見上げたヤンバルの少年のように、ただただ途方に暮れるのだった……。